携帯電話に執着して、私は修煉を怠けた
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2018年2月18日】携帯電話の新しい機能が日ごとに開発され、特にここ数年来スマートフォンの登場につれて、人々の生活は携帯電話にますます依存するようになりました。通話機能以外、撮影、チャット、ゲーム、ビデオを見る、支払いなどもできます。中国には10億近い人口がウィチャットを使用していて、職場の連絡事項、子供の学校からの連絡事項、友人との連絡など、すべてウィチャットで送られてくるので、自分の携帯電話でウィチャットを使用しないととても不便です。水道料金などの納付、ショッピング、タクシー代の支払いなど、中国のEC決済ツール―のアリペイを使わないと、多くの不便が生じます。

 2014年前後から私もスマートフォンを使い始めて、ウィチャットを毎日欠かさずに見ていました。ウィチャットに送られたニュースやメッセージなどを何でも興味津々に見て見聞を広め、視野を広くすることができたと嬉しく思っていました。多くの時間を携帯電話に使い、大法の書籍を読むと眠くなるのに、携帯電話を見るときは全然眠くなりません。「私は今日煉功もしたし学法もしたので、ちょっとの間、携帯サイトを見ても許される」と思ったりして、或いは両足を組んだ後に疲れたため、携帯サイトを見て休憩したりします。夜12時の発正念をしたら、一日の「任務」をやっと遂げたとホッとして、友人からのメッセージがないか、新しい募集情報がないかを気にかけて、必ず携帯電話を見ます。

 ここ数年、私はよく携帯サイトを見たりして、時々ウィチャットで長時間チャットもしました。現代社会の技術の発展は日進月歩で、携帯サイトを見ないと時代遅れになると私はずっと思っていました。

 携帯電話に夢中になったことで、自分の修煉を大きく妨害しました。見たところでは私は煉功をしていますが、しかし頭ではいろいろな雑念が走っています。一時、夜の睡眠が悪くなりましたが、しかし私は悟らずに、その問題の重大性を意識していませんでした。ついに煉功するときにも携帯サイトで見た人や物、画像などが脳裏に浮かんで入静できず、両足を組むこともだんだん下手になってきて、足がいつも崩れがちで、痛みも激しくなりました。

 2017年5月以来、右足のひざが痛くなり、歩くことに支障をもたらしてはいませんが、足を曲げることができなくなり、足を組んで座禅しようとすると一苦労しなければなりません。足を組むときの痛みを軽減させるために、布団類を下に敷くようになりました。それでも、私は目が覚めず、毎日欠かさずに携帯サイトを見ていました。目の具合も悪くなり始め、目の前はいつもかすんでいると感じましたが、しかしやはり頑迷に何も悟りませんでした。

 2017年9月末、母が亡くなったため私は故郷に帰りました。学法、煉功、発正念などができなくなって、耳で聞くのは常人が話した死ぬことや、霊や魂にまつわる物語などで、力を入れて泣くようにと親戚らに強要されました。数日間、絶えず泣いたため頭が痛くて全身の具合も悪くなりました。母の葬式が終わってからも、私は父のことを気にかけて、また古くなった実家のこまごまと煩わしい事を気にかけていたため、もう暫く実家に泊まりました。実家は3階建ての建物で部屋数が多く、ふだん兄と兄嫁はここに住んでいません。家政婦がいますが、家政婦はきっときめ細かく掃除をしてくれないと思って、私は一人で片付けや掃除をやって、とても疲れました。

 そのように、修煉を離れて常人のことだけをすると、すぐに体の調子が悪くなったと感じました。不眠、足腰の痛み、脱力感、顔のむくみなどです。自分が修煉者で、修煉者にとって情は放下すべきもので、私には修煉の道があってやるべき「三つのこと」があるので、すぐに自分の家に帰って修煉状態を整えなければならないと私はやっと思い付きました。自分の一念を固くすれば、家族も私を止めなくなりました。

 振り返って考えると、帰省する間、修煉は怠けても、携帯サイトを見ることは欠かしませんでした。実家で煉功ができないため、時間があればずっと携帯電話を手に取っていろいろ見ていました。

 自分の家に帰ったのですが、しかし頭がぼんやりして、学法も煉功も集中できず、いつも実家の事を考えていました。ある日ぼんやりする中で、何かに首を絞められたと感じました。しかしそのとき体が動かなくなり、「師父、助けて」と叫びたいのですが、声が出ませんでした。声を出せなくても私はずっと「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と叫び続けて、次第にのどからボー、ボーという音が聞こえ、ついに意識が回復して体も動くようになり、急いで体を起こして発正念をしました。またある日の深夜、なかなか寝つかれなくて、ぼんやりする中で一塊の黒い影が襲ってきて、私はとても怖くなりました。それから毎晩怖くて眠れず、そのような状態は約半月続き、昼間に仕事をするとき、フラフラになりました。

 同修に相談すると、同修は、深夜12時の発正念をした後に自分の空間場はとても清らかな状態になるはずで、もしもまた邪魔しに来るものがあれば、自分が間違ったことをしていないか、内にむけて探すべきと言ってくれました。

 そこで、私は掘り下げて探してみました。ここ数年、自分はテレビを見ないようにしていますが、しかし知らず知らずのうちに携帯電話に依存するようになりました。特に毎晩深夜12時の発正念を終えてから、必ず携帯サイトを少し見てから寝ます。今考えてみると、あの日に一塊の黒い影が襲ってきたのを見たのも、発正念の後に携帯サイトに1枚の恐ろしい画像を見たからに違いないと思います。では、自分は携帯サイトを何年も見ていたので、悪いものがどれほど自分の空間場に入り込んだのか、考えるだけでぞっとしました。

 携帯電話の危害に気づいてから、右足のひざの痛みがある日突然なくなって、座禅するときも以前のように両足が組めるようになりました。私は師父の各地での説法を一通り読んで、発正念にも力を入れました。だんだんと、家の環境が静かになったと感じて、学法も一心不乱にできるようになって、体調も明らかに好転して、睡眠も良くなりました。特に、数年間ずっと黒くて黄色っぽい顔も、なんと赤くつやつやになりました。携帯電話に執着することで、長年の修煉が危うく台無しになりかけたことを、私はとても後悔しました。

 携帯電話を使用しても良いのですが、依存してはいけません。また、中国において携帯電話の安全問題にも注意を払わなければなりません。今日、私は自分の体得を書き出してみんなと交流し、同修たち、特に若い同修たちの参考にしてほしいのです。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/2/5/360471.html)
 
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