真相を伝える時の常人への依頼心を取り除く
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 【明慧日本2017年12月29日】多くの場合、人心が深く隠されている中で、依頼心が意識できないことが時々起こります。ここで同修と分かち合いたいのは、修煉のことと真相を伝える時に常人に依頼することについて最近考えたことです。

 長い間、真相を伝える時、特に公安・検察庁・裁判所および610弁公室の人員に真相を伝える時、真相を聞いた人々に形勢を見極めさせるために、現政権による汚職を懲罰する運動の動き、特に法輪功を迫害した高官が運動の中で裁かれ失脚した例などを真相を伝える助けとして使いました。自分は法理上についてはっきりと認識しており、常人に頼る心もなく、ただ形勢の変化を利用して真相を伝えていると思っていました。

 しかし、最近、師父の経文『冷静さを保とう』と『真相を伝える根本的な目的』を繰り返し学び、真相を伝える考え方がようやく明確になり、以前、真相を伝える中で、常人への依頼心が隠れていたことが見つかりました。

 具体的な表れは、今の権力者の言動について言わなければ、真相をしっかり伝えていないことと同じだといえます。これは実際、一つの依頼心であり、その原因は、学法を深くしていない、または、一部の思惟と原点がまだ常人のレベルであるということです。ここでは、真相を伝える時に今の権力者の言動のことについて言わないことについて、話しているのではなく、同じ真相の内容でさえ、もし出発点が違うと、達した効果に天と地の差がある、ということです。

 真相を伝える時、もし、出発点が常人の中にあれば、内心に権力者への依頼が隠れ、例えば、今の権力者が江沢民集団を裁く時、言葉の中で権力者を褒めたり、さらには「正直な官僚である」のように正義を広めたりすると、迫害に加担した人を裁き、権力者を高く位置付けてしまうことにもなります。

 それに、現在の権力者は共産党の一員でもあり、もし私たちが権力者に依頼して、真相を伝えるとなるとこの権力者は巨大な障碍になり、大法弟子が共産党の本質を伝えることを妨害することにもなります。なぜかというと、この状況の下で共産党の本質をはっきり伝える場合、まず、権力者と共産党を切り分けるのですが、権力者の心の中で共産党について、どのように考えているのかは私達にはわからないのです。それは、真相を聞く人も、これが私たちの一方的な考えであると思いがちだからです。このように真相を伝えると、せいぜい共産党の内部闘争や権力闘争であると見られ、大法弟子に政治に関与する傾向があると、相手に誤解させるかもしれません。

 これでは、師父の『真相を伝える根本的な目的』の中の私達への要求を達していないことになります。もし、この原点の背後に共産党への幻想が隠れていたとしたら、それはもっと悪いことになります。

 その逆に、常人へのあらゆる依頼をなくし、すべて修煉者の正念を以って同じ内容を言ったとしたら、例えば、江沢民グループを裁く時のことを言っても、これが天意であることを相手に教え、導くはずです。迫害に加担した高官の失脚の後ろで、明らかに示されたのは善悪が必ず報われる天理であり、今の権力者も天象の変化の下での一分子であり、善と悪の間で選択しているのです。

 しかも、迫害に加担した官僚が裁かれたことを伝えて、中国共産党の邪悪さを相手に理解してもらい、歴史上共産党はずっと人を見捨てるやり方(文化大革命の後、警官を殺害するなど)で行っていたことを説明します。また、共産党が今まで行ってきた、人権への迫害や伝統文化の破壊、無神論の宣伝、これに対して、伝統文化の中で神を信じる理念および「人の行いは神が見ていること」を説明すると、自然に共産党の邪悪な本質をはっきり説明できます。

 相手が迫害をやめる原因は、善悪は必ず報われるという法理への尊敬の念や大法弟子が圧力の下で危険にさらされながらも真相を伝えていることを理解したことが原因であり、そこから、大法弟子への本当の敬服が生じます。もし私たちが真相をうまく、よく伝えれば、相手の無神論の殻を破り、三退して救われます。

 絶えず学法し、師父の「褒めることも貶すこともしません」[1]という法理についてより深く理解しました。限られた次元の中で、依頼しないという内涵を悟りました(さらにもっと深い内涵はまだ悟っていない)。もし私達が相手に依頼したり、褒めたりしたら、旧勢力は大法弟子が常人に依頼したことを見て、かつての指導者に対処した時のように、大法弟子を取り巻く環境を悪化させることがあるでしょうか?  法理上から判断すれば、それは不可能とは言えません。もし私たちが相手を貶したら、相手を追い出してしまいす。しかも、師父はすべての衆生を救い済度するようにと要求されています(悪の首魁を除く)。

 ここでは真相を伝える原点について同修と交流し、深く隠されている依頼心を取り除くように注意したいと思います。具体的にどのように真相を伝えるか、どんな内容を伝えるか、法の中で啓示を得られるはずです。原点が正しければ、どうのように伝えてもいい効果が出るはずです。

 法を正す過程が最後になりました。限られている時間の中で、同修と一緒に、依頼心や常人や形勢に依頼することを含め、この良くない観念を取り除き、正念と神の念で三つのことをしっかり行ない、師父が私達のために心配しなくてもよくなることを望みます!

 法に基づいていないところがあれば、同修皆さんの慈悲深いご指摘をお願いします。 

 注: 
 [1]  李洪志師父の経文: 『二〇一六年ニューヨーク法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/12/11/357739.html)
 
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