「韓信が忍んで股下を潜る」についての所感
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2018年7月31日】師父が『轉法輪』の中で大きな忍の心について説かれた時に、「韓信が忍んで股下を潜(くぐ)る」という例を挙げられました。以前の自分は、ならず者を殺せないがゆえに、股の下を潜るという古人の行為は、単に単純な行為であると考えていました。殺せないのなら、なぜ拒否しないのだろうか、あるいは無視して、そのまま立ち去ることも出来たはずではないか、なぜ股の下を潜ることを選択したのだろうかと思い、理解できませんでした。しかし今日の学法で、この話について、さらに新たな認識ができ、韓信の偉さがわかりました。

 日常生活の中で、様々なトラブルに遭遇することがあります。これらのトラブルは、上辺だけを見れば、ほとんど理不尽な事ばかりですが、偶然ではないことが分かります。その時、もし回避することや拒否することを選べば、一見、トラブルが避けられたように見えますが、実質的には自分の業力が全然取り除かれていませんので、同じトラブルがいずれ、どこかで再び現れてくることは確かです。韓信のように穏やかな心情で矛盾と向き合い、大きな忍の心を持ってそのことに対処することが出来れば、常人の次元から見ると、確かに損をしているように見えたり、あるいは愚かに見えたりします。しかしながら、韓信の忍んで股下を潜る行為は、真に矛盾を解消させ、業力を取り除くことが出来るのです。トラブルの中で是非を判断することに執着せず、クドクドと弁明することや弁解することも必要ありません。私達にただ必要なのは、ひたすら内に向けて探し、真に自分を修めてこそ、初めてトラブルの中で向上していけるのです。

 個人の悟りなので、正しくないところがあれば、同修の慈悲なるご叱正をお願いします。    合掌

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/7/25/371440.html)
 
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