今風の粋な人をしっかりと演じきる
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2017年11月2日】1998年の旧暦の1月、当時重病で為す術がない窮地に陥っていた私は幸いにも法輪大法と出会い、1日も経たないうちに危篤状態から抜け出すことができました。19年間、師父について修煉する中、師父は私に「法を正す時期の大法弟子」という称号を授けてくださいました。私はこの上なく光栄に感じ、大変誇りに思うと同時に、自分の背負った責任の重大さもよく分かっています。ここでは、「今風の粋な人をしっかりと演じきる」に対する悟りと体験を、偉大な師父にご報告すると共に、全世界の大法弟子と交流し、縁のある人達と分かち合いたいと思います。

 差別から尊重まで

 師父は「覚えておいてください。あなたの正念は常人を変えることができますが、常人はあなたを動かしているのではありません。常人が何かを言ったり、またはあなたを妨害した場合、気にしないでください。行うべきことを行えばよいのです。人間の思考の源は非常に複雑で、しかも多くの人の場合、観念でものを言っており、自分の真念、本当の自分が言っているのではありません。ですから、言ったことは往々にして似て非なることであり、心にもないことを言っています。何を言ったのかをすぐ忘れてしまいます。その人自身も自分が言ったことを重視していないのに、あなたはなぜ重視しているのでしょうか? 何を言ったのかを気にしないでください。あなたが言った一言一句は、相手にとってすべて大きく響く雷なのです」[1]と説かれました。

 3年前、私は病院の臨床課から管理課に異動させられました。ここの人の多数は権力や勢力があり、大多数は女性で身なりを重んじ、ひいてはこれらを身分の象徴としていました。一人一人は大変傲慢で、新しく異動して来た人に非常に冷たかったのです。50歳近かった私は途中で仕事が変わり、業務は未知のものでした。上司は仕事を按配してもあまり教えてくれず、私はプレッシャーを感じ、ひいては彼女らを恨みました。修煉者として我慢すべきと知っていましたが、心の中では不平を感じていました。これは私が人を救う新しい環境であり、彼女らは私と縁があると悟りましたが、同時に頭では、党文化で一杯のこの人達が救われる難しさを心配していました。

 当時大法は15年間迫害され続けていました。病院には以前10人以上の大法弟子が働いていましたが、3人が非合法に刑を言い渡され公職を除名され、1人は強いられて辞職し、1人は強いられて異動させられ、残りの同修の多くは差別を受けていました。大法弟子に対する迫害に直接加担した病院側の人は悪の報いを受け、癌にかかった人、4人が車の事故に遭って死亡した人、末期になった人も1人いました。私は世の人々のために責任を負い、彼女達を救わないといけません。

 これらの傲慢な人に直面して、私は彼女らの執着にしたがって、救い済度することにしました。以前は人におとなしく従い、人のマイナスの一面に触れないことが人の執着に従うことだと思っていました。15年が経ちました。中国共産党のデマを流すマスメディアに惑わされ、江沢民集団の狂気じみた弾圧の下、大法弟子として続けて修煉し、真相を伝えることができれば非常に素晴らしいことです。人を救う過程で繰り返して迫害される中、恐怖心がよく現れ、多くの大法弟子は善い人になるという誤った認識の枠から抜け出せず、屈辱に耐えて重い任務を背負い、意識的あるいは無意識的に家庭の中、社会の中で虐められる立場に陥り、善い人としての尊厳を失い、人々に業を造らせ、彼らを台無しにしてしまいました。

 修煉する前私は病気のため、髪が短期間で白くなりました。このおおかた全部が白髪頭で、身なりを重んじなければ、どうやって彼女らと仲良くなれるのか、師父は私にこのような素晴らしい仕事をくださいましたのに、これほど多くのお金を稼がせてもらい、これは人を救うために使うべきで、私も自分の持っている全てものをしっかりとこれらに利用すべきだと思いました。常人は名、利、情に執着し、お金と権力、勢力のある人を畏敬しますので、私は普段とあえて真逆にしました。まずパーマをかけ髪を染め、整った髪型にしました。着る服や、持っている鞄にもこだわって非常に気を使い、自分にふさわしい身なりをし、人と接触する際、傲慢でもなく卑屈でもなく、品行方正に振る舞いました。

 私は豊富な臨床経験を持っていました。私はドキュメント(記録物)を自分で学ぼうと、ネット上で資料を調べ、教育用ソフトウェアを学び、仕事の中で自分に対して厳しく要求したところ、私の業務レベルは非常に速く向上しました。主任が私に按配した仕事を非常に素晴らしく完成させました。その過程は辛かったのですが、私にこの願望があると、師父は私の智慧を開いてくださいました。私は少しずつ仲間入りしていきました。

 私は暇な時間に他の課の人達とも接触しました。彼女らの大多数は美容の事や、養生や、服の購入や、誰の家族に権力があり、お金があるかをよく議論していました。私も彼女らの聞きたがるものを話したり、彼女らが推薦する化粧品を買ったりして、少しずつ距離を縮めていきました。すると、その傲慢さが少しずつ弱まり、彼女らは自ら私のところに訪れて話すようになりました。私は時機を逃さず、賢く大法の真相を彼女らに伝えました。彼女らに大法とは何か、中国共産党は如何に法輪功を迫害したか、大法を支持すると福をもらえ、大法を中傷し破壊すると道義上許されないことなどの真相を話しました。これらの雷鳴のような事柄は、彼女らを全く関心を持たなかった状態から、驚き唖然とさせ、彼女らの心のしこりを一つずつ取り除き、溶かしていきました。

 数ヵ月の間に、私は二十数人に大法の真相を知らせ、しかも5人の同僚が修煉をはじめました。私は臨床課に仕事で検査に行く有利な条件を大切に利用して、人を救いました。私の堂々とした態度、善良さ、仕事に対す勤勉な態度、素晴らしい仕事ぶりは病院の幹部らから褒められました。

 私は上層部から検査に訪れる幹部に伴う仕事をよく按配されます。智慧を持った私の案内は幹部と専門家に賞賛されました。これらのすべての機会を利用して、専門家に大法の真相を知らせ、現在すでに数人の専門家と友人になりました。彼女らは私自身からたくさんの他の人と異なるところを目にしたと言いました。

 仕事の中で、時には無意識的に課の主任と争います。最初は自分が正しいと思っていましたが、修煉が向上するにつれて、自分に慈悲心が足りない、表面的な威厳の下に、闘争心や、嫉妬心、恨む心、自分を実証する心が現れていることに気付きました。それを正すため、私は時間を大切にして法を多く学び、正念を多く発してそれらを排斥しました。主任は私から何回も大法の真相を聞きましたが、いまだに大法を認めておらず、 一心に幹部になりたがっていて、共産党組織をしっかり握って離さず、 真相を聞く勇気のない可哀想な人でした。師父は「各地区の大法弟子は基本的にその地区の衆生が救われる希望であり、しかも唯一の希望です」[2]と説かれました。私たちが一緒にいることは縁によるものであり、彼女が救われる機会でもあります。私はそれを大切にしようとしました。少しずつ彼女に対する嫉妬心がなくなり、恨む心も消えていきました。

 全国での医療紛争が相次ぎ発生している中、病院は院長から臨床課の主任まで相次ぎ影響を受け、失脚しました。病院の管理職の人はみな薄氷を踏むがごとく、仕事の圧力が非常に大きいのです。私がますます課の主任の仕事に協力してあげると、私に対する彼女の態度は大きく変わりました。仕事の中で彼女はますます私に依頼し、重要な仕事があると私に相談し、最初の差別から現在では尊重に変わりました。真相が分かった管理層の同僚と幹部はみな非常に私を尊重し、ひいては敬服するようになりました。

 人を救う中、私は非常に理智的に行いました。ですから、17年の間神への道のりは非常に安定して着実に歩んでおり、基本的には厳しい迫害を受けたことがありません。

 新しい学習者の巨大な変化

 新しい課にきてから3年以上経ちました。数人の同僚が真相を分かってから、修煉をはじめました。彼女らは常に私のオフィスで自分が修煉してから発生した不思議なことを話し合います。また彼女らが修煉してからいかに心性を向上させたか、また互いに学び合い、比べ合います。誰が長く坐禅できるのか、誰の煉功動作が正しいかなどです。彼女らの交流を聞きながら、私はいつも涙を流しています。

 Aさんは修煉してから、認知症の姑を念入りに面倒をみるようになり、恨み事も悔いる事もなく、兄弟姉妹と言い争うこともなくなりました。長年の胃腸病が治り、甲状腺機能亢進症が治りました。以前、如才なく( 抜け目がないこと、自分本位(自己中心的)で、幹部の奥さんぶりをひけらかすこともなくなりました。彼女は、修煉を通じて、共産党に毒害されて、如何に人間として生きるかを今までは全く知らず、権力があり勢力があっても何一つ楽しくなかったのが、今では毎日が楽しく感じると言いました。

 Bさんは産婦人科の医者です。2年前、医療紛争のために身体が悪くなり、1日中悩みが絶えずうつ病になり、何回も自殺を図りました。医者であるご主人は休みを取って、自宅で彼女に付き添っていました。家族全員が心配でたまりませんでした。彼女は臨床の仕事を再びすることが出来なくなったため、管理課に異動してきました。修煉して数日後に病気がすべてなくなり、彼女の精神状態は完全に良くなりました。ずっと高みに立って下を見下ろしていて、言葉数の少なかったご主人が私に会うと自ら声をかけてくれます。修煉を通じて、Bさんは臨床上の手厚い待遇を放下しました。特に正当でない収入が多く、また、婦人科医は毎日、流産の処置をすることで殺生をしており、それにもかかわらず正しいか間違っているのか分別できず、たくさんの業をつくってきました。彼女は自分が修煉の道を歩み出したことを幸いに思い、修煉者としての生き方が分かりました。

 修煉する前、Bさんは舅との間の長年のトラブルを放下できませんでした。最近、舅は病気が重くなり、また後で迎えた連れ合いに家から追い出されてしまいました。普段からだらしなさで、身辺の何人かの子供たちはみな彼を扶養しようとしませんでした。舅は仕方なく数百キロも離れている末の息子に助けを求めました。末の息子は非常に難しく感じました。お父さんは子供たちに申し訳ないことをやったので、妻は同意しないはずだ、その上病気が重くなっている状況下であったが、妻に相談したところ、妻はすんなりと承諾してくれました。本当に予想外で、ご主人は嬉しさで感極まりました。妻は彼に「なぜなら、私が法輪功を修煉しているからです。さもないと私にはできません。あなたの家に嫁入りしてから、お父さんは私たちのことに関心をよせず、自分の生活ばかりを楽しみ、なのになぜ私が面倒をみないといけないのですか」と言いました。舅が来てから、Bさんは主人と一緒に舅の面倒をよくみました。1カ月後、舅の顔に赤味がさしてツヤツヤになり、息子の嫁に嫌われる心配がなくなりました。法輪大法は彼女を変えました。それから家族はさらに彼女の修煉を支持してくれました。

 新しい学習者は言葉では言い表せないので、ただしっかりと修煉することで、師父の救いと済度のご恩に応えると言ってくれました。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『二〇〇五年サンフランシスコ法会での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『二〇〇四年ニューヨーク国際法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/10/26/352279.html)
 
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