携帯電話の依存問題を他の角度・法から考える
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文/中国の大法弟子

   【明慧日本2018年4月14日】携帯電話に依存する問題について、私たちは何度も交流していますが、一部の同修は自分に関係が無いかのようです。中には、未だに携帯電話に夢中になっている同修もいます。今日、私は他の角度から、なぜ携帯電話に対して執着心を取り除くことができないのか、私の個人的な悟りではありますが、学法を通して皆さんと交流してみたいと思います。

 一、師父は「人間はますますこの物質空間の有形のものを重視し、ますます現代化された道具に依存するようになりました。ですから人類の本能は退化する一方で、最後にはこの本能が完全に消えてしまったのです」[1]と説かれています。私の個人的な理解では、私たちが携帯電話から離れられないということは、返本帰真の願いとは相反することになります。

 二、師父は「出家弟子は特別な事情で外出する場合以外は、車に乗ったり、飛行機や船に乗ったりしてはならないもので、すべて行脚しなければいけません」[2]と説かれています。私はこの法について、個人的な理解ですが、出家弟子はまさしく交通手段への依存を断ち切り、早く本性を取り戻さなければならないということではないかと思います。

 三、師父は「自分のものの見方を変革させるべきだと思います。たとえテレビがなくても、人は見たいものはいつでも見られるものを頭の前に持っていますし、功能も持っています。汽車、自動車がなくても、座ったままで飛ぶことができるし、エレベーターも要りません。今とは違った社会の発展状態がもたらされたかも知れません。必ずしも今のこの枠の中に限られることはありません」[1]と説かれています。個人的な悟りですが、師父の法に基いていれば、私たちは携帯電話に依存することから抜け出すことができます。それには、自らを変えようとする確固たる意識が必要で、様々な要素に影響さるようではいけません。

   携帯電話に夢中になっている同修たちよ、あなたは自分の修煉に責任を負うことができるように、師父が説いておられるこれらの法を、しっかりと学んで欲しいと思います! 私はパソコンの入力があまり上手ではないので、交流はこのくらいにします。

 この機会を借りまして、師父に感謝申し上げます。

 適当でないところがあれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [2] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「出家弟子としての原則」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/2/26/362224.html)
 
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