しっかり修めると 師父はすべてを按排される
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文/甘粛省の大法弟子

 【明慧日本2018年4月22日】20年間の修煉過程を振り返ってみると、書きたいことがたくさんあります。それらを整理し、修煉過程に発生した二つの出来事を同修の皆さんと交流したいと思います。足りないところは同修たちのご指摘をお願いします。

 無条件に大法に同化すると師父が全てを按排される

 修煉のなか私はずっと師父のおっしゃった「あなたに一つの真理をお教えしましょう。絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです」[1]、「心性の高さは功の高さ、これは絶対の真理です」[1]をしっかりと心に刻んでいます。

 修煉してから私は姑との関係を長い間うまくできていませんでした。私が夫と知り合ったのは修煉を始める前でした。夫は容姿も家庭の経済状況も私には及びませんでしたが、私は彼の才能を認め、他の方面は気にしませんでした。彼の家族と接触し始めたばかりの頃、私は知らない間に彼と彼の家族を上から目線で見ており、ある優越感に浸っていました。もしかすると、その頃すでに姑と彼の家族を傷つけていたのかも知れません。姑は強い性格の持ち主で、付き合いにくい人として知られていました。だから姑はずっと私によくしてくれませんでした。1995年、私たちが結婚し子供が生まれても、姑は知らん顔をして一切無関心でした。修煉する前はじっと我慢していました。修煉して学法することによって、私たちは何らかの因縁関係で家族になり、私は以前どこかで姑を傷つけたため、今の状況になったのだと分かりました。そこで私はできる限り師父の要求通りに行い、姑との間にトラブルが生じた時は、いつも内に向かって探しました。姑は行政の仕事をしていましたが、中国共産党の党文化がいたるところに現れました。私の悪口を言う時、口にする言葉には一つも汚いものが混ざっていませんでしたので、その当時、自分の悪口を言っていることに気が付きませんでした。後になってそれが分かると心の中が苦しくてたまらなくなり、骨身に沁みる思いをしました。それは直接罵るより何倍もひどいことでした。そこで毎週姑の家に行くのが負担になり、実家の庭から階段を上るまで足も気も重く、今日は何を言われるのかと心配していました。毎回家に戻ってくると必ず夫と喧嘩しました。私はとてもよく頑張っているのに、姑はなぜこんなひどいことをするのだろうか? しかし毎回喧嘩した後はまた後悔し、修煉者として喧嘩してはいけないと思いました。しかし、その時はそこまでしか認識できず、根本的な原因が何かを考えていませんでした。この状態がしばらく続きましたが、それは本当に苦しいことでした。

 ある日、また夫の実家に帰りました。姑の家の前に立った私は突然、自分のどこかが間違っているのではないかと考えました。どうして私は彼女が何かを言うことをいつも恐れていなければならないのか? どの心が刺激されているのか? 自分を気にしすぎているのではないか? 何を気にしているのか? 1人の修練者として、私はどのように行うべきか、いつもこのような状態ではいけません! 心の中で考えました。彼女が何を言うのを恐れているのでしょうか? 何かを言われて自分自身が傷つくのを恐れているのでしょうか? 何かを得ようと考えるのは常人のすることであり、自分が苦労したからいいことがあるべきだと考え、私はこれを求めているのでしょうか? この点に気づくと、心が一気に静まりました。自分の思想(心に思い浮かんだこと。考え)を清め、何の心も持たずに全てに立ち向かい、師父の説かれた「視ても見ざれば」[2]、「聴いても聞かざれば」[2]を思い出し、姑が何を言っても言わせておこうと考えました。結局はその日から彼女の言葉が少なくなり、言っても私には聞こえることはなく、気にもしませんでした。

 とは言え、私と彼女の因縁関係はそれで収まったわけではありません。しかし、トラブルが起きる度に修煉者の基準で自分を律し、内に向かって探し、どこか間違ったところが見つかると自分を調整し、できる限りよく行うようにしました。二十数年来私はずっと彼女とこのように付き合い、自分ではよくやっていると思っていて、多くの人心も放下できているようで、表面上は平穏になったようでした。しかし何かが私の心を動揺させると、各種の恨み、不平不満がまた一気に込み上げてきました。うっぷんを晴らすと数日間平静になりますが、後になって後悔することが何回も繰り返されました。自分の心の中にしこりがあり、それは心の奥底にあってどうすることも出来ません。どうしましょう? 修煉者としてなぜ放下できないのでしょうか? 心の中で何回も繰り返して師父に尋ねました。「師父! 私はどうしたら良いのでしょうか? どうやったらこの心を徹底的に放下し、どうしたらこの関を乗り越えられるのでしょうか?」と尋ねました。

 2014年姑は歳を取るにつれ、健康状態がますます悪くなりました。期待していた娘と下の息子が彼女の面倒を見たがらず、姑はあちこちさすらっていました。姑はこの2人の子供のためにすべてを尽くしていました。一生の間に貯めた貯金は全部娘に与え、最も体の調子がよかった時はずっと下の息子の家族の面倒を見て、彼の子供を育て上げました。歳をとれば彼らが面倒を見てくれると思っていたようですが、それがだめになりました。それで私達夫婦は姑を家に迎えることになりました。ソファーを移動したり、部屋のレイアウトを変え、ベットを置いて姑が安心して住めるようにしました。朝、私が煉功をする時、姑も一緒に坐禅をするようになり、姑の身体は徐々に良くなりました。昼になると私は職場から家に戻って彼女のために食事を作り、夜には子供の面倒を見るようにゆっくり時間をかけて彼女をお風呂に入れ、服を洗濯しました。彼女は心から私に対して恥ずかしくなり、どうすればよいか分からない様子でした。それが私には分かりました。しかし私は深く考えず、ただ自分は修煉者だから何も求めず正しく行うべきだと思いました。何週間か経つと彼女も徐々に私と一緒に生活することに慣れました。その後で舅が迎えに来た時、姑は私と別れたくないようでした。

 実はこれらは全部師父が按排してくださったことです。それは私の放下できない執着心をなくすためです。姑が帰ったあとに気づきましたが、彼女の世話をしたことで、姑に対する恨む心を徹底的に放下できました。以前は姑に対する恨む心をこのようにして放下しよう、あのようにして放下しようと色々試しましたが、本当に執着心を捨てることはできませんでした。師父が按排してくださったこのことを通して、私は本当に放下することができました。本当に不思議でした。しかも私が姑の面倒を見ることで、周りの多くの人が変わりました。中国共産党に加入してから長い時間が経った舅に三退を勧めると、職場で共産党の書記で自分こそ徹底的な党員だと思っていた舅が脱退してくれました。その日、舅は私の前で厳粛に言いました。「私は真剣にあなたに話します。今から中国共産党から脱退します。私のかわりにネット上で声明を発表してください」。あとで姑も自分で仮名をつけて三退しました。夫の弟とその妻も三退しました。しかもこれから家族に何かあったら、私に従うから私が決めればいいと言ってくれました。

 このことを通して私は悟りました。修煉者として無条件に大法に同化し、肝心な時に自分を放下し、大法の基準で自分を律し、正しく行うことさえできれば、師父は一切を按排してくださいます。

 修煉者だからといって苦を嘗め、難に遭うべきではない

 夫は修煉者ではありません。彼は修煉に入ることが中々できませんでしたが、法を信じ、師父を信じていました。長年の間、私が修煉を放棄しないことで、彼は職場で大きな圧力を受けました。彼は元々前途が明るく、上司たちもみな期待していた人物でした。法輪大法への迫害が始まってから私が修煉を放棄せず、彼は家庭を放棄しないということで、職場では大きな圧力をかけられました。まず、2年の停職処分を受け、その後、永遠に抜擢されないと言われました。その後2年間、同僚達はみな彼を避けて、誰一人として彼と話すことをしませんでした。彼も一度は極端に落ち込み、ある時期は苦しみ抜き、本当に崩壊寸前でした。彼は職場ですごい能力を持っていましたが、職場はどうしても彼を採用せず、今まで彼はずっと見放されていました。

 夫は私に「師父は、修煉者には福の報いがあると教えられたが、私が見たところ、なぜ修煉者と家族はみな苦しんで大きな苦痛に耐えなければならないのか? ある人達は仕事も家族もなくなり、強制連行され、殴られて、甚だしきに至っては命まで失っています。 周りの人達は理解しないで嘲笑(あざわら)っているし、このような苦しい目に遭うのが修煉なのか?」と聞きました。

 もちろん彼は常人で、真面目に修煉したこともなく、真に執着心を放下したこともないし、大法の法理も知らないので、我々が何を得るか知る術もありません。私は「あなたが見たのは全部、表面的なものだけです。このような社会環境の中で私達は多くのものを失ったように見えますが、私の身体から大法の不思議さを感じたでしょう。大法を修煉してから身体がよくなり、心性も向上し、常人社会において名誉や利益などを求めなくなり、平穏に生活することが出来るようになりました。我々が得られるものは精神的な解脱で、大自在であり、常人の中のいかなることも私を縛り付けることができません。これこそ私が大法を放棄せずに、大法修煉を続けている真の理由ですよ」と答えました。

 この二十年余りの間、師父の新しい経文が出れば、私はいつも夫に読み聞かせ、自分で判断させました。も徐々にいくつかの執着心が薄れていき、以前のようにこだわらなくなりました。2017年の年末、大法がに福を与え、以前の見方を徹底的に変えました。それは彼らの職場で一部の職員を6級職員に昇級させることになりました。6級職員に昇級すれば、給料、ボーナス、住宅の配分などが全部ランクアップします。定員は50人しかいなかったのですが、500人近くが応募しました。各種の審査が必要で、条件はとても厳しかったのです。しかしはすべての要求を満たしていたので、私はふざけてに「これは、わざとあなたのために作ったようなもので、あなたが一番条件を満たしています」。私たち夫婦は話し合った後、どんな心も起こすべきではなく、何も求めずに自然に任せることにし、あってもなくても気にせず、心を放下するようにしました。

 ここで私は少し補足したいと思います。これほど長い時間修煉し続ける中で、私たちは譲ることや放棄することが習慣になり、修煉者はいい生活をするべきではないと思い、かつ苦の中で修煉することになれていました。彼らの部門は党と直接関係する部門で、全ての人が入党しなければならず、他の党派に入ることすら許されていません。職場では入党していないため、上司は何度も入党を勧められ、党に入らなければ他の部門に移動しなければならないと面談しました。は年もとったため、多くの部門は受け入れようとしませんでした。入党しないことによる結末を私たちははっきりと知っていました。も動揺したことがあり、私に「師父は入党した人は脱党すればいいとおっしゃっているから、先に党してから脱党したらどうかな? このようにすれば私は今の仕事を保てるのだが」と聞いてきました。よく考えてから行動するように私は伝えました。その後、彼は「党すること自体を経験しなければならないなんて、考えるだけで苦痛だ。自分は良心に背いてすることはできない。いや、入らないことにする」。後で彼は上司に党しないと伝えました。どのような結果になっても後悔しない、たとえボイラ-焚きでも良いと思いました。しかし何があったか分かりませんが、あれ以来上司は二度と党の話をしませんでした。

 審査の結果が出ました。は6級職員に当選し、しかも圧倒的な多数表での当選で、は感動しました。「師父が私を見守ってくださっています。全部、師父が助けでくださったからです。長年の心のしこりがなくなりました。今私は毎日の生活がとても幸せで、欲しかったものも手に入りました。本当にうれしいです。師父に感謝いたします!」と心からそう言いました。

 このことを通して私たちは悟りました。私たちが様々な執着心を放下し、正しいやり方を選んだから、師父はこの一切を按排してくださいました。もう一つ話したいことがあります。は修煉しておらず、毎日肉を食べ、酒を飲み、タバコを吸っていますが、身体の調子がよく、何の病気もありません。例えば朝起きて風邪の症状が現れても、午後になると良くなるなど本当に不思議で、自身もそう思っています。周りの友人に聞かれたら、はよくこう話します。「うちには法輪大法の修煉者がいます。大法はこのように不思議です。私には何の問題もありません」

 今私達は幸せな暮らしをしています。子供にも福の報いがあり、自分が望んだ仕事をやっています。以前、大法弟子はいつも苦をなめる状態で修煉するしかないと思っていましたが、実はそうではありません。あなたが修煉者の基準に達したら、師父は一切を按排してくださいます。慈悲で偉大なる師父に感謝いたします!

 以上は個人の体験ですので、妥当でないところがあれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [2] 李洪志師父の著作:『洪吟』「道の中」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/2/23/362055.html)
 
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