無条件で内に向けて探す
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文/山東省の大法弟子

 【明慧日本2017年2月28日】ある日、息子は帰って来て、「おじいちゃんはお母さんのことを怒っていた。まともな仕事に就かないで、一日中、役に立たないことばかりしているって」と言いました。私はそれを聞いて直ぐに内に向けて探し、自分が潜在意識の中で祖父を好きになれないのだとわかりました。以前、祖父が大法に反対していたので、私は祖父のことが気に入らず、軽蔑していました。このことがわかり、私は思いました。「おじいちゃんはかつて偉大な佛、道、神であり、師父の身内であり、救われるためにこの世に来たのです」。それ以後、私は家族や衆生に正念をもって接しました。何かをするときも他の人の立場を考え、私が出遭ったことは、私が関与しているかどうかに関わらず、全て無条件で自分に問題があるかどうかを探しました。

 ある日、私は同修の家を出て、大通りを歩いていると、2人の常人がオートバイを道路の中央に停め、口論しているのを見ました。私は直ぐに内に向けて探し、心の中で「師父、私にも闘争心があります。私はそれを認めず、消滅させます」と言いました。

 夫は常人であり、息子は大法の子供弟子ですが、いつも父親の関を乗り越えることができませんでした。例えば、ある時、私が作った料理を息子は食べたくないと言いました。夫は息子に、「お母さんは大変だとわかっているの? お母さんが何を作っても食べなさい」と言いました。息子は泣き出しました。夫はまた「お前は内に向けて探しなさい。いつもお母さんの悪口を言っているが、内に向けて探して自分を見直しなさい。感謝の気持ちを持ちなさい」など、いろいろと言いました。私は奥の部屋でそれを聞いて、「師父が夫の口を借りて、息子にわからせようとされている。実は夫の全ての行動は、私が人心を取り除いていなかったため、旧勢力にコントロールされ、夫を爆発させたのです。全ては私のせいだ」と思いました。

 それ以来、私はどんな事に出遭っても、誰が正しいか正しくないかを問わず、全ては私が間違っていると思い、相手の一部だけをみるのではなく、同じく、その事柄だけをみるのでもなく、何があっても、全てそれを通じて自分自身の心をみるようにしました。自分の心のどこに問題があるのかをみるのです。

 他の人が怒ると、私はその後、必ず心から相手に謝りました。「全ては私が間違っていました。私はあなたの気持ちを考えず、怒らせてしまいました。申し訳ありません」。他の人に謝った時、私は心から師父に言いました。「師父、これからは必ずしっかり行います。このままにすることはできません。今日誰かに殴られても、私は無条件で、なぜ彼は私を殴ったのか? 私がよくないことをしたのか? と内から探します。たとえ今、私が間違っていなくても、昔の恩讐は返さなければなりません」。一方、私は他の人の立場を考えなければなりません。他の人に謝らなければなりません。これは大法の要求であり、必ず守ります。良いことがあれば、他の人のためを考え、悪いことがあれば、自分の心を内から探さなければなりません。

 現在、私は市場で真相を伝え、三退を勧めた人数は以前よりとても多くなりました。人々は私を見ると微笑んでくれます。私は内心から自分を修めました。たとえどんなに小さなことでも他の人のことを考え、他の人が喜べば、自分はどのようになってもよく、私は嬉しく思いました。私は師父に、「弟子は必ず神の思想、神の境地に近づくよう頑張ります。師父は以前、必ず私達を済度するとおっしゃいました。師父、私は必ず修めます」と言いました。

 さらに、私は悟りました。「私は旧勢力の私自身に対する安排や存在を認めないだけでなく、旧勢力の同修に対する迫害も認めません。家族や衆生に対する迫害も認めません。同修にどんな情況が現われても、同修が何をしても、私は絶対に同修を責めたり、不満をもらしたり、議論したりしません。私は正念をもって、同修に対処し、常人も含めて、正念で対処します。私は決して旧勢力に騙されません」。また、「私の同修は全て良い同修であり、あなた達旧勢力の同修に対する迫害を絶対に認めません。言ったこと、したことは全て同修がしたことではありません。私は認めません。師父はさらに認めません」と言うことができます。

 以前、私はたくさんの間違いを犯しました。心性の関を乗り越えられませんでした。師父はいつも私のそばにいらっしゃり、私はそれを一切考えていませんでした。私が間違いを犯したとき、師父が喜ばれることがありえるでしょうか。師父がそれを望まれるでしょうか。考えていませんでした。本当に師父に対して不敬であり、法に対して不敬でした。師父のご慈悲を無駄にし、真剣に修煉に対処していませんでした。師父の救い済度のご恩に対し、師父に申し訳ありませんでした。

 師父は説かれています。「ご存知のように、佛、神は衆生のため、宇宙の利益のために命を放棄することができ、何でも放棄することができます。しかも、その時平然として動じないのです。もしあなたを佛の位置に置いたら、あなたはそこまで達することができるのでしょうか? できません。もちろん佛、道は本当にこのようなことに遭うことはありませんが、このような境地に達しています。必ず本当に自分を変えてからはじめて、この境地に達することができます」[1]

 私は師父に言いました。「師父、弟子は衆生のために自分の全てを捨てることができます。私自身の圓満を後にしても、衆生が救われることができれば、私はどちらでも構いません。私の命は師父にいただいたのであり、衆生のためにこの世に来たからです」

 私達は旧勢力を認めず、旧勢力が良くない思想や人心を利用して、私達を妨害することを認めません。それを否定し、自分の信念をしっかり把持することが最も重要です。そして、旧勢力がなぜ私達を妨害することができるかを考え、内に向けて探し、自分の問題を真剣に探します。必ず心より心性を修め、少しでも曖昧にすることなく、旧勢力の考えに従ってはいけません。旧勢力が私達の不足を捉え、圓満に向かう道で妨害するのを絶対に許しません。

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 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『米国西部法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/12/10/357154.html)
 
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