旧勢力の「試練」を見極め 再び騙されないように
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2018年2月9日】数年前、私の地区ではひどい迫害が発生しました。皆は意識的にこの迫害を否定しましたが、やはり一時、緊張した雰囲気に満ちていました。どのように連行された同修を救援するかについて話し合う時、同修はそれぞれ原因を考えましたが、しかし、その多くは連行された同修の身に着目して探していました。例えば、ある同修は男女関係の問題がある、ある同修は資金の使用の問題がある、ある同修は講演に参加したことがあり、法を乱す行為がある、等々が列挙されました。これらの考えを抱いて、私達は多くの救助活動を行いました。長時間に発正念をし、それぞれの知っている家族に協力して解放を求め、インターネットで中国共産党の悪行を暴露し、真相を説明する電話をかけ、弁護士に依頼するなど、思いつくすべての方法を実行しました。しかし、連行された同修をほとんど救出できず、結局、判決を下された同修が比較的に多かったのです。

 その後の数年間、連行され判決を受けた原因はその同修個人の問題だと、私はずっとこのように認識しており、迫害が発生した時に自分はどのように対処したかをまったく考えていませんでした。昨年になってから、ようやく私は旧勢力が大法弟子に対して、一種の試練として迫害を行ったことをはっきりと見抜くことができました。

 それは昨年にまた、この地区で大規模な迫害が発生しました。ある同修の家族は電話で知らせてくれました。今回、私は遠く離れているため、発正念と報道文章を書くことしかできませんでした。発正念の時、頭の中に同修の修煉上の漏れが浮かびました。その時、最大の漏れはやはり旧勢力が最も掴みやすい色欲の問題でした。この同修は前回も連行され、刑務所から帰って来た後、色欲の問題について私と数回交流したことがあります。彼女の話の内容から、とても精進したいという願望が確かに見えてきますが、実際に問題にぶつかるといつも戸惑うのだそうです。毎回交流する中で、同修がたまに現れた心のかすむ状態そのものは、旧勢力が無理やりに付け加えたものであることに気づきました。たとえ同修は色欲心があっても、まだ修煉ができていない人体に属するものなので、それほど強烈に現れるものではないはずです。

 この点を悟った後、私は「同修は修煉上において漏れがあってもなくても、旧勢力は試練を与える資格がありません。なぜかというと、旧勢力は淘汰されるべき存在であることを、師父がすでに決められていたからです」とこの一念を発しました。発正念をした後、自分は文章を書くべきだと思いました。今回、文章を書いた時、同修を連行した警官を被害者として、彼らが邪悪な旧勢力に利用されたことに対して心から同情し、彼らに迫害の真相を理解してもらえるように、悪事を働かないようにと心から願っていました。連行された同修に対して、弱者のような書き方ではなく、同修が法輪功を学んだ後に現れた高尚な道徳境地を書きました。

 その後、私は引き続き長時間に発正念をしました。発正念をする中で、突然、あることに気づきました。旧勢力は単なる同修を迫害するという目的を達成しようとしているだけではなく、この迫害を利用して、同修の身近にいる私がこの迫害の前で正念があるかどうかを試しているのです。もし今回、私が依然として前回と同じように、同修には漏れがあるから迫害されたのだと認識すれば、私は依然として旧勢力の試練の中で、まだ抜け出していないことになります。

 今回、私は旧勢力の目的をはっきりと見極め、さらに発正念をして、根本から旧勢力の按排を全面的に否定しました。発正念の後に、「同修はすぐ戻って来る」という一念が頭の中に浮かんできました。その時、多少自信が足りない念も一瞬現れましたが、すぐに否定しました。大法弟子のすべては、師父が掌握されているので、師父がこの迫害を認められないのだから、私も一切認めないと考え、自分の心を落ち着かせて、結果を求めずに自分のするべき事を続けて行いました。

 その後、その同修は本当にすぐ帰って来ましたし、多くの連行された同修も帰って来ました。

 実は前回、私達は連行された同修の不足について話していた時に、すでにふさわしくないと意識しましたが、なぜふさわしくないのか、はっきりと認識することができませんでした。それなら、この同修たちの実際に存在している問題にどう対処すべきでしょうか。師父はこのように説かれています。「師父は皆さんがいつも間違った道を歩んでほしくはありませんが、さらに皆さんが迫害されることも遭ってほしくないのです。多くの場合、皆さんが嘗めた苦は本当に人心によってもたらされたものです。人心が強いのにまだ悟ろうとせず、旧勢力は邪悪を利用して皆さんを強制労働収容所に入れてしまい、迫害するのです」[1]

 個人の理解ですが、師父が旧勢力の手段について説かれたのは、別に旧勢力を認められたのではなく、師父はこの迫害を否定されているからです。師父は私達にこのように教えられ、まさに旧勢力の「試練」を見極め、騙されないようにし、迫害を否定するよう教えられています。私達は修煉の中で過ちを避けられないことがあり得ますが、だからと言って、迫害されるべきではありません。大法弟子の責任は衆生を救うことであり、迫害に耐えるために来たのではありません。本当の大法弟子は過ちを犯したら、必ず大法の中で自らを改めるはずです。従って、同修の不足ばかりを見ず、しっかりと自らを修め、物事に対処する時には、いつも強い正念を持ち、強い正念で対処することができてこそ、はじめて旧勢力のすべての按排を打ち破ることができるのです!

 現段階の体得ですので、不足のところがあれば指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作: 『精進要旨三』「片付けよ」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/1/14/359597.html)
 
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