甘粛省の定年退職した女教師 迫害されて死亡
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 【明慧日本2016年7月30日】甘粛省鎮原(ちんげん)県の法輪功学習者・許恵仙さんは定年退職した女教師である。許さんは昨年、3年6カ月の不当な実刑判決を下され、蘭州市女子刑務所に収容された。刑務所で迫害されて極度に痩せ、危篤状態に陥り、今月8日に死亡した。享年71歳。

 許さんは農村の学校の教師で、職場では業務が忙しく、午後は帰宅して農作業もしなければならなかった。そのため、疲労してさまざまな病気を患い、治療しても効果がなかった。しかし、1997年に法輪功を学んでから、健康を取り戻し、性格もよくなり、優秀な教師になった。

 1999年7.20、江沢民が法輪功への迫害を開始した後、許さんは何度も残酷に迫害された。2004年に1年の実刑判決を下され、年金の支給も停止された。

 昨年3月、許さんは家で携帯電話をかけて法輪功の真相を伝えた際に、慶陽市国保大隊(法輪功迫害の実行機関)に電話から場所を割り出され、連行されて慶陽市寧県の留置場に拘禁された。その後、3年6カ月の実刑判決を言い渡され、蘭州市女子刑務所に送られた。

 今年5月、刑務所側は許さんの家族に電話をかけ、「許恵仙の鼻血が止まらないので、刑務所病院に入院させたが、医者から危篤の通知があった。許恵仙に『重病のための一時出所』の手続きをするので、来るように」と言った。その後、ほぼ2週間を要して、あちこちに足を運んで煩雑な手続きを終え、家族が刑務所へ許さんを迎えに行った。しかし、刑務所側は「病状はすでに安定した。出所の必要はない」と許さんの「一時出所」を拒否した。

 1週間後、家族は許さんが心配で、また刑務所に行き、許さんと面会した。許さんは話す力さえなく、言葉にもならず、ぼんやりしていた。そこで、家族は再び、許さんの解放を求めたが、刑務所側は「病院からもう一度、危篤の通知がなければできない」と答えた。

 それから、2日後、刑務所側は家族に電話し、「医者が2回目の危篤の通知を出した。許恵仙を送る」と言った。

 そして、6月17日午後5時過ぎ、酸素吸入をしている許さんを乗せた救急車と、1台のパトカーが刑務所を出発し、鎮原県の政法委員会に向かった。その夜の午前1時過ぎ、政法委員会に着くと、許さんを降ろして、警官は帰ろうとした。しかし、家族に止められ、「酸素マスクをそのままつけておいてください。とりあえず、慶陽市の病院に送ってください」と家族はお願いした。すると、警官は「病院に送るならまず、1500元払え」と言った。

 仕方なく、家族はお金を払った。そして、許さんは慶陽市の病院の救急室に送られた。夫は許さんの痩せこけた姿を見て驚き、刑務所は1人の良い人をこんなになるまで迫害するとは信じられないと言った。

 その後も許さんはずっと危篤状態が続き、重病のための一時出所して3週間後の7月8日、無実の罪を晴らせないまま、この世を去った。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/7/18/331504.html)
 
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