法を暗唱する過程で着実に修めるようになった
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文/中国の大法弟子 惜縁

 【明慧日本2018年6月13日】私は2年前から今通っている学法グループに参加しはじめました。当時彼らはずっと学法する前に法を毎回数段落暗唱していました。その時から私も皆と一緒に法を暗唱し始めました。実はその前に私も法を暗唱したことがあったので、恐れる心はありません。しかし、ただワンセンテンス、あるいは数センテンスずつできるだけで、一つの段落を流暢に暗唱することはなかなかできず、それも大体でしかできませんでした。しかし今は学法グループでみな暗唱しているので、普段から時間を大切にして、法を暗唱するように私に促してくれました。

 2年近く法を暗唱するなかで、私は多くの恩恵を受けました。まず心を静めて学法することができました。普段集団学法に参加する時は、内容を1回しか読まないので、少しでもほかのことに気を取られたらその間読んだ部分は学んでなかったことになります。これと比べると法を暗唱する時は繰り返して見て一文字ずつ心に入ります。次は法を暗唱するなかで、自分の怠け心や何でも適当に済ませる人心を発見しました。自分を厳しく要求することができなかったので、時には大体でいいだろうという考えが生じていました。これらの足りない所を認識できたので、今後着実に修煉しながら取り除きます。

 しかも法を暗唱することを通じて、私は着実に修める方法を学ぶことになり、修煉過程の自分の足りない部分を見出すことが容易になりました。今になって私は『轉法輪』は始めから終わりまで全部がどう心を修めるかを書いてあると感じています。ですから、自分の心性を高めるために、今は日常生活や仕事の中でトラブルに遭遇した時、頭の中にすぐ師父の説法の内容が現れるので、それをもって着実に修煉するように自分を促しています。以前と比べると私はだんだん自分の一つの考え、一つの念に対して正しくない所を探すことができ、毎回気に入らないことがあった時、うちに向かって探せばいつもその原因は自分にあり、自分の問題、自分の執着心であることがわかります。したがって師父の「正しきは彼 過ちは私」[1]の法理についてもっと深く認識することができました。

 私は真相を伝える一つのグループに参加して、週末になると同修たちと一緒に外へ出て法輪功の真相を伝える電話を掛けています。その過程でいろいろなことを経験しました。皆競って法を学び、修煉しています。同修たちの精進している姿から私はたくさん学びました。同修たちは厳寒酷暑に関わらずほとんど毎日外へ出て携帯で電話を掛けて真相を伝えていますが、もう数年間続けています。中には一人暮らしのお婆さんがいますが、熱心に修煉しています。毎日学法し、真相を伝えています。しかも同修のためにインターネットから大法の資料をダウンロードしており、いつも時間が足りないと感じています。ほかの同修たちも同様で毎回外へ出たらすぐベスト・コンディションに入り、人を救うことに全身全霊で励み、毎回三退させる人数も多いのです。

 外で真相を伝えると常に厳しい日差しに照らされたり、風が吹いたり、雨が降ったりする日がありますが、いずれも同修たちを阻むことはできません。時には前日に雨が降り、地面が濡れていたり、周りが汚く、乱れていても、同修たちはみな何の影響も受けませんでした。しかし、私は汚いところが嫌な心が生じて躊躇しました。幸いなことに、すぐ気が付いて正しくない心をなくしました。同修たちの助けの下、毎回収穫がありました。私たちが真相を伝えていたところを人が通っていたことが数回ありましたが、毎回私は心が乱れてしまい、他人が自分の言葉を聞くのを恐れました。すると真相電話を掛ける気持ちもなくなります。しかし他の同修は皆そこに穏やかに座って集中して真相を伝えていました。比べてみると私は同修との差が大きいのです。

 私は、真相を伝えて人を済度することは神聖なことであり、心性の修煉と緊密に関わっており、形式上にとどまることではないと悟りました。次元を高めてはじめて話した言葉に威力があり、世の人々の背後の邪悪な要素を解体することができ、その人を救うことができるのです。

 この文章を書いたのは同修たちと交流して、さらに自分の足りない所を見出して、今後修煉の道をより良く歩むためです。不適切なところがありましたら、慈悲なるご指摘をお願いします。私のような意気地のない弟子を見捨てられなかった師父に感謝します。無私に私を助けてくださった同修たちに感謝します。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟三』「誰が是誰が非」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/5/6/365043.html)
 
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