執着心をもったまま 真相を伝えることはできない
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文/海外の大法弟子

 【明慧日本2018年12月13日】執着心が取り除かれていない場合、その執着心は自分の周囲の衆生の身にも反映してしまいます。

 今日の昼食時、私は同僚たちに法輪功真相を伝えようと思いました。しかし、なかなかその話題には移らず、食べ物の話から始まり、どこの唐辛子が美味しいとか、香港の不動産や物価、最後には香港の歴史にまで話が及びました。歴史に言及した時、同僚の1人がある歴史事件の年代を懸命に思い出そうとしましたが、まるで自分の歴史の知識の豊富さをアピールしているかのようでした。こうして、昼休みが終わるまで、私は遂に真相を伝えるチャンスがありませんでした。

 同僚たちの分かっている一面は私から真相を聞きたがっていると、私にはよく分かっていました。しかし、どうして私に真相を伝えるチャンスがなかったのでしょうか?

 内に向けて探すと、「同僚たちの話題のほとんどが、全て私がきれいに取り除いていない執着心を表している」と分かりました。最近、私は美味しい物にこだわり、毎回食事をする時、何を食べようとか、何を食べたくないとかばかり考えていました。そのため、同僚たちは食べ物についてたっぷり時間をかけて話しました。

 最近、私は香港の文化に関心を持つようになり、昨日も香港の有名な映画スターに関するものを見ました。そのせいか、同僚たちは昼食時間ずっと香港の話をしていました。

 その他に、最近、私は常人の知識に執着し、いろんな面から歴史や経済の知識を豊富にし、これらを利用して真相を伝えようとしました。実は、いつの間にか自分を実証したいという落とし穴に落ちてしまったにもかかわらず、気付きませんでした。あの同僚が歴史の知識をアピールしようとする振る舞いは、正しく私の執着そのものと同じではありませんか!

 以前、自分の修煉状態が良かった時、何も言わなくても、周囲の同僚は自発的に法輪功の真相を尋ねました。一緒に食事をする時、話題はすぐに真相に関する内容に移り、衆生が真相を知りたい、真相を求めているととても強く感じました。しかし、最近の私は修煉を疎かにし、人心も多くなり、真相を伝える際に妨害がとても多くなりました。こういう場合、例え、自分が大法の真相を伝えようとしても、相手は聞こうとせず、時には真相を伝えるチャンスすら与えられませんでした。

 しっかり自分を修めることは本当に重要です! しかも、私たちの目標は「修して執著を一つも漏らすこと無きを得れば」[1] としています。真相を伝える中で、もし自分の修煉状態が良くなければ、その日の衆生の救い済度に損失をもたらし、甚だしきに至っては、挽回することができない損失であるかもしれません。

 ですから、毎日法を学び、正念を発し、煉功することは全て極めて重要です。もし、何か執着心があると気付いたならば、そのまま放置せず、早くそれを取り除き、師父が法を正される最後の肝心な時に、衆生の救い済度に影響を及ぼさないようにしなければなりません。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟』「迷いの中で修める」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/11/3/376613.html)
 
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