「自我を実証する」心を軽視してはいけない
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文╱中国の大法弟子

 【明慧日本2018年12月18日】2008年から2009年の間に起きた事です。時間ははっきり覚えていませんが、私の左の鼻からよく鼻血が出ていました。

 以前もこの鼻孔からよく鼻血が出ていました。しかし、大法修煉をした後、師父は私の体を浄化してくださりすっかり良くなりました。ですから、再びこのような症状が出てもあまり気にせず、また体を浄化してくださっているのではないかと思いました。しかし、しばらくしてから下半身からも出血し始め、しかも半年もの長きに渡って続きました。この状態は良くないので、内に向けて探さなければならないと思いました。しかし、随分探しましたが、どこに問題があるのかなかなか分かりませんでした。

 ある日、私は両足を組み、両手で印を結び、いったいどこが間違っているのか、それを啓発してくださるようにと師父に何度も何度もお願いしました。すると突然、私の脳裏に「自分の心より魔が生じる」[1] という言葉が浮かびました。私は一瞬固まってしまい、「自分の心より魔が生じる」ということであれば、相当恐ろしい事だと思い、大変驚きました。

 いったいどういうことなのか? 内に向けて真剣に探し、この数年の修煉の道を振り返って考えてみました。2007年から私は真相資料を作り始め、小さい範囲ですが協調する仕事も担当しました。2008年、北京でオリンピックを開催するため、中国共産党は気が狂ったかのように大法弟子を迫害し、環境もとても厳しいものになりました。そのため、一部の同修は私が作った資料を受け取ることに躊躇し、一部の真相シールを誰も受け取らなくなりました。そこで、私は自ら真相資料を貼りに外に出ることを決意しました。そうしているうちに、「自我を実証する」心が次第に膨らみ大きくなりました。「自分は他の人より優れている、私は凄い、皆が恐れているのに、私は恐れていない」、この「顕示心」と「歓喜心」は魔に利用されました。自分のこの膨らんだ人心、つまり「自我を実証したい」という心は魔に乗じられやすいのです。そして、「自分の心より魔が生じる」という結果をもたらしました。

 実際、法を実証する中で私達が行ったすべての事は師父によって行われ、師父が人を救っておられるのです。私達はただ手を動かし、足を動かしているだけなのに、自慢したり、自惚れる心があって、いいものでしょうか? ですから、修煉の過程においては、くれぐれも「自我を実証する心」を持たないように注意しなければならないと思いました。

 この問題に気づいてから、私の身体は直ちに正常に戻りました。また、現在に至るまで、左の鼻から再び鼻血が出ることもなくなりました。

 この数年間の修煉を通して、「自我を実証する」という心は実に恐ろしいもので、それは「自分の心より魔が生じること」をもたらす原因となっていることが分かりました。この「自我を実証する」心は、嫉妬心から派生したものでもあり、その顕れ方としては、思い上がり、顕示心、人を軽蔑する心、人の話を聞かない、人の上に立ちたい、人に強要する、優しい心がない、時には闘争心、怨恨心としても顕れてきます。それはまさしく中国共産党のあの邪悪な「恨み」と同じではないでしょうか? しかも、この心は我々の生活の中であらゆる面に顕れ、我々の身体のすべての細胞に浸透しているのです。ですから、修煉の過程においては、必ず「自我を実証する」という汚い心を取り除き、「自分の心より魔が生じること」に隙に乗じられないようにし、旧勢力に口実を与えないようにしなければならないと思いました。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/11/25/377538.html)
 
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