文/中国の大法弟子
【明慧日本2018年5月29日】約半年前から、口の中の唾液がかなり少なくなって、舌が硬く棒のようになり、自由に動かなくなりました。特に朝起きると舌が上顎にくっついて、手で舌を動かさないと、舌が上顎から離れませんでした。しかも、ゆっくり舌を動かさないと、口の中の皮膚が破れ易く、困っていました。ゆっくりと舌を動かし、舌先でゆっくりと口の中を舐め、やっと少し唾液が出てきます。そして、舌を潤(うるお)してから、やっと話すことができ、ご飯が食べられるようになるのです。本当に毎日のことで、とても辛かったのです。
舌に潤いがないと、活(い)きられないのではないでしょうか? 「活」という文字が水プラス舌ですから。それで口の中のトラブルなので、やはり口を修めるところに問題があると思いました。内に向けて探してみると、たくさんの執着心を探し出しました。例えば、いつも法に則って話していないこと、同修の修煉の足らないところを指摘し、裏で話すこと、顕示する心、自分を批判する話を聞きたくないこと、それに直接、人に大法の真相をうまく伝えられないこと、などなどがすぐに思い当たりました。
師父は「例えば、人と人との間にトラブルがあって、あなたが良いとか、彼が良くないとか、あなたは修煉が良くできたとか、彼は修煉が良くできていないとかして、これらのこと自体が摩擦です。一般的な例をあげてお話しますが、わたしは何かをやりたいとか、今このことはどういうふうにやるべきだとか、こういうことでも無意識のうちに誰かをきずつけるかもしれません。人と人との間のトラブルは非常に複雑なので、しらないうちに業を作ってしまったかも知れません」[1]と説かれています。
私は口を修めることに関する師父の説法を繰り返し読みました。探し出した執着心を取り除くようにと努力しましたが、あまり効果が現れませんでした。ネットで同修が病業の関を乗り越えるとき、内に向かって探すなどの文章もたくさん読みました。同修たちは自分の執着を探し出すと、病業の症状がすぐに軽減するか、または、消滅するかの交流がありました。しかし、私自身の執着を探し出したけれども、効果はあまりなかったのです。「どうしてかな? きっと自分がまだその根本的な執着を探し出していないからだ」と思いました。
そのまま、病業を耐え続けましたが、やがて舌が硬くなり、唇の中を傷つけるほど硬くなっていき、話そうとするとき、上の唇(くちびる)が歯にくっついてしまい、離れないこともしばしばで、とても困り果てていました。
ある日の朝、朝ごはんの用意ができ、夫を呼びました。そのとき、夫は携帯電話をいじっていて、「いま呼ばないで! いつご飯を食べるかは自分で決める」といきなり怒鳴り出し、汚い言葉が口から出てきました。この突然の出来事で、いつも心に抑えていた夫に対する不満が一気に出てきました。「え、どうしたなの? 私が悪いの? ご飯ができたのに呼ぶのが悪いの? 私が江沢民を告訴して派出所の警官に連行されたことで、迷惑をかけられたと思っているのでしょう。そうでしょう。最近あなたが毎日、あんなに機嫌悪そうな顔をしていて、私と離婚したいのでしょう。まあ、離婚すればいいよ。私は身体一つでこの家を出ていくわ。家のものは何にも要らない」と言いながら、泣いてしまいました。しかし、夫にも遠慮なしに言い返されました。朝から喧嘩をして、夫が仕事に行く時間になっても、食事をせずに怒りながら家を出て行きました。
夫が出た後、「しまった、間違いをしてしまった」と気づきました。「自分は常人と一緒になっているじゃないか。何でこれくらいのことも耐えられないのか。本当に修煉者なのか。彼に真相を伝える絶好なチャンスだったのに」と自分を責めました。以前、何度も夫に法輪大法の真相を伝えたことがありますが、上手くいかず、罵られてしまいました。そのとき、私は「彼は今日、機嫌が悪いから、今度にしましょう」といつも心の中で言い訳をしていました。今日もまた以前と同じようにしてしまい、やはりこの関を乗り越えられませんでした。
それから、私は師父の写真の前に跪いて泣きました。「師父、私は間違えてました。夜、彼が帰ってきたら、彼に謝ります。今後、彼と喧嘩しません」と謝りました。この数年、夫は確かに私のことで辛い思いをしてきました。ある日、私が警官3人に連行されたとき、夫は私がいじめられることを心配して、派出所までついて行き、警官らに法輪大法の真実を話しました。その後、夫は私に「そのとき、警官らがお前に手を出せば、俺は体を張って戦うつもりだった」と話してくれました。
当局が法輪大法を弾圧してからも、私が大法を学び続けていることで、夫も実家から圧力をかけられていました。夫の家族は私たちの離婚を望んでいました。夫が、私のことが良い人だとわかっていて離婚したくないのですが、自分の家族も傷つけたくなく、家族と喧嘩したくないと考えています。夫の実家に行くとき、夫はいつも私に「なるべく喋らないでおけ。何を言われても気にしないで」と気遣ってくれました。
「夫はよく耐えてきたのに、私はさらに良い顔まで見せるようにと夫に求めている」と考え、やはり私の方が間違っているとわかりました。師父は「修練する人 自らの過ちを探し 各種の人心取り去ること多し 大なる関小なる関、落さんと想ふべからず 正しきは彼 過ちは私 何を争ふものか」[2]と説かれています。
夜、夫が帰って来ると、私は微笑みながら出迎え、「今朝、怒ったことを謝るわ。あなたも圧力をかけられたとわかっています。でもね、法輪大法を学ぶことは間違っていませんよ。江沢民が私たちを迫害しているから、江沢民を告訴しただけなの。私が江沢民を告訴したことで、警官はあなたの会社にまで行って、圧力をかけたことを知っているわ。そのことで、あなたが周りの人に変な目で見られたのでしょう。私は悪いことをしていないし、彼らには本当のことを話せば良いと思うの。あなたが怖がらなくてもいいのよ」。私の話を聞いて、夫は心が晴れるようになりました。それから、私は彼に江沢民を告訴した理由を詳しく話し、「その迫害を早く終わらせるように、あなたも子供も江沢民を告訴した方がいい」と勧めると、夫は受け入れました。ただ夫に「何で事前に江沢民を告訴することを相談してくれなかったのか」と言われました。
夫は義理堅い人で、大法の本を読んだことがあり、師父のことを尊敬しています。誰かが法輪功の悪口を言うと、夫はいつも前へ出て、「うちの人は法輪功を学んでいる。うちの人は親孝行な人だよ。法輪功を学ぶ人たちはみんな良い人だよ」と反論してくれます。中国では入隊するときや昇進するときに、「法輪功を煉ったことがあるかどうか」という証明が必要です。夫のところに来て証明をもらうとき、「そういう証明を提供しない」と夫は拒否したり、どうしても証明が必要なときには、「この人は何の反対組織にも参加したことはない」と書きました。
私が江沢民を告訴したことで、夫は確かに精神的な圧力を感じ、機嫌がよくありませんでした。このことで私は「この次元に長く留まっていたため、心性を向上させるいい機会だ」と悟りました。師父は「心性の高さは功の高さ、これは絶対の真理です」[1]と説かれています。
そして、自分の内に向けて探し「自分がいつ、誰と話しても、その人が自分の考えと違えば、自分の観点を無理やり相手に押し付け、自分の意見を堅持した。しかも、優しい口調ではなかった。たとえ、口を出さないときでも、心の中で自分が正しいと思っていた」と、自分自身が持っている執着にびっくりしました。自我への執着は自分の最大の執着だと探し出しました。
それらの執着を探し出した途端、口の中にすぐに唾液(だえき)が出てきて、舌がスムーズに動くようになりました。「正しく自分の執着心を探し出した!」と喜びました。「内に向けて探すことがこんなに素晴らしいことだ」と本当に実感しました。以前、病業の関があったとき、執着を探したことがありましたが、基本的に法を信じ、師を信じて、その関を乗り越えてきました。今回は本当に執着を探し出しました。
内に向けて探しことができ、本当に嬉しかったです。いま、舌は自由に動くようになりました。師父は「心性が高まってくると、身体にも大きな変化が起こります。心性が高まってくると、身体を構成している物質も間違いなく変化が起こります」[1]と説かれています。それ以来、私は自分のことを一層厳しく要求しました。夫と子供がどんな顔をしていても、私は笑顔で向き合いました。彼らも徐々に変わっていき、私と対立せず、普通に話しかけることが出来るようになりました。
その後、私は同修にも同僚にも自分の意見を堅持せず、物事はなんでも法に則って対処することにしています。義理の母が餃子が好きですので、毎週作って家に送り届けました。義理の妹の子供が進学したとき、結婚したとき、私は心のこもった贈り物をしました。彼らにも脱退を勧めました。そして、家族関係がよくなりました。師父が「問題に遭ったら、必ず内に向けて探してください。先ほど既に話しましたが、他の人があなたに悪い事をしたのではなく、あなたに良くないところがあるからです。例えば、一つの天体は全体的に非常に順調ですが、あなたに良くないところがあり、あなたのところにこじれた問題があるから、あなたは他の人とぶつかったのです。自分の原因を探し、問題を改めれば、こじれが消え、全てが順調になり、周りの人もあなたと和むようになります」[3]と説かれています。
本当に師父がおっしゃった通りです。私は今、毎日、自分に「よく行って、もう少し良く行っていこう!」と言い聞かせています。法の要求の基準まで達することが出来るようにと頑張っています!!
注:
[1] 李洪志師父の著作: 『轉法輪』
[2] 李洪志師父の詩:『洪吟三』「誰が是 誰が非」
[3] 李洪志師父の経文:『北米第一回法会での説法』