同修間にトラブルが起きれば まず自らを修めよう
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文╱中国の大法弟子

 【明慧日本2018年1月7日】この1年の間、同修との協力の中でトラブルが起きた場合、いかにして内に向けて探し自らを修めてきたか、それについて皆さんにお話したいと思います。

 それぞれの修煉状態と心性の次元の違いによって、同修同士がお互いに協力する際に、いつも様々なトラブルが起きます。これらのトラブルにどう対処すればいいでしょうか? 大法弟子は法に則り内に向けて探し、自らを修めていくしか方法はありません。本当にこのようにやり遂げることが出来れば、トラブルが起きても、私たちはそれを容易に解決することができ、そして、修煉の素晴らしさを体得することができるのです。

 地元のある女性同修Aさんは、連行や拘禁などの迫害を受けたことがなく、法を実証する仕事にもとても熱心で、幾つかの法を実証するプロジェクトに携わり、多くの同修と接していました。しかし、Aさんは携帯電話の安全性に対する認識不足で、同修と電話をする時、よく実名を隠さずにさらけ出し、甚だしきに至っては言うべきではない事まで口にしてしまうのです。私たちは問題の重大性に気づき、数人の同修と協議した結果、一度Aさんと交流を持ちたいと考えました。そこで、私は2人の同修と一緒にAさんの家を訪ねました。

 私達は腰を掛け来た理由を話すと、Aさんはすぐカチンときて、「同修と連絡を取らなければいいのでしょう。同修の電話番号を全部削除すればいいのでしょう」とカンカンになりました。私は「落ち着いてください。私たちは皆内に向けて探してみたらどうでしょうか」と言うと、もう1人の同修は「こんなに意見を受け入れてくれなければ、自らを探すこともできないわ。彼女の機嫌を取る事はありませんよ!」と苛立ちました。「皆が他人の心を変えようとしているから、うまく交流が出来ないのではありませんか」と私は落ち着いて言いました。

 Aさんの家からの帰りに、もう1人の同修はまだ根に持っており、愚痴をこぼしていました。私は「やはり各自が内に向けて探しましょう!」と注意を促しました。すると、数分後、Aさんから、「ごめんなさい! 私は間違っていました。人に注意されるとすぐカッとしてしまう欠点を見つけました」と、メールが入りました。私は2人の同修に、「ほら、師父のおっしゃる通りに行えば、状況は変わったでしょう」とメールの内容を見せると互いに納得し、ニッコリとしました。

 家に着くと、Aさんからさらに2通のメールが届きました。いずれも自分が内に向けて探すことによって自らの執着心を見つけた、との内容でした。しかし、この時点では、Aさんはまだ携帯電話の安全性について充分理解しておらず、「このような内容は携帯電話ではなく、面と向かって交流すべきだ」とまだ分かっていませんでした。その後、Aさんも問題の重大性に気づき、基本的に携帯電話を同修の家に持ち込まないようにしました。そして、携帯電話を持たなくても、何事も同じように順調に運ぶことが出来ると分かりました。なぜなら、すべては師父が見守り、助けて下さっているからです。

 次のような事もありました。

 女性同修Bさんの家は資料拠点となりました。このプロジェクトに関与する人が多いため、そのうちの6、7人がBさんの家の鍵を持っていました。しかし、地元の一部の同修が連行された後、安全面でのことを考慮して、Bさんは同修の意見を受け入れて、自分の家の鍵を返してもらいました。今までのように他の同修は誰もBさんの家に入れなくなりました。

 同修Cさんの家の地下室が私達の資料倉庫として使われ、同じように数人の同修がその鍵を持っていました。ある日、地下室に真相資料を届けに行くため、同修Dさんから地下室の鍵を受け取ることになりました。Dさんのマンションの下で待ち合わせをして会った時、私は他の用事で急いでいたため、Dさんとあまり会話を交わさず、鍵をもらって会釈しただけでさっさと帰りました。そのため誤解が生じ、Dさんは私にかなり不満を持ちました。

 ある日、Dさんは自分の感情を抑えきれず、大声で私に「○○同修の家の鍵もあなたが変えると言って、地下室の鍵をあなたは持っていきました。あなたは私に仕事をさせたくないのですか」と怒鳴りました。この突如やってきた非難と誤解に対し、私は「鍵の変更は私の指示ではありませんよ。信じられなければ、一緒に同修に確かめに行きましょう」と釈明しました。「私は行きません」とDさんはまだカンカンに怒っていました。

 改めて考えて見れば、「偶然はあるはずがありません。きっと私の執着心に向けてだろう」と思いました。私は師父の法「強辯に遇えば争論す勿れ 内に向けて因を求むは修煉 釈明しようとすればするほど心重し 坦懐にて執着無ければ知見出づ」 [1]を思い出しました。私は心を落ち着かせ、Dさんが帰る時、「今度、一緒に法を学びましょう」と提言しましたが、「あなたと一緒に学びたくありません」と言い返されました。私は冷静に「お宅に行きますから」と言いましたが、「あなたを家に入れません」と言われました。その日、私たちはそのまま別れました。

 数日後、Dさんは私と会った時、「あの日、あなたはとても冷静でした。自分との差に気づかせてもらいました」と詫びを入れました。私は「師父のおっしゃる通りにやっているだけです」と答えました。

 またこのような事がありました。

 今年、地元のある男性同修Eさんは公安局の国保大隊に連行されました。しかし、一部の同修は内に向けて探さず、しかも、積極的に同修の救出を考えもせず、逆に人心に動かされ、連行された同修や一緒に大法の仕事をしていた同修の問題点を探しました。

 ある日、私達数人の同修が一緒に仕事をしている時、1人の女性同修がやって来て部屋に入ると、とても感情的になって、「Eさんは連行されました。Eさんは全く修煉者らしくないからです。奥さんはEさんには男女問題があるのではないかと疑っていますよ。一部の女性同修は彼を車に乗せたり、こっそりと彼に資料を作るお金をあげたりしているのでは?」と少し興奮気味で言いました。

 実は、地元には男性同修が少なく、その上、法を実証することをやれる人が少ないため、当然ながら、Eさんは女性同修と一緒に仕事する機会が多くなりました。私は「Eさんは今、迫害を受けていますから、Eさんの問題ばかり言っても意味がないでしょう」と言いました。しかし、この女性同修は気持ちを抑え切れず、さらにEさんを責めました。6時になり、皆は発正念をしました。正念を発してからでも、同修は気持ちがおさまらず、またEさんの愚痴を言い始めました。私は「これからどうするかは、師父にお任せしましょう」と注意しました。

 家に帰る途中で女性同修の言動を思い出し、「彼女は運転免許を持っているし、お金もあるのに、車を購入しないではないか。私はお金を節約してやっと車を購入して、しかも自腹でガソリン代も出して、同修を乗せて法を実証する事をやっているのに、あんなに勝手気ままにあれこれと文句を言われ」と愚痴をこぼしました。しかし、すぐにその考えが法に合致していないと気付き、「同修の悪口を言ってはいけない。法を実証する事は同修のためにやっているわけではない。彼女の聞き苦しい言葉から、私は自分の怨む心と深く隠れた色欲心に向けているのではないか」と内に向けて探しました。すると、心は落ち着いて来ました。

 その後、この女性同修ととても率直に意見交換ができました。彼女も自分の良くない人心を見つけたと言いました。今、私達は今まで通り一緒に協力して、法を実証することを行っています。

 この1年間の修煉を通して、私は内に向けて探すことの無辺な法力を深く体得しました。修煉の道のりでトラブルに遇った時、無条件に内に向けて探せば、すべてのトラブルは解決ができ、同時に心性も向上します。そして、同修と協力する時、同修の多くの長所を見なければならないことを学びました。実は、すべての同修は師父と誓約を結び、神の王冠を下ろし、一緒にこの世に下りて、法を正す師に手伝い、衆生を救い済度し、そして、艱難辛苦をなめながら今日まで歩んで来ました。どの同修も揺ぎない意志を持っている修煉者で、皆は本質的に良い同修たちです。私たちは謙虚に自我を放下し、顕示心を取り除き、相手の意見に耳を傾ければ、きっとやるべきことをしっかりやれて、同修とうまく協力することができ、そして、法を正す師に手伝って、もっともっと多くの衆生を救い済度することが出来るのです。

 18年間の修煉の道中で、もし、師父の慈悲なるご加護がなければ、また、同衆の無私の助けがなければ、この私一人の力だけでは、とても今日まで歩んで来られませんでした。師父の慈悲なる済度に感謝致します! 同修の無私の助けに感謝します!

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟三』「辯少なしに」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/12/23/350363.html)
 
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