すぐそばにいる女の子は 私の心を映す鏡
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2018年7月5日】我が家は1人の女の子を養子として迎えました。それは2017年後半の頃でした。その子は現在12歳で、息子の嫁の姪っ子です。幼いころに父親が病気で亡くなり、母親は持病のために実家に戻ってしまいました。3人の子供は祖父母に育てられました。祖父が亡くなった時に、祖母はすでに80歳でした。嫁は両親の負担を軽減するため、その女の子を養子として家に連れて来ました。

 女の子はとても内気で無口です。自分の思いを家族の私達に伝えることが苦手で、自分の意に反するような言葉を耳にするとすぐに部屋に閉じこもって、涙を流して誰の説得も聞き入れません。この子の様子を見て、「こんな子供もいるんだ」と思い、私はどうしたものかと心に負担を感じました。家族も皆やはり私と同じように負担を感じていました。

 しかし、この子が家に来たのは、何の理由もなく来たわけではないと思いました。私は大法を修めており、毎日の出来事はすべて私に関わっているはずです。もしかすると、この女の子は大法と縁のある生命かもしれないと思い、自分のすべての人心を放下すべきだと思いました。彼女の機嫌のよい時に、私は「法輪大法は素晴らしいものですよ」と教えました。そして、「わがままな行動を取ってはいけないし、これからはもっと前向きに、明るい子になってほしい」と言い聞かせました。 

 けれども、人の性格を変えることはとても難しいことだとわかりました。時々、女の子の行動や言葉遣いが悪かったりし、過ちを隠そうとして、教養に欠けた行動を取ったりします。話かけても聞こえてないふりをして、すぐに返事をしてくれない時もあります。女の子のこのひねくれた性格が時々しゃくにさわって、厳しく指摘するのですが、彼女は他人の忠告に耳を貸そうとしないのです。女の子の行動が毎日、映像のように目の前に映し出されているようで、私の心は休まることがありませんでした。つい息子に女の子の愚痴をこぼしていました。

 心を静めて自分を見つめ直し、女の子の行動は全部私の一つずつの良くない人心に焦点を当てたものであると気づきました。例えば、彼女は他人に何かを指摘された時に、自分の非を弁解したり、覆い隠そうとしたり、認めようとしないところから、私にも虚栄心、他人に指摘されたくない心、誉め言葉を好む心を持っている事に気づかされました。私も彼女と同じように、自分に弁解したり、過ちを隠したりします。彼女の行動はまるで全てを映す一面の鏡のように、私にはっきりと映し出して見せてくれます。女の子があることをやろうとしても、うまく出来ない様子を目にして諭そうとすると、彼女は自分の考えに固執して、私の意見を拒みます。実は私にも独りよがりなところがあります。自分はすべて正しと考え、自分の意見を固執して、他人に押し付けています。また、嫁が女の子に洋服を買い与えるのを見ると、「子供なんだから、こんなに買わくてもいい」と言って不機嫌になります。この言葉を発するということは、自分に嫉妬する心があるからではないでしょうか。他人の喜びを一緒に分かち合うのではなく、実は、人のことを妬んでいました。

 数力月が経っても、私はずっと女の子の欠点ばかりを見てきました、彼女の良いところは全く見えませんでした。法を学び、法に自分を照らし合わせて、「自分の行いは典型的に外に向けて探すタイプではないか? 自分を修めているのか? 自分の観念で他人を測り、他人を変えようとしている。自分を変えたくない、これらのすべての発想は私利私欲のためのものではないだろうか、私は実に身勝手すぎる」と反省しました。師父がこのように仰いました。「正法伝わりて、万魔攔ぐ、衆生を済度し、観念が転ず、腐敗物が滅し、光明が顕れる」[1]

 観念を取り除いてから、再び自分の周りを見てようやくわかりました。心性を向上させるために師父が女の子を家に按排されたのです。師父の按排に、私は何故ずっと拒んできたのでしょうか。本来、私の立場からすると女の子を優しく包み込み、大切にしなければならないはずです。女の子はとても不憫な境遇の子供です。幼い頃から親の加護を失い、大変苦労をしてきたはずです。頭の中でこれらの事を再認識して、私は以前より多く正念を発することにしました。自分の空間場にいる邪悪と卑しい鬼を根絶して、自分の考えの中にある中国共産党文化の思惟形式を解体させ、自分の執着心と後天的な観念を取り除かなければなりません。

 観念を取り除くことで、私の執着心も次第に小さくなっていき、法理に対する認識を高めていくうちに、師父が私の良くない物質を取り除いてくださいました。周りのこともスムーズに事が運び、女の子も以前ほど反発しなくなりました。彼女は今年、小学校6年生になりました。宿題を終えると、私から大法が世界中に広がった盛況ぶりや、修煉にまつわる物語を聞くことを楽しみにしています。このごろ時々、女の子のことをかわいいと思うようになりました。

 突然ある日、女の子が私に「おばあちゃん、私も大法を学びたい、大法はとても素晴らしいと思う」。私は彼女のために『轉法輪』の本を1冊用意して、彼女に「必ずこのご縁を大切にしてね。この大法は人間にとって、千年に一度、また万年に一度、巡り会えるか会えないかほどの素晴らしいものですよ。これほど貴重な宇宙の最高の佛法なのです」と諭しました。

 そして、私も内に向けて探すことの喜びと、執着心を放下できた身軽さを味わうことが出来ました。それは人の一念と神の一念の差であり、実に「修は己にありて、功は師にあり」[2]でした。

 私達一家は女の子の変化にとても喜びました。現在、彼女は自分の時間を利用して、学法をすることが出来るようになりました。宿題を終えた後に、学法の時間を設けてあるそうです。女の子は大法を自分の心にしまい込んであると言います。学校のクラスメートに対しても、先生や家族に対しても礼儀正しく、成績も優秀で、73人のクラスの中で成績は常に一番です。師父と大法から知恵をいただいて、分からないことがあったなら、師父を思い出せば答えが見つかると彼女は言います。

 女の子の学校では、毎週、中国共産政権を象徴する旗を揚げる儀式を行います。その時に、生徒全員が手を胸の前にあげて握り拳をにぎり、旗に向かって誓いを立てるのですが、私は彼女に儀式のときに「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」を念じるようにと教えました。また、「法は乾坤を正し、邪悪は全滅する。法は天地を正し、現世で直ちに報いがある」[3]の正念を発するようにと話しています。

 女の子は性格も温厚で、親しみやすい優しい性格に変わりました。

 女の子のクラスメートが自転車から転倒して、腕を怪我しました。彼女は毎日放課後、その子の家に行き、勉強の補修の手伝いをしました。女の子の思いやりのある善行を受け、クラスメートの両親が大変感動しました。女の子は時々、学校で友達と信仰について話すそうです。率直に自分は法輪大法を信じていることを表明しています。また、人類は猿から進化したものではなく、神様が創り上げた生命だという話についても探求しています。

 女の子は家で家事をこなし、皿洗い、床の掃除、食材の下ごしらえ、洗濯まで、出来ることならなんでも積極的に手伝います。手作り餃子も出来るようになり、また奇麗な字を書く事が得意なため、よく先生から褒賞を受けます。

 女の子は大法によく洗練され、とても礼儀正しい子供に成長しました。食事の時に、他の家族より早く着席することはありません。たとえ飴玉一つもらっても、まず祖父母に差し出します。普段、学校へ出かける時や家に帰宅した時は、必ず私達に声を掛けます。そして寝る前にも必ず「お休みなさい」の挨拶をしてから、就寝する良い子に成長しました。

 法輪大法は女の子に新しい人生の道を与え、彼女の運命を大きく、大きく変えました!!

 注:
 [1] 李洪志师父の著作:『洪吟』「新しく生ず」

 [2] 李洪志师父の著作:『轉法輪』
 [3] 李洪志师父の著作:『精進要旨二』「正念を発する時の二種類の手印」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/6/12/368714.html)
 
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