同修を助けることも自分を修めること
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2018年10月11日】少し前に、現地の同修が関や難に遭遇しました。同修の状況がわかっているので、彼女と接触している同修に彼女を助けてもらいました。実はすべてが師父が助けられ、ご加護されました。

 この同修は難の前で何回も繰り返しましたが、師父のご加護のおかげで、やっと乗り越えることができました。この同修はずっと精進して、さらに大きく向上しました。

 同修を助ける過程で、私にうまく出来なかったところがあります。例えば、ある同修が難に遭遇した状況を話したことがあります。自分も修煉者で、師父と大法の要求からかなり離れていますから、口から出た話のすべてが正しいとは限らないのですが、、ある同修は常人が笑い話をするかのように、当初話した法に準じなかった内容を、県内で言い広め大騒ぎを起こしました。もうだいぶ時間が経っていますが、ある同修は急に当初の難に遭遇していたその同修に「誰々があの時あなたのことを、〇〇だと言いましたよ」と話しました。これは同修に執着心を起こさせ、よくない結末を引き起こすことになってしまいました。

 私は様々な方面で法に準じていないところがあるとわかっています。その時、うまく口を修めることが出来なかったので、このことが現れたのかもしれません。つまり、同修が他の人のうまく出来ていないところに気づいたら、難に遭遇した同修ではなく、本人を見つけて指摘すべきだと思います。本人にとっても高めるチャンスになります。今後、必ず師父のおっしゃる通りに、よく自分自身を修め、口を修め、「世の堕落を窒ぎる」(世の堕落をふさぎきる)のようになりたいです。

 表現に制限があり、不足のところは同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「普く照らす」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/9/30/375151.html)
 
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