10年の冤罪を受けた南京の成海燕さん 迫害死
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 【明慧日本2018年4月17日】中国共産党による法輪功学習者への18年間にわたる迫害を受け、南京市の法輪功学習者・成海燕さんは懲役10年の不当な実刑判決を宣告された。これまでに精神病院で2カ月半拘禁され、3回の拘留、5回の家宅捜索を受け、何回か思想改造施設に拘禁され、軍人の夫との離婚を強要されたなどの迫害を受けた。その後、2018年3月28日に冤罪の晴れないまま死亡した。享年63歳であった。


成海燕さん

 中国共産党による成さんへの迫害は、死亡の直前まで緩まなかった。

 成さんは元中国薬科大学の助教授で、軍人である夫の仕事を支持するため、自分の研究事業を放棄して、江蘇省物質会社本部のアパレル部のマネジャーを務めていた。1998年、成さんは深刻なB型肝炎を患い、肝硬変に悪化しそうになり、病院では全く治療の施しようがなかった。しかし、法輪功を修煉してわずか1カ月後に病気が消え、健康になり、道徳水準も高まった。成さんは真・善・忍にしたがって物事に対処することができるようになった。

 夫は軍隊の上級職の官僚で、成さんが修煉する前、夫とのトラブルが度々あったが、修煉した後、夫との関係が良くなり、夫は「軍人の妻は皆法輪功を煉れば、軍人は皆幸せになれる」と感激して言った。

 2000年9月29日、成さんは、北京に出張へ行く途中、南京駅でカバンの中に入っていた『轉法輪』を突き止められ、即座に連行され、不当に家宅捜索を受けた。「上級職の軍人官僚の家には、どれほど財産があるのだろうか」と警官らは貪り期待したが、成さんの家はかなり簡素で、豪華なものがなに一つなかったので、がっかりした。

 成さんは法輪功の修煉を放棄しようとしなかったため、2000年12月12日、警官らに精神病院に入れられ、2カ月半にわたり迫害を受けた。

 当時、南京の軍隊内部の共産党書記・温中仁(この人物は2004年に報いに遭い死亡)が自ら、夫との離婚を成さんに強要した。江蘇省610弁公室の主任・王栄生も様々な手段を使って、成さんを離婚させようとした。夫の仕事に影響を与えないように、成さんはやむを得ず離婚協議書にサインした。それだけにとどまらず、当局は3カ月も経たない内に成さんの夫に他の面識のない女性と結婚させた。こうして当局は2人の復縁を徹底的に途絶えさせた。

 2001年9月19日、成さんは法輪功についての真相資料を配布したため、徐州市青年派出所の警官に不当に連行され、拘禁され、十字手錠と足かせを嵌められて十数時間にわたって拷問を受けたあげく、腕と足首が腫れ上がり、傷跡がずっと残っていた。

 成さんは徐州市曇龍区裁判所に懲役10年の実刑判決を宣告され、南通刑務所に収監された。うす暗い建物の中に閉じ込められ、食事やトイレ、睡眠のすべてを小さな個室で行い、殺人犯や麻薬依存症患者、売春婦十数人らに順番に痛めつけられた。家族との面会や電話での連絡など一切禁止された。常に刑務所の警官らに罵られ、侮辱され、洗脳を受け、さらに、ご飯の中に投薬されるなどの迫害が6年間も続いた。2009年4月21日に家族が引き受け人となり、やっと保釈された。

 保釈された成さんは帰る家がないため親戚の家に泊まり、生活のためにある薬局にアルバイトで勤務し始めた。2011年、成さんは友人を訪れた際、そこで待ち伏せていた警官らに連行された。2013年5月、成さんは再度行方不明になったが、国外、国内の正義感のある人々に救出され帰宅した。2014年3月、成さんは再度連行された。

 2015年5月、南京江寧区の警官ら7、8人が、成さんの住宅の付近で待ち伏せをした。5月24日、成さんを連行し、不当に家宅捜索を行った。

 ここ数年来、成さんが受けた迫害はますます酷くなった。祝日、いわゆる敏感日4.257.20など)の日には、尾行され監視人が必ずついており、電話を盗聴したり、ショ-トメッセージなどを受信できなくした。ビルには監視カメラが設置され、住宅区の役人らに洗脳的教育を強要された。

 残酷な迫害と多大な精神的プレシャーを受けた成さんは、健康状態が日増しに悪化し続け、今年2018年3月28日に冤罪の晴れないまま死亡した。死亡の直前まで、当局は成さんへの迫害を緩めなかったという。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/4/6/363763.html)
 
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