文/海外の大法弟子
【明慧日本2018年2月12日】2日間のグループ学法の後、私は心の底から「この心を絶対に取り除く」という強い念を感じ、心の中で師父に誓いました。「師父、私はこのよくない心を取り除かなければなりません。今後、他人の長所だけを見るようにし、長い年月で形成されてきた外に向けて見る習慣や、他人の間違いに執着する観念を改めます」
心からこのように思えた時、私は身体中が熱くなるのを感じ、まるでお風呂に入っているかのようで心も暖まりました。師父が正念を加持して下さり、人心を取り除くようにと励まして下さっていると分かりました。
その後、人心の背後にはどのような要素があるのかと考えた時、そこにあるのはきっと「嫉妬心」と「怨む心」だと分かりました。「嫉妬心」によって私は他人を見下し、たとえその人が良い人でも、その良くない部分しか見えませんでした。たとえば、他人の事が良くないと考えながら自身の心のバランスを取ろうとしていました。「怨む心」があれば、他人の良くないところばかりが見えてきます。特に自分を傷つけた人をなかなか忘れることができず、時間が経つにつれて強烈に「怨む心」が出てきます。
実は、これらの心はすべて共産邪霊のもので、私たちの善良な本性ではなく、絶対に認めるべきではありません。「嫉妬心」の背後にあるのは極端な党文化の要素です。これらのものは常人に害を与えるだけではなく、修煉者も避けなければならず、修煉者は「嫉妬心」を取り除かなければ、正果を得ることができません。しかも、それが同修との関係を壊し、隔たりをもたらし、衆生を救うことにまで悪影響を及ぼしてしまいます。さらに、修煉者が修めて得た「慈悲心」までも弱めてしまいます。
「嫉妬心」によってもたらされるこのような危害は、私自身も深く体得しています。長年、「嫉妬心」を取り除くことができない私は、修煉をする事も衆生を救うことに対しても意欲を失ってしまっていると感じています。時々悩むことがあり、なぜ修煉を始めた当初のように精進できないのかと自問したことがあります。その後の交流のとき同修の一言に気付かせられました。「『轉法輪』の中で、師父はこのようにおっしゃっていますよ。『嫉妬心を無くさなければ、人の修煉した一切の心が脆弱なものになります』[1]」
「『人の修煉した一切の心』[1]とは、どのような心なのだろうか?」と、私は師父のこの説法をずっと理解できませんでした。同修が悟ったのは、「それは修煉者が修めて得る慈悲心、返本帰真しようとする心、大法に同化したい心、精進し続けたい心などなどの正念です」と言われました。
私はなぜ長年悟ることができなかったのかと気づかされ、同修の言葉に啓発され、自分が精進できなかった事の原因を突き止めることができました。さらに、私の精進していない心がもたらす原因は他にもありました。たとえば、真相を伝えることがあまり出来ていないこと、常人の心地よい生活に憧れて安逸な心からなかなか抜け出せないことなどがありました。
最近、「誰々が良くない。誰々が修煉者らしくない」という念が出てくる度に、すぐにそれを排斥し、深く考えないように自分の思想をコントロールし、「このよくない観念を必ず無くす」と言い聞かせました。この強い一念が現われた後、そのよくない考えはすぐに止まりました。これらの良くない考えを排斥することにより、私は以前あまり良くない印象を持っていた同修に対しても、そのよくない印象がなくなったことに気づき、親近感さえも感じるようになりました。師父のご加持に感謝いたします!
これを書き出して同修の皆さんと励まし合いたいと思います。妥当でない部分があれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の著作: 『轉法輪』