同修に対する情も修めるべし
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子

 【明慧日本2017年10月16日】私の地区にいる同修のAさんは不当に拘禁されていた10年間、断食で迫害に反対し、2014年に解放され帰宅しました。私たちはAさんと付き合う中、彼女に対して情が生まれ、崇拝の心も生じました。それに気づいた私はすぐ法の中で正しました。その過程で悟ったことを書き出し、同修と交流したいと思います。同修の慈悲なるご指摘をお願いし、師父にご報告させていただきます。

 一、正念をもって、邪悪からの同修に対する束縛を突き破る

 Aさんは2014年に解放されましたが、邪悪は彼女を放っておきませんでした。彼女の家に十数個の監視カメラを設置し、国保大隊(法輪功迫害の実行機関)の数人が交替で監視し、2人の警官が同修を尾行するという、非常に厳しい状況でした。誰かが彼女の家を訪れると尋問され、取り締まられたので、一部の同修はAさんの家に行く勇気がありませんでした。Aさんが解放された時、私は迎えに行きました。私が住んでいる地区の警官は私を脅しましたが、私はどうしても迎えに行こうとしました。しかし、公安局から車2台が行ったため、私たちはAさんを迎える機会を奪われてしまいました。

 Aさんが帰ってきた後、私は邪悪の脅しを恐れず、よくAさんの自宅に行き、学法し交流しました。私たちは同じ都市ではなかったため、毎回汽車に乗って行かなければならず、Aさんは私を迎えにきました。警官も後ろについて来ました。一度、汽車から降りた時、Aさんの後ろに警官がいました。Aさんは「こちらは国保大隊の大隊長です」と紹介してくれました。私はこの国保大隊の大隊長と話し、真相を伝えました。私の正念は彼の背後の邪悪な要素を取り除きました。その後、私が再びAさんの自宅に行く時、警官は尾行しませんでした。師父は「恐れる心がなくなれば、あなたを恐れさせる要素も存在しなくなります」[1]と説かれました。

 二、私と同修の交流

 私達の地区には同修のBさんがいますが、労働教養所で酷く迫害され、命の危険に晒されました。労働教養所がBさんを解放したとき、帰宅後、Bさんは話すことができず、四肢を動かすこともできなかったので、現地の同修は自宅に行き面倒をみて一緒に学法しました。そして、彼女の夫も一緒に大法を学ぶようになりました。妻の病気のために、大法を学び始めましたが、彼は修煉の中で一部誤った認識があり、恨む心が非常に強かったのです。彼は自分を助けてくれた同修全員を非常に恨み、同修は彼に近づくことができませんでした。

 このような状態であっても、私はずっとBさんと一緒に4年間学法しました。Bさんの夫は私に対しても非常に恨んでいました。私は彼に対して非常にがっかりしました。一度、私が彼の自宅に行った時、Bさんの病業状態がひどかったので、私はBさんの一番上のお姉さんを訪ねました。Bさんのお姉さんはまずBさんの夫の大法に対する誤った認識を解消してあげました。Bさんの夫はお姉さんと非常に交流したがりました。その後、私たちはBさんのために発正念をし、一緒に学法しました。Bさんにはよい反応があり、Bさんの夫も自信を持つようになりました。数日間、私たちは毎日大量に学法し、Bさんの変化も非常に大きかったのです。Bさんの夫も内に向けて探し心性が向上しました。彼に対する私達の印象も変わり、みな非常に喜びました。

 この時、難がやってきました。Bさんの夫はあまりにも苦労していて、毎日1、2時間しか睡眠が取れないのをみて、私はオムツを買って行きました。2日後、Bさんの皮膚に潰瘍ができ、夫は私に文句を言いました。私が彼に説明すると、彼は怒り出し、「私はあなたのいう言葉を聞きたくありません。あなたのことがいやだから、もう帰ってください」と言いました。私は非常に辛くなり、Bさんのお姉さん1人を残して帰りました。私が帰宅したあと、Bさんの夫はお姉さんに説得され、自ら私に電話をかけてきて、謝りました。夜、私はお姉さんと交流したあと内に向けて探すと、恨みの心がありました。この心は必ず修めなければならないものでした。

 お姉さんの励ましの下、翌日、私はまたBさんの自宅を訪れました。この間、私はBさんの夫と何度もトラブルが起きましたが、毎回、内に向けて探す間に心性は非常に速く向上しました。しかし、私たちはお姉さんに対して崇拝の心が生じました。

 三、同修の生活に対する関心

 Bさんのお姉さんは公職を解かれて18年になり、給料をもらえず、自分ひとりで生活していました。生活が非常に苦しく、私達は彼女を助けしようと、お金を渡しましたが常に拒否されましたので、常に衣服や、日用品を贈りました。お姉さんは自分に対して厳しく要求していて、よく私たちに釈迦牟尼佛が食べ物を乞い求めた道理を教えてくれました。私はあまり理解できず、常人の心で認識していました。新年の前、地区の同修はお姉さんに年越し用の食物と衣類を持って行きました。お姉さんは食物を人に贈り、衣類はお金に換算して、資料拠点に寄付しました。お姉さんと付き合う中、何回も私に自分を崇拝しており、情があるので、この心は修めないといけないと提言されました。しかし、私は同修を助けるのは私の責任であり、同修のことは私のことだと思っていました。

 一度、私はもう1人の同修と一緒にお姉さんの自宅を訪れました。一緒に行った同修は日用品を買って持って行きました。お姉さんは顔色を変えて、非常に厳しい表情で、私に声もかけませんでした。私は何かが間違っていると思い、お姉さんに「私達はあなたに会いに来たのに、どうしてこんな態度を取るのですか」と聞きました。彼女は「あなたが再びこのようなことをするなら、もう来なくていいです。私たちは高い基準で自分に要求しなければならず、そうでなければ誰も圓満成就できません」と言いました。この話を聞き、私は青天の霹靂で、烈火のごとく怒りそうになりましたが、なるべく自分の感情を抑制しました。

 四、私はいかに自分を正したか

 Bさんのお姉さんの私に対する態度を私は理解できませんでした。これほど長い間、私は彼女に対して力を尽くして関心をよせ、助け、崇拝しましたが、彼女はどうして私に対してこんな態度なのか? Bさんのお姉さんは「釈迦牟尼は弟子をつれて食べ物を乞い求めましたが、お金もものも貯めませんでした。私がみなさんからこんなにたくさんのものをもらうことは法に符合しません」と言いました。私は「それは過去の佛教の修煉です」と言いました。お姉さんは「『轉法輪』で説かれたものを、私たちは悟らなければなりません」と言いました。師父は、「相手のことは即ちあなたのことであり、あなたのことは即ち相手のことです」[2]とも説かれました。私のどこが間違っていたのか、と思いました。

 私は理解できず、心を静めて学法しました。師父は「修煉は、錬磨の中でこそしなければなりません。常人の持っている七情六欲を放棄することができるかどうか、それらに対して淡々としていられるかどうかが問題です。どうしてもそれらのものに執着するのであれば、修煉を成就することはできません。すべてのことには因縁関係があります。人間はどうして人間でありうるのでしょうか? それは人間には情があり、人間は情のために生きているからです。肉親同士の情、男女の情、親の情、感情、友情など、何をするにしても情が重んじられ、情を切り離しては何ごともできません。やる気があるかどうか、気分が良いかどうか、愛しているのかそれとも憎んでいるのか、とにかく人類社会のすべてのことが情から出ています。この情を断ち切らなければ、修煉することはできません。情から抜け出すことができれば、誰もあなたを動揺させることができず、常人の心があなたを動かすことは不可能となります。それに取って代わるものは慈悲の心であり、より高尚なものです」[3]と説かれました。

 師父はまた「また、一部の学習者は内輪の何人かだけで仲良くして、何かをする時も一緒で、私たちは仲間だといつもつまらないことを口にしたりして、大量の時間を浪費してしまいました。現在の一分一秒も非常に大事であり、この間の時間を逃してしまったら、全てとすれ違ってしまいます」[4]とも説かれました。

 師父のこの二つの段落の説法を学び、私は心がぱっと開き、それからは二度と人心で物事を考えなくなり、大法で自分を是正しました。

 私は文章を書く能力はありませんが、自分を正し、最後の道をしっかりと歩み、師父についてどうしても自分の家に帰りたいのです。師父に向けて合掌致します!

 注:
 [1]  李洪志師父の著作:『精進要旨二』「最後の執着を取り除こう」
 [2]  李洪志師父の著作:『各地での説法二』「二〇〇二年ワシントンDC法会での説法」
 [3]  李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [4]  李洪志师父著作:『各地での説法四』「二〇〇三年アトランタ法会での説法」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/7/5/350581.html)
 
関連文章