法を暗唱した後の昇華
■ 印刷版
 

文╱中国の大法弟子

 【明慧日本2018年6月2日】私は一人暮らしをしている女性大法弟子で、修煉環境に恵まれています。毎日煉功し、法を学び、発正念をし、出かけて法輪功真相を伝え、人を救い、そして、ネットにアクセスして資料を印刷して、交流文章を読み、毎日、予定がびっしりと詰まっています。しかしながら、私の様々な思いは依然として日常の俗事から離れられず、夜に見た夢ですら常人のことばかりでした。修煉に於いては、きっと高めなければならないことがあると分かっていますが、しかし、どこに問題があったのか、その原因が分からず、とても悩みました。

 明慧ネットには法を暗唱する交流文が多く掲載されています。昔、私も『轉法輪』を暗唱しましたが、しかし、十数ページのところで挫折してしまいました。今年68歳になりましたが、しかし、もう一度法を暗唱してみよう、何も考えずに、毎日法を2講学んで、数ページを暗唱して行こうと私は考えました。

 その結果、心が穏やかになり、暗唱すればするほど気持ちが落ち着き、スピートもどんどん上がりました。

  『洪吟』と『洪吟二』は、すでにしっかり覚えました。最近『洪吟三』を暗唱し、そして、『轉法輪』も暗唱しています。まだ1カ月しか経っていないのですが、私は心性が高まりました。特に、『洪吟三』の中の「乾坤の再造」はいつも頭に響き、今までなかなか意識していなかった人心や正しくないやり方も、自然に分かりました。そして、「世の中はとても大きな汚いシステムで、修煉ということは繰り返して法を学ぶことによって、人間の様々な欲望と各方面から来る誘惑を見極め、そして、それらを排除していく過程だ」と理解しました。

 古い宇宙の属性は私(し)の為、自我の為にありますが、新しい宇宙の生命は他の為に存在するのです。古い宇宙の障害を突き破って、法に同化して自らを更新して新しい宇宙に入って行くその過程は、人間が神になる道なのです! つまり、この汚いシステムから抜け出し、自らの新しい宇宙体系を浄化していくことでもあるのです。今まで自分が真に精進することができかった究極の原因は、やはり私(し)と自我にあったと私は悟りました。

 たとえば、ある同修が私の問題点を指摘すると、私は必ずそれを改善します。しかし、その目的は、「自分はそうではないよ」と同修に見せ、自分を実証しようとしていました。中には、名を求め、完璧を求める心もありますが、もっと重要なのは、法に則って精進しているのではなく、人と競い合い、他人に負けたくない人心を持っていたからです。

 たとえば、直接に真相を伝えて人を救うことは、神聖かつ困難なことで、しっかり行なうには、多くの人心を放下しなければなりません。当初から、私は、「この事はいくら難しくても、大法弟子として必ず乗り越えなければならない」と心の中で決めました。そのため、地元では、私はいつも先頭に立ってしっかりとやり続けて来ました。特にこの1年間、私はほぼ毎日のように出かけ、三退を勧め、人を救い、効果も顕著でした。それなのに、自分の心の中では、なぜか慈悲深さと神聖感を感じず、そのため、とても困惑していました。

 法を暗唱することによって、「自分の出発点に問題があるのではないか」と気づきました。普段、法理をよく理解していると自慢していて、「法を正す時期の大法弟子には使命があり、人を救うのは誓約を果たさなければならない。それは師父が面倒を嫌がらずにおっしゃって来たことで、大法弟子として、必ず師父のおっしゃった通りにやり遂げなければならない。そうしなければ、師父に申し訳ない、大法弟子の基準を満たしていない、円満成就ができない」と考えて来ました。

 これらの考えは人間の側面から見れば、確かに問題はないのですが、しかし、修煉者にとってはどうでしょうか? 修煉というのは、心が大事で、けっして表面の事をするのではありません。法から修め遂げた善と慈悲を持って人を救うのか、人心と人情を持ってやるのか、それには雲泥の差があるのです! 私の場合、基点が私(し)と自我から離れておらず、見かけは堂々としてやっていましたが、中には私心を深く覆い隠していました。

 たとえば、2人の大法弟子が同じように人を救っているとします。1人は慈悲と善念を持って行なっており、もう1人は様々な目的を持ってやっているとするならば、その中の有為と無為、その微妙な違いによって、結果が大いに異なるでしょう。師父は私に悟らせてくださいました。長い間困惑してきた問題は解決しました。「修煉とはけっして表面のことをするのではなく、その心がそれぞれの次元の法理の基準に合致しなければならない、そして、それぞれの次元における私(し)と自我を放下し、つまり人間の目的心を放下しなければならない」と私は悟りました。

 最近の少しの修煉の体得です。法に則っていないところがあれば、同修からの慈悲なるご叱正をお願いします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/5/17/366670.html)
 
関連文章