忘れがたい師父の恩
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文/中国長春の大法弟子 聖蓮

 【明慧日本2017年12月19日】私は黙々とすることが好きな人です。普段集団学法の時、切磋琢磨する以外に、修煉中に体験したことなどあまり人に話したことがありません。自分の修煉はごく普通であり、まだよく出来ていないところが多いと思っています。今日は自分が歩んできた20年間を振り返り、法輪大法の博大さと奥深さを実証したいと思います。師父による救い済度のご恩は山高水長(山がいつまでも高くそびえ、水がいつまでも流れているように、聖人君子の徳が長く伝わること)なものです。

 一、法を求めて

 前世紀80年代は中国では至るところ気功ブームでした。師父の故郷である法輪大法の発祥の地、長春では気功は公園や広場だけでなく、多くの高等学校の校庭にも入り、当時は多くの教師や生徒も相次ぎ煉功を始めていました。私は職業中等専門学校の教師を勤めていました。気功を目にしたことはなかったのですが、気功という二文字を耳にすると不思議と興味が生じました。しかし、当時私は仕事と家庭の負担が最も重い時期だったため、煉功する時間がなく、ただ図書館に行き気功の書籍を借りたり、自分で買ったりして読んでいました。数冊を読んでから、気功門派はたくさんあるが、書籍の内容は類似するもので、いずれも功理、功法の類のものばかりだと感じました。私は身体に病気もなく、かつ時間もあまりなかったため、練功には参加しませんでした。しかし、心の中で気功を忘れたことはありませんでした。

 1997年5月初めのある日、私がよく知っている学校の1人の先生が1冊の本を持って来て、「この功を学んでみてください」と言われました。私は書籍のカバーも見ずに「学ぶ時間がありません」と答えました。心の中では佛教の経典を読むことを楽しみにしていました。その先生は「この功は非常にあなたに適しています。まず本を読んでみてから決めてください」と言いながら書籍を私の懐に押し込みました。厚情拒み難し(あなたの親切な気持ちに感謝します)と思い、書籍のカバーを見ると『轉法輪』と書かれていました。「なになに功」ではありませんでした。そして、その本を自宅に持ち帰りました。

 お昼には時間がなく、寝る前にベッドの上に腹ばいになり本を開き、急いで目次の中で「辟穀」の内容を探し、見つけて一気に読み終えましたが、少しがっかりしました。なぜなら、辟穀は次元となんの関係もないと書かれていたからです。再び最初から読み始めると、最初の一文が「本当に高い次元へ人を導く」[1]で、「これこそが最も根本的な佛法なのです」、「われわれの法輪大法という法門は、宇宙の最高の基準─真・善・忍に基づいて同時に修煉するので、われわれの修煉する功はとても大きいのです」[1]と書かれていて驚きました。心の中で、これは気功の書籍なのか? それとも私が探している佛教の経典ではないのか? 多く考えることなく、急いで続けて読みました。第一講をまだ読み終えておらず、30ページくらい読んだ時、お腹が突然動きだしました。当時シャツしか着ていなかったため、その感覚は非常に明らかなものでした。続いて下腹部から両脚までのところからピューピューと冷たい気が飛び出して来ました。左側の脚の気が最も冷たく感じました。というのも左の膝に関節炎があり、これまでは気にしていませんでした。翌日、私に本をくれた先生に聞いて、やっと師父が私に法輪を植えつけてくださり、冷たい気は師父が脚の病気を取り除いてくださったことが分かりました。3、4日経つと、冷たい気が少しずつ減り、私は明らかに以前重かった左が右と同じになり、楽になったことを感じ取りました。感激した私は以前購入した各種の気功書籍、練功テープを燃やしたり、売ったりして片付けました。また『轉法輪』を勧めてくれた先生に法輪功の全ての書籍と資料を探してくださるように頼みました。その後私は、家から遠くないところにある学法グループを見つけました。またちょうど長春で開催中だった「李洪志師父の伝法五周年展覧会」にも参加しました。法会に参加してから、私の視野は大きく開きました。夢から覚めたようで、願いが叶ったと分かりました。

 二、忘れがたい師父の恩

 法を得た時、私はすでに二十数年間教師を勤めていて、専門課目の授業以外に他の方面の書籍も読んでいました。そして文革以来、数十年間にわたり一連の政治的な思想教育を受けていました。しかし、心を静めて、真面目に『轉法輪』を2回読み終えた時、長い間注ぎ込まれた中国共産党思想は、私の頭の中で崩れはじめました。自分が人の魂を作り上げるエンジニアと思っていましたが、今になってやっと、これほど長い間私は井の中の蛙(かわず)みたいに、掌の大きさの光しか見えていませんでした。師父がその大きな手で私を掬い上げてくださり、私に果てしなく広い天地と藍天(青空)を見せてくださったと分かりました。私は佛教の経典を見つける前に、偉大な佛法がすでに私の目の前にあることを幸いに思い、感激しました。師父に会ったことがないのですが、慈悲なる師父はすでに私の手を握りしめ、修煉の道へと導いてくださいました。

 当時、非常に忙しく、ただ学法だけをやっており、2カ月後、やっと煉功をはじめました。学法してから数日の間、私の身体には非常に大きな変化が現れました。学法グループで、私は全身がひとしきり熱くなり、時には熱くて部屋の中で座っていられなくなり、学法が終わらないうちに外へ出ました。書籍の『法輪功』の中に述べられていたような「功が出る」状態でした。その後、学法と煉功を2カ月間近くやると前額に『轉法輪』の中で説かれたように「気泡が完全に突き出てくるまで、天目が張って痛くてたまらないし、太陽というツボも破裂しそうな感じがして、目が落ち窪んでしまいます」という現象が現れました。時には張れて心をえぐられるような忍び難さだったのです。しかし、私はその中で法の威力を深く体験し、師父の洪大な慈悲を感じ取りました。如何に痛んでも私は黙々と歯をくい縛って我慢しながら、その中の佛法修煉の玄妙さを楽しみました。

 前額が張れてから、次は明るくて美しい風景が現れ、目の前で法輪が旋回していました。最初は前額の内側で回り、その後は外側、頭の周囲でも小さな法輪が絶えず旋回し、白やグレー、金色のものもありました。一度私が家でベッドに横たわっていた時、突然重ね合った三つの大きな法輪が現れ、家の中で旋回し始めました。直径が2メートル近くあり、部屋の中一杯になりました。私は感激して起きて座りましたが、数秒後大きな法輪は姿を消しました。不思議な現れに私は感動が絶えませんでした。眼前の法輪は約1、2年後には見えなくなりました。しかし、法輪のイメージは深く私の心に根を下ろしました。その後、投獄された日々に、毎度神聖なる法輪を思い出すと自信と力量が倍増し、全身に満ちあふれました。

 私が修煉して半年後、家族も大法の威力を目にし、主人は数年間やっていた他の気功をやめ、子供と一緒に大法の修煉を始めました。我が家の3人は毎日時間通りに集団学法と煉功に参加し、子供の身体はますますたくましくなりました。

 私達が心身ともに喜び、修煉の素晴らしい時を楽しんでいた時、1999年7.20、邪悪で残忍な弾圧がまりました。法輪大法の発祥の地に一瞬緊張が走り、血まみれの迫害がまりました。私たちは請願をはじめ、陳情するなど大法を実証する活動をやりめ、私はかつて2回北京へ陳情に訪れましたが、2回目は非合法に労働教養2年を言い渡されました。当時、労働教養所は人が一杯で管理しきれなくなり、身体検査で身体が良くない数人を解放しました。私は法輪功修煉を放棄するように迫られ、迫害をめた人員に連続して6昼夜以上、睡眠を取らせてもらえず、包囲され攻撃されていました。しかし、体調には別に問題がなかったのに、意外にも「高血圧」で解放されました。2年間の非合法な労働教養でしたが、私はただの2週間しか監禁されませんでした。師父が私のために慈悲で巨大な魔難を解決してくださったことに、心より感謝致します!

 労働教養所から帰った後、また大規模で集中的に業を滅することがまりました。2001年初め、突然一夜の内に、頭部以外の全身が変わっていきました。両腕に小さな吹き出物ができ、背中には大きな吹き出物ができ、お尻と両脚には2列の大きな泡のようなものが出来ました。両手首と掌の筋肉が裂けてしまい、10本の指の筋肉は毎日夕方になると水のようになり、朝になると再び筋肉に変わりました。そのため数カ月間、自分で顔や髪を洗うことができませんでした。連続して1年近くの間、手にはまた小さな泡がプツプと出来ました。さらに不思議なのは朝起きるとおへそのへこんんだところに、蔗糖(しょとう)みたいな粘々な黒色物質が現れることでした。この空間だけでも家族は皆それぞれが、大法の不思議な現象を自ら目にしました。私も業を滅している不思議な力を感じました。

 私は仕事の中でなるべく真・善・忍で自分に要求するように努めました。90年代末、私は担任も兼務しました。私が担当したクラスの生徒の多くは故郷を遠く離れ、生活が比較的に困窮していました。毎回生徒が病気になると、私は自宅で病人用のご飯を作って生徒に届けました。またよく自分の子供が食べるのがもったいないと思って残しておいた果物を病気の生徒に与えました。不可解に思った生徒が私に、「先生のお宅の果物は買ったものですか」と質問したことがあります。毎回祝祭日になると生徒らは皆クラス単位で実費で会食し、餃子を作ったりします。その度に私はただ1人分数元の僅かなお金を取り、残りはすべて私が負担します。毎回私は少なくとも全費用の半分を提供します。普段生徒がお金が足りなくて私から借りる場合、必ず貸してあげます。卒業する時になってもまだ返してくれないお金は、すべて催促しないことにしています。特に毎年生徒が卒業する前になると、集金して担任の先生に記念品を送ります。しかも、記念品の値段は年々高くなる一方です。高級自転車やブランド品の腕時計などで、生徒達は多くのお金を負担しなければいけません。私は修煉する前も生徒達が買ったものをもらいませんでした。しかし、ノートやアルバムのような小さなものなら受け取りました。修煉してからは、早めにクラス長に、如何なる記念品も受け取らないし、記念にしたければ、みなさんの卒業アルバムにメッセージを残してあげると通知しました。長い時間が過ぎ去った時、そのアルバムを見るとその人の顔を思い出し、またメッセージを残すことで互いに励ましあうことができるので、これこそ本当の記念だと説明しています。こうして、全クラスの生徒が卒業アルバムを持ってきて並び、私がメッセージを書くことを待ちました。またクラスの費用から3、5元するノートを購入し、一人一人先生(私のこと)に対する祝福と感謝の言葉を書き込みサインした上、私にプレゼントしてくれました。その後、他のクラスの生徒は「あなた達の先生はどうしてこんなふうにやるの」と質問され、我がクラスの生徒は「うちの先生は法輪功をやっていて心優しく、一心に生徒のために考えているからよ」と答えたそうです。残念ながら、弾圧がエスカレートするに従い、私は教壇から追い出され、再び生徒に接触することが出来なくなりました。

 20年の修煉の道を振り返ると、紅塵世界の茫々たる人波の中、師父は私を掬い上げ、きれいにし、私の手を握りしめて、修煉の道に導いてくださったと切に感じます。師父は私の満身の罪業を滅してくださり、幾重にも度重なる魔難を解決してくださり、風雨の中、私を続けざまに前へ前へと推し進めてくださいました。師父の広大なるご恩に私は応える方法がありません。ただ師父にしっかりついていき、如何なる困難をも突破し、精進し、着実に修め、師父を助けて法を正す神聖な使命を圓満に全うするしかございません。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/11/25/351023.html)
 
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