豪州の華僑、修煉して20年来の難病が完治
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 【明慧日本2017年12月17日】(オ-ストラリア=明慧記者・夏纯清)『人生七十古来稀なり』(70歳まで長生きする者は、昔から非常に少ない)とは、唐代詩人・杜甫の有名な詩である。100歳も珍しくない現代社会において、70歳は若いと言える。オーストラリアのメルボルン在住のベトナム生まれの中国系の劉さんは、20年前肝臓がんであの世に行くことになっていたが、今も生きて70歳になり、精神的に矍鑠しているだけでなく、ますます若くなり、友人らに尋常ではないと見られている。これは彼が法輪功を修煉して起きた奇跡である。

 米国の感謝祭にあたり、劉さんは内心から法輪大法の師父に対する感謝、自分の20年来の修煉の路で、「李洪志師父に対する感謝は言葉で表すことができません」と話す。

'图1:墨尔本法轮功学员刘先生感恩李洪志师父的慈悲救度。'
李洪志師父の慈悲なる済度に感謝す
る劉さん

 壮年期に不治の癌になり、医者を求めて十数年

 劉さんは成功した商人である。若い時ベトナム共産政権の迫害から逃れるため、友人とボートに乗り故郷を離れ、九死に一生を経て、難民の身分で米国在住の許可を得たのちに、オーストラリアに移民し、結婚して子供をもうけた。

 息子も娘もいて、事業が成功した時期に、劉さんは肝臓に病状が現れ、フェリチン値が上昇し続けた。彼は西洋医学と東洋医学、さらに民間療法の治療を受け、漢方薬を煎じて飲み続けた。どれほどお金を使ったかわからないまま、10年間治療を受けてきた。劉さんは羊胎素(ドイツ語Organische Extrakte von Schafen)1本を注射するために、2万米ドルを使いスイスに渡航した。

 1997年に血液検査をした結果、ホームドクターに「フェリチン値は470を超えてはならず、そうなればあとのことを考えなければならない」と告げられた。1998年には血液検査の結果は、あとのことを準備しなければならない段階に来ていた

 「その当時は息子がまた10歳で、私は絶望して生命保険に加入しましたが、恩恵を受けるのは家族です」と劉さんが話す。「癌に罹り、数年来私は熟睡したことがなく、顔色が灰色で黒く、私を知らない人は私の実際の年齢を判別することができませんでした」

 1日を1年のように感じても、生きることを求めるのは本能で、彼はこのまま死ぬことを望んていなかった。

 生死を放下して、返本帰真する

 1998年8月のある日、劉さんは気功の煉功をしている友人に電話をかけて救いを求めた。友人は彼に法輪功の修煉をするよう勧め、「生死を放下するように」と、はっきりと告げた。このとき、彼は以前香港に出張した際、テレビで法輪功を紹介する番組をみたことを思い出し、その時の感じはよく、とても魅力があると覚えていた。

 実は、劉さんは1996年に法輪の創始者・李洪志先生の著作『轉法輪』を購入したが、時々読んでいただけだった。行く道を塞がれた彼は、再びこの本を手に取り、この本に書いてある通りに学び、行なうことを決めた。

 3カ月後、効果を検証したいと病院で検査をした結果、フェリチン値は下がらず、倍ほど高くなっていた。この結果は劉さんに棒喝を与えた。彼は師父が『轉法輪』の中で説かれた法理を思い出してすぐ理解した。真に修める弟子であれば、師父は弟子の身体を浄化してくださるのに、どうして不正常な状態になったのか?

 「私は真に修煉を始めてから、いかなるよくない症状も消え去り、よく食べよく眠り、顔の色もよくなったのに、なぜ不正常なフェリチン値が現れたのでしょうか?」

 彼が思ったのは、修煉者にとってはいかなることも偶然ではなく、このような結果は、彼の求める心を取り除くためだった。

 劉さんは病気のことをもう考えないようにし、毎日仕事と家事以外の時間は、学法や煉功をした。その後、20年来彼は薬を飲んだことがなく、医者の治療を受けたこともなく、身体はとても健康だ。

 法輪功を修煉したあと、劉さんの身体に奇跡的な変化が現れたのを目にして、大学で薬学の勉強をしていた娘さんはその後大法の修煉を始めた。

 師父の『シドニーでの説法』を聴いて、正信を固める

 劉さんは無病で身体が軽くなり、師父が身体を浄化してくださったと分かった。これは修煉の最初のステップであり、「真・善・忍」に基づいて自分を修め、実修を通して精進しなければならないと悟った。

 「最初は私の脚が堅いために、およそ半年かけて五式の動作ができるようになりました」、「座禅をするときは足がとても痛く、私はタイマーを使い5分からスタートして時間を少しずつ増やして行きました」

 「私がはっきり感じたのは、座禅の痛みに伴い、一塊一塊の黒い物質が私の身体から離れました。師父が『轉法輪』の第4講で言われたとおりでした」

 1999年5月、師父はシドニーに来て説法され、その時劉さんがシドニーを訪れたことは忘れ難い思い出になった。

 新しい学習者として、幸運にも師父の説法を聴くことができ、劉さんは感激の涙を流した。彼は「師父の一つ一つの言葉は私の心に深く届けられ、その感動は言葉では表しようがなく、師父の説法を聴きながら泣き続け、涙が止まりませんでした」と話す。

 法会の終了後、師父が導いて下さる路は正法の大道であることがさらに分かり、「当時の私は信念がさらに確固となり、どんなことに出遭おうと、師父について最後まで歩き通すことができます」と話した。

 1999年7月20日、共産党は法輪功に対する残酷な迫害を発動した。海外の法輪功学習者の迫害反対の道のりについて、劉さんは99年7.20から、自分ができる真相を伝える活動に参加し、「この過程で如何なるものも私の正信を揺るがすことはありませんでした」

 「2006年から私は『轉法輪』を暗記し始め、さらに師父の法理を真に悟ることができ、内に向けて探し、日常生活の中で矛盾を通して心性を高めています」

 最後に劉さんは、「修煉を始めてから、私の身体は軽くなり、十数年来ずっとそうです。20年前の写真と比べて、今の方がもっと若くなりました。ほんとうに奇跡です」と語った。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/12/3/357241.html)
 
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