法輪大法は心身を受益させ 卑下する心を克服させる
■ 印刷版
 
文/カナダの大法弟子

 【明慧日本2018年7月19日】小さい時から、私はこの世界に対して多くの好奇心を抱いていました。それから、過去をいつも懐かしみ、現実のこの生活はとても苦しいものだと思っていました。図書館の中で私はたくさんの天文学の本を調べては望遠鏡で月を観察し、宇宙の大きさを想像したことがあります。また、私は「自分がこの世界に来た目的は何なのか」についてずっと疑問を持っていました。それ以後、私はよく特殊な書籍あるいは小説を読むようになり、人生の意義に対して探求していました。しかし、1冊1冊の本を読み終わる度に、相変わらず失望を感じていました。

 16歳の時高い授業料を払って、ある瞑想法を学んだことがあります。しかし、私は続けることができませんでした。何故なら、座禅の時に入静できないからです。ましてや精神的な指導法もなく、このような方法で自分の困惑を解決することもできませんでした。時間が速く過ぎ去って、自分が困惑している問題の解答が見つからないまま、内心では非常にむなしさを感じていました。

 一、身体と内心の変化

 2003年、私は東南アジアに帰って3カ月間滞在し、そして故郷で法輪大法に出会いました。地方の法輪大法修煉者はそこのチャイナタウンに来て、法輪功功法を紹介していました。皆が黄色の服を着て、中の1人は1枚の宣伝ビラを渡してくれました。私はそのビラを読んで学びたいと思いました。

 家に戻って6カ月後、私は家の近くの修煉者と連絡を取り、学び始めました。最初、私は主に煉功を中心にして、大法の書籍を毎週1回くらい読むペースでした。2006年の時に長男が生まれ、産休の時間を利用して毎日煉功し、学法をしました。これにより、私の身体と内心は大きく変化しました。例えば、腰痛が消えて、酒をやめられるようになり、法輪の回転も感じることができ、これは師父が自分を励まし下さっているのだと思いました。ある日の夜、今まで単盤しかできなかった自分は、双盤を始めようと考え、その日、本当に13分間双盤ができ、痛みもありませんでした。

 その頃の私には社交不安障害SAD(社交不安障害、社会恐怖、あがり症)がありました。2年にわたって心理治療を行う医師を訪問し、自らサポートする討論会にも参加してきました。主人の仕事は夜勤で、息子は毎週、2日間ほど家にいないので、私は討論会に参加しないことにし、家で法輪大法の勉強に専念しました。このように、大法の師父は私を社交不安障害SADから脱出できるように助けて下さいました。

 私は、大法とは何かあるいは大法を学んだら何のメリットがあるのかを人々に紹介する時、よくこの例を挙げました。法輪大法の「真・善・忍」は確かに私の内心を強くさせ、安全性と自信を持たせてくれるようになりました。時には、自分は1人でいることを好みますが、しかしこの頃は、すでに人と付き合うのが苦手な過去の自分とはサヨナラしました。

 二、家族が受益したこと

 この数年来、私と家族は師父から多大な恩恵を受けました。私が修煉して間もなく、今の仕事に就職しました。現在のこの仕事の環境は、仕事と家庭の両立ができ、同時に人々に法輪大法を紹介する機会もありました。

 若い時、何人かの予言者に偶然出会ったことがあります。その中の1人は、いつ主人が自分の生活の中に現われ、そして、18年後に飛行機の墜落事故で命を落とすと私に教えました。私はこの話をはっきりと覚えているので、心の中では多少不安を感じていました。現時点で、私と主人はすでに22年以上一緒に生活していますので、師父は主人の人生の道をすでに改めて按排して下さったと私は実感しています。主人と一緒にいるからこそ、私は時間を有効に使い、多くの大法の活動に参加することができました。学法や同修との交流を通して、私は婚姻の重要性も分かりました。そこで、去年の夏に私と主人は同棲生活に決着を付け、正式に入籍しました。修煉者として、今の生活が正々堂々としたものであると感じています。

 2人の息子も時々『轉法輪』を読みます。それは法輪大法の著作の中で最も重要な書籍です。不思議なのは、私が修煉をしっかりと行うことができ、あるいは、朝煉功を怠らない日に限り、息子たちが『轉法輪』を自ら進んで読むことに気づきました。この事から、実際の自分の行動で子供を教育することは、ただ口で言うだけの教育より効果的であることを悟りました。私は子供の理解力に合わせて、自分の修煉の会得を分かち合いながら、自分も身をもって手本を示しています。

 修煉して以来、私はいくつかの夢を見ました。その中に良い徴候の夢もいくつかありました。それは師父が如何にしたら修煉の道をしっかりと歩めるかを諭して下さいました。時間の緊迫性に気づかせてもらえる夢もあり、夢の中の自分は遅れていたため、足が地面から浮いているかのように懸命に走っても、いくら走っても息苦しい感じがしないのです。

 三、執着心を取り除く

 最近、私はとても長いリスト(一覧表)を書き出しました。それには自分の幼い頃から大人になるまで犯した間違い事が並べられています。他人から見れば大したことではないかも知れませんが、過去の自分はこれらを思い出す度、うしろめたさを感じました。そもそも、今までの自分は人に拒否されるのを恐れて、完璧を求めていました。今の自分は、法輪大法はすでに最高で最も良い準則を提供して下さっていることを知り、過去の中に存在していた卑下する心は、今後に対してプラスの影響が全くなく、逆に人を元の場所に停滞させることを認識することができました。

 以前、自分が憤慨したことや苦しんでいたこと、あるいは不平不満を感じたことに対して、今の自分は平然と直面することができます。多くの事は私の様々な執着心を取り除くために出現してきたものだと、自分には分かりました。時にはうまくいかなかったり、あるいは進展が遅かったりすることもありますが、それでも自分は少しずつ進んでいると思います。

 人々に法輪大法あるいは神韻を伝える機会がある時、心の中は喜びに満ち溢れ、これは自分のするべきこと、使命なのです。困難に直面した時、「執着心が多かろうが少なかろうが、自分のすべてのよくない執着心を放下する」と自分に言い聞かせるのです。そして、ポケットの中から沢山の小石を取り出して、地面に捨てたような感覚を覚えます。そのあと、自分は本当に楽になります。

 師父の寛容さと慈悲に感謝いたします。今後の道をさらにしっかりと歩むことを確信しました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/7/2/370470.html)
 
関連文章