文/アメリカの大法弟子
【明慧日本2018年11月25日】つい最近、少なくとも3人の同修が私の前で、ある女性同修Aさんの悪口を言っていました。私も同修Aさんに不満があったため、ついつい同修Aさんの良くないところや執着心などを一緒になって喋ってしまいました。
しかし、今日明慧ネットの交流文章を読んだ後、私は自分が陰で同修の愚痴を言ってはいけないことに気づきました。私は同修に対して善と慈悲心がありませんでした。いつものことですが、もし誰かが私の前で、自分の気にいらない同修の悪口を言ったら、私もやっと発散する場があったみたいに、思い切り同修の陰口を言っていましました。今日、内に向けて探したところ、これはいけないことだとわかりました。同修はよく修めていないところがあるかもしれませんが、れっきとした師父の大法弟子なのです。この同修は修煉がよく出来ていないとか、あの同修は次元が落ちたとかは、同修自身も望んでいることではありません。もし、私達が皆同修の悪口を言ってしまうのなら、知らないうちに同修との隔たりを作ってしまい、同修の難も大きくなり、同修の状態も良くならないかもしれません。
同修が自分の執着に気づかない時、周りの同修の助けが必要です。私達は交流する機会を探し、交流する時に陰口ではなく、正々堂々と法に基づいて、同修に対しての良くない思いや不満、修煉者としてのあり方を正直に同修に伝えた方がよいと思います。
同修を非難したり、責めたりすることで、同修の修煉状態が良くなるとは限らないのです。反対に私達は、同修のよく修めているところをみるべきです。そして、慈悲な心で同修が気づかないところを指摘した方が、同修のためになるのです。
同修の執着に執着すると、きっと自分の方にも執着があると私は思います。
わずかな心得ですが、この認識に間違ったところがあれば、同修の慈悲なる指摘をお願いします。