同修間で絶対に隔たりを作ってはならない
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2018年4月28日】以下は私が自ら経験したことを書き出しました。これらが皆さんの注意喚起となれば幸いです。

 数カ月前、グループ学法に参加したとき、私はA市の同修について言及しました。当時、A市の同修たちは弁護士を通じて同修を救出する過程でトラブルに遭いました。

 A市の同修たちが直面しているトラブルは、彼らの歓喜心と顕示心によってもたらされたことだと思い込んだ私は学法の後、ぺらぺらと彼らの不足を列挙し始めました。その直後、自分が言い過ぎたかもしれないと思って、「やはり私たちは内に向けて探し、発正念も強化すべきです」と一言を付け加えました。

 帰宅後、少し疲れた私は仮眠する中である夢を見ました。薄暗くてとても深い山の洞窟の前に立つ私には、次のような一念が過(よぎ)りました。「この洞窟の20層以下のところに行かなければならない」 

 ビックリして目が覚めた私は驚愕すると共に、一種の恐怖感を覚えました。「私はどんな大きな間違いを犯して、そこに行かなければならないの?! 20層以下と言えば、地獄の20層以下ではないのか?」 

 驚愕から少しずつ落ち着きを取り戻しながら私は内に向けて探し、「なぜこうなったの? 私は何をしたの?」と考えました。そこで、グループ学法のとき、自分がA市の同修たちについてあまりよくない発言をしていた場面が頭に浮かんできました。すぐに、私は先ほどの夢がその発言と関係があると分かりました。同修たちのことに触れた際、いかにも彼らのためにと思って発言したのですが、実際、発言の裏には怨みの心や嫉妬心、闘争心、放下できていない自我が深く隠されていました。A市の同修たちがトラブルや妨害に遭った際、私は口では彼らのために発正念をすると言いながら、内心では痛快さを覚えました。「ほらほら、あなた達はいつも自惚れて私たちのことを非難するが、なぜあなた達はいつもトラブルに遭うの? 他でもなく、あなた達には顕示心や歓喜心があるからではないか?」

 実は、私がA市の同修たちに対して不満を抱くことは一日二日ではありませんでした。彼らに傷つけられた思いがある私は、彼らを思い出す度に心がうずきます。怨みが出てきた時、取り除いてはいたものの、徹底的に放下することができませんでした。今回、A市でトラブルが再び現れ、私はこの「チャンス」を掴んで同修たちの前で彼らを厳しく指摘し、やっと鬱憤を晴らしました。

 今になって気づいたのですが、グループ学法の際、同修たちの前でA市の同修を責めたり非難したりすると同時に、私は自分が抱く怨みをさらに多くの同修のところまで拡散させたのではありませんか? その直後に、「内に向けて探しましょう。正念で同修を加持しましょう」と狡猾に言ったものの、明らかに地元の同修たちはすでに私から影響を受けたと感じました。それならば、さらに多くの同修はA市の同修に対して、不満を抱くことになるのではありませんか? 私によって、地元とA市の同修の間に隔たりや対立が引き起こされてしまったのではありませんか?

 A市がトラブルに遭ったこの時期こそ、さらに多くの同修の正念による加持や助けが必要です。私がもたらした隔たりによって、地元の同修たちはどうして純粋な心でA市を加持できるでしょうか? 逆の作用しか働きません。私によって執着を引き起こされた同修たちがこの問題で次元が落ちたなら、どれだけの衆生を毀(こわ)すことになるでしょう。私はとんでもない悪事をしでかし、破壊作用を働いたのではありませんか?

 この時、私は初めて問題の重大さに気づき後悔しきれず、居ても立ってもいられず、どうすれば良いのかと悩みました。そこで「早くこのマイナスの影響を取り除こう!」という一念が現れました。

 同修の1人1人に説明していくには、今となってはもう間に合わないと考えた私は、皆に手紙を出すことにしました。手紙の中で、私は同修たちに誠心誠意謝罪し、自分のしでかした誤りを伝え、率直に自分が隔たりを作ってしまった問題を述べ、自分の醜悪な怨みや嫉妬心、闘争心などの執着を暴露させ、「私の偽善に影響されて惑うことなく、A市の同修たちに対してマイナスの考えを持たないように」という願いを込めました。

 手紙を全員に送ってから、心が少し楽になりました。

 その後、ある同修は「皆が手紙を見てから問題を認識しました」と言ってくれました。その時、大きな損失をもたらさずに済んで良かったと思いました。師父の慈悲なるご教化(人を教え、よい影響を与えて善に導くこと)のお陰で、私はこの件において大きな過ちを犯さずに済みました。そうでなければ、結果は本当に想像がつきません。

 この件による教訓はあまりにも深刻だったので、私は内に向けて探し、嫉妬心や闘争心を取り除くことの重要性、口を修めることの重要性がはっきり分かりました。個人的に執着や人心があって一時的に関を乗り越えられなくても、できるだけ取り除いていけば済む話です。しかし、口を修めず、同修間で個人的な怨みや憤りを発散させ、多くの同修に悪影響を与えて隔たりを作ってしまえば、それこそ一大事になります。宇宙の法が正されることはものすごく重大なことで、全体に妨害や破壊をもたらす罪はとてつもなく大きいものです。18層の地獄に落ちたとしても、おそらく、それでもまだ罪を償うことはできないでしょう!

 その件以来、数カ月が過ぎましたが、私は常に自分を戒めてきましたが、書き出そうとは考えませんでした。この間、ある同修は自分の意見に固守し、他の同修に協力し合えず、私と似たようなことをしてしまっても、事の重大性さえ気づきませんでした。それを見た私は自分の経験を思い出して、早速その同修と交流しました。私から話を聞いた同修は非常に震撼し、そこから目覚め、できるだけ早く償いたいと言いました。

 上記のことを受け、私は自分の教訓を書き出して、より多くの同修に注意を促したいのです。どんなに辛くても、どんなに悔しくても、どんなに不公平だと感じても、どんなに納得がいかないと思っていても、必ず内に向けて探して下さい。当事者の同修と面と向かって個別に交流しても良いのです。絶対に口を修めなくてはならず、絶対に自分の魔性を放任させてはならず、絶対に狡猾な人心を持って、さらに多くの同修の間で絶対に隔たりを作ってはなりません! 自分の修煉の道のりにおいて想像もつかない障碍を増やし、大きな損失をもたらさないで下さい。そのようなことをしてしまった同修はできる限りの償いを行ない、マイナスの影響を挽回するように努めましょう!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/4/11/364018.html)
 
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