【明慧日本2017年12月9日】私は80代の田舎者です。1997年の冬、息子と一緒に街からやって来た同修が村に法を伝え、全村で56人が法輪功を学び始めました。我が家も全部で12人が大法を修煉し、私も今回法を得ました。
法輪大法を修煉することは最も光栄な選択であり、最後まで修煉することが私の最大の願いです。修煉者の道はそれぞれ異なるので、手本はなく、参考にするしかありません。師父が説かれた「修煉者にとって模範はなく、各人の歩む道も異なっています。なぜなら各人の基礎が異なり、各種の執着心の強さが異なり、生命の特徴が異なり、常人の中での仕事が異なり、家庭環境が異なる、等々の要因によって、各人の修煉の道は異なり、執着を捨てる状態は異なり、遭遇する関の大きさが異なっているのです。ですから、表面的に、ほかの人が用意してくれた道は非常に見つけにくく、都合の良い乗り物に便乗することは、さらに不可能なのです」[1]
師父が説かれ、修煉者の多くの異なる要素に基づいて、自分が修煉の中で師と法を信じ、修煉の道をしっかり歩み、関を乗り越える状況に結び合わせ、以下で、師父にご報告をさせていただきます。
一、縁があり法を得て修煉し、字が読めない難関を突破する
人の体は得難く、中国に生まれるのも得難いのですが、私はこの願いがかなったのです。最も幸運なことは、師父が法を伝えられるこの正法の時期に縁があり、法を得たことはそう簡単なことではありません。
法を得てから最も難しい問題は、勉強したことがなかったために、師父の書籍を持っていても字が読めなかったことでした。そのため、師父の法の意味が分からず、私は困ってしまい「どうすればいいのか?」と思いました。最後に、私は街へ行き息子の家で解決方法を探そうと決めました。
息子が師父の説法の資料をすべて持っているので、息子たちが昼間仕事をしている間、私は家で師父の説法の録音を聞き、ビデオを拝見しました。ほとんど毎日、師父の説法を聞いたり、見たり、メモしたりしました。これは文字を読むことを学ぶために私が作り出したもので、「見る、聞く、尋ねる、聞く、メモする」という方法でした。目の見えない人は記憶力がいいと言われますが、その人の心が静かなのでよく覚えられるのだと私は思います。私は目が見えるので、私の方がより優勢であるということは言うまでもありません。ですから、師父の説法を聞いたり、見たりする時、できるだけ心を静め、心が静かになれば記憶に役立つのです。
朝晩の活動もぎっしり詰まっており、毎晩息子と一緒に集団学法に参加し、これは師父が私たち修煉者に残してくださった修煉形式で、集団学法では良いところが数多くあります。その一つ目は、1人で学法するのと比べて集団学法の方がエネルギー場がより強く、お互いに恩恵を受け、心も静かになり、あれこれとつまらぬことを考えてしまうことを抑えられることです。二つ目は、お互いに学法の感想や悟りについて交流でき、お互いに促進しあって向上できることです。三つ目は、法を読む時、字を読み飛ばしたり、字を加えてしまったり、読み間違えてしまっても、すぐ直してもらえることです。四つ目は教養の基礎が低い同修にとって、集団学法の形式を通じて多くの文字が読めるようになるということです。毎朝煉功点で集団煉功に参加し、人が多いのでエネルギー場が強くなり、全身がとても楽に感じました。動作が正しくない場合には、輔導員がすぐに直してくれましたし、動作がそろうと平素から訓練を積んできた成果だと感じることができました。
1カ月間の町での忙しく充実した生活が終わり、収穫がたくさんありました。まず心性が向上しました。もともと怒りっぽい性格が冷静になり、問題があってもそれに耐えながら、冷静に対応できるようになりました。次に、集団学法に一カ月間参加して『轉法輪』を読めるようになり、村に帰って集団学法の煉功点を作ることもできました。三つ目は、法輪大法の五式の功法をマスターし、村で功法を教える条件も備わりれました。四つ目は、師父の説法を拝聴して、多くの人生の道理がわかり、また、師父が私の体を浄化してくださり、人生の道を変えてくださいました。
街へ行って大法を学び、たくさん収穫でき、村で法を広め、功法を教え始めました。
二、恐れる心を放下し、町役場の「610弁公室」の人員に正々堂々と真相を伝える
1999年7.20、中国共産党と江沢民は互いに利用しあい、法輪功を迫害し、あらゆるメディアを使い、法輪功を誹謗中傷しました。人々に真相を理解させるために、地元の同修が今までの成功体験を手本にして真相を伝え、友人の間に広く伝えました。しかし、中国共産党は多くの大法弟子を不当に連行しました。我が家でも1人が不当に重刑を宣告され、2人が不当に労働教養3年を宣告され、1人が不当に1カ月間拘禁され、1人が強制的に仕事を解雇されました。その後、息子と嫁は迫害により死亡しました。
我が家がこの出来事に遭ったことは偶然ではなく、漏れや執着心があったためで、内に向けて探す修煉環境を作りました。内に向けて探した結果「迫害を受けて以来、自分が学法と煉功をサボり、発正念を緩めたので邪悪に隙を突かれ、自分と家族に魔難を作り出し、その邪悪の目的はこれをきっかけとして師父に従って修煉する決意を乱し、師父と法を信じる正念を破壊し、赤色恐怖と親子の情で私の修煉に影響を与えようと企んだのだ」ということがわかりました。
そのため「精神を奮い立たせ、学法に努力し、心性を高め、正念を強め、毎日の発正念の力を強め、すべての空間場の邪悪要素を徹底的に取り除き、修煉の道にあるすべての魔難を突破するのだ」と自分を戒めました。それから、学法を多くして、毎日心を静めて『轉法輪』2講を学び、あるいは、師父の説法の録音を聞き、その時は心性の向上が速かったと感じました。
現在、我が家の迫害については心性がまだ達していないために、心性の試練が相次いでやって来たのかもしれません。ある年の初冬、省女子労働教養所から電話があり「迎えに来い」と知らせてきました。息子の嫁を見ると、迫害により全身が動けなくなり、死にそうになっていました。嫁は転向を拒み、同時に、警官と労働教養所の人員に法輪功が迫害されていることを伝え「天安門焼身自殺」の真相を伝えましたが、警官たちは聞かないばかりか、嫁を痛めつけて苦しめ、最後に体が硬直したので、労働教養所で嫁が死んでしまった場合の責任を恐れ、嫁を解放しました。
その年の年末のある日、町役場の「610弁公室」の人員7人が、恐ろしい形相で我が家にやって来ました。妻は恐怖で全身が震え、610弁公室の人員に真相を伝えることを許しませんでした。息子の嫁はずっとベッドにもぐりこんでいました。610弁公室の人員が来た目的は、私たちが煉功することを許さないためで、さらに、邪悪な理屈を代わる代わる言っていました。
私はできるだけ心を静めて正念を発し、すべての空間の邪悪な卑しい鬼などの邪悪要素を取り除き、師父に弟子を加持してくださるようにお願いしました。師父は「魔難を前にいかに行動するかは、すべて自ら悟らなければなりません。毎回の向上とは、すなわち、自ら悟って実証した果位が昇華したということです」[1]。「修煉者のゆるぎない正念は一切の人間の認識を超え、一切の人心を超越しており、常人には永遠に理解できないものですが、同時に、常人には変えられないものです。それというのも、人間には覚者を変えることはできないからです。」[2]と説かれました。この時、これらの法理が頭の中に絶えず浮かび上がり「そうだ、彼らをどのように覚者に変えられるのか? 絶対変えられない。だから、全面的に迫害を否定し、彼らの邪説と旧勢力からの彼らへの邪悪な支持を否定するのだ」と思いました。
私は恐れる感覚がなく、かえって相手にもっと優しくしようと思いました。610弁公室の人員に「あなたたちが煉功を許さない理由は受け入れられません」と説得しました。その道理の一つ目は、私の師父は人に良い人になるように教え、さらに高尚な人になるように教えてくださり、新聞やテレビで法輪功を誹謗中傷しているような嘘はまったく存在せず、「天安門焼身自殺事件」はすべてでっち上げだということでした。二つ目は、五式の功法は学びやすく、すべての人々に対応でき、病気治療と健康保持ができ、薬代と医療費を節約でき、これはいいことではないかということでした。三つ目は、『轉法輪』を学び、人の良くない思想と嗜好を改め、人の思想境地を向上させ、人の心を善良にできるからでした。四つ目は、人にやさしくする行為を行い、まず相手のことを考え、トラブルにあたって他人を思いやり、たとえば、警官たちは我が家を迫害した時でも、私はずっと警官たちを恨んだことはなく、警官たちの誰がこれをできるのか、ということでした。五つ目は法輪功が迫害されている真相を人々に伝えることは迫害の嘘を暴露し、嘘の中で人々に善悪を分別させ、人々が善良を選えば救われる、ということで、これはだれかに反対いているわけではない、ということでした。六つ目は、我が家の現状は警官たちがよく知ってる通りで、家事と畑の仕事は全部私1人でやっており、心身ともに法輪功にサポートされているので「もしあなたたちが私に煉功させないのであれば、私を連れて行きなさい!」と言ったことでした。すると、政法委員会(610弁公室を直轄する組織)の書記は「あなたのような人はいらない」と言い残して、立ち去りました去って行きました。
彼らの言動は、師父が説かれた通りで、師父は「その目的は強制的な手段で大法の修煉者の心を変えたり、修煉を放棄させようとするところにあるのです。これは無駄なことです」[2]。私が「610弁公室」の人員に正々堂々と真相を伝える際は、師父の加持をいただきました。師父が「大法弟子として、なぜ迫害を受けているときに、邪悪の徒を恐れるのでしょうか? 肝心なことは執着があるということですが、そうでなければ、消極的に耐えるのではなく、絶えず正念をもって悪人を正視してください。たとえどのような環境にあっても、邪悪の要求や命令、指図には従わないようにしてください」[3]と説かれました。
この時から今まで、毎年どれだけ敏感日であろうと、あるいは、2015年の「最高裁判所と最高検察庁」に江沢民の告訴状を送ろうと、あるいは、中国共産党の「ノック行動」などの時であろうと、我が家に嫌がらせを行う人員はいなくなりました。弟子を加持してくださった師父に感謝申し上げます!
三、情を取り除き、情の難関を正念で抜け出す
息子の嫁を迎えてから2カ月後、嫁はこの世を去りました。その年、息子は刑務所で迫害により亡くなり、我が家は涙にくれました。中共の江沢民邪悪集団は法輪功を迫害し、罪悪の限りを尽くし、元気な人を痛めつけて死に至らせ、我が家だけでも数カ月間の間に2人が亡くなりました。、全国ではどれくらいの人がいるのでしょうか? 心の中で非常に辛い気持ちが湧き上がり、時々涙を流しました。
ある夜、妻と一緒に学法をする時、次の内容を学びました。「すなわち、人の本当の生命は元神なので、元神を生んでくれた母親こそあなたの本当の母親です。六道の中で輪廻する間、あなたの母親は人であるのもいれば、そうでないのもおり、数え切れないほどいます。そして、生まれ変わる度ごとにあなたがどれくらい子供を持ったのかも分かりません。誰が母親で、誰が子供なのか、死んでしまえば、お互いに誰も分からなくなりますが、造った業だけは相変わらず返さなければなりません。人間は迷いの中にあって、どうしてもそういうことにしがみつきます。亡くなった子供がどれほど可愛かったかと言って、どうしても忘れることができない人がいます。あるいは亡くなった母親がどんなにやさしかったかと言って、悲しみに暮れ、残りの人生を捨てて後を追いかねない人もいます。よく考えてみてください。それはまさにあなたを苦しめるためのものではありませんか? そういう形で、あなたを楽に暮らさせないようにしているのです」、また「修煉したければ、人間の情を捨てなければなりません」、「情というのは常人のもので、常人とはほかならぬこの情のために生きているものです」[4]。 この時、師父の説法が私の心を震わせ、夢の中の私を目覚めさせました。師父は、目の前で起きたことに対してどのように処理するかを教えてくださったのですから、早く内に向けて探さなければなりませんでした。
師父の法理に基づき、自分が遭った試練に直面して、自分の心の深層を探した結果、「情」から生じた要素は以下のものでした。
第一に、「情というのは常人のもので、常人とはほかならぬこの情のために生きているものです」[4]。 修煉者の基準が下がったのは、常人と自分を混同し、旧勢力が設けた罠にはまり、旧勢力が企み、私を陥れた情の魔難の中で、修煉者の選択と意志を見失ったからでした。
第二は、師父の法理を自分がはっきりと理解できていないことでした。
たとえば迫害の中で、修煉していた2人の子供を失いました。もし悲しくなったとしたら、これは常人の感情の表れであり、修煉者の状態ではありません。子供たちは迫害されて若いうちに亡くなり、これは偶然なことではなく、多くの異なった要素が存在しているかもしれません。その要素はまず、旧勢力の修煉者に対する迫害を徹底的に否定し、いかなる生命も親子の情によって、大法弟子を邪魔したり迫害したりすることを許さず、だれも私が師と法を信じる心を動かすことはできず、もしだれかが動かしたなら、その人の罪になり、徹底的に滅ぼされるでしょう。次に、各自の修煉の道が違い、生活環境と仕事環境などの多くの要素が違うことでした。三つ目は、修煉者の肉身は迫害され亡くなっても、本当の生命は亡くなっていないので、大法の修煉の中で昇華できたことです。四つ目、子供たちに誇りを持ち、今世で法輪大法修煉者であり、師父の弟子として、肉身を捨てられることを誇りに思うことでした。なぜ息子夫婦のために悲しくて泣いたのでしょうか? 「修は己にありて 功は師にあり」[4]。修煉者のすべては師父が按排してくださったものであり、息子夫婦は自分たちの修煉の道を歩みました。私は師父を信じ、法を信じ、修煉者が出会うことはすべて良いことであると信じています。
第三に、情から生じた要素は、表面の情は見つけやすく、潜在意識の情は見つけにくいということでした。
例えば私が暴露した「心配事が胸いっぱいにある時に、つらい気持ちを誰かに語る」ということは、表面上は親子の情の執着ですが、打ち明ける人がいませんでした。潜在意識に恨みと迫害により傷つけられた痛みに対するどうしようもない悲しみが隠れていました。「どうしようもない」ということは消極的に受けとめられ、どうしようもない悲しみということでした。その悲しみは人を意気消沈させ、それは取り除くべき執着心であり、はっきり捨てなければなりませんでした。法理を明確にし、正念を増強し、心性を向上させ、情を放下します。
世間の情が修煉者の試練であり、「情」を放下し、人から出て、神に向かいます。一連の難関の試練を経て、師父の「失と得」の法理を深く理解し、情を捨てることができました。師父は「執着を放下すれば舟は軽くて快く進み 人心が重ければ海洋を渡ることは難しい 」[5]と説かれました。
要するに以上は、修煉過程における一部に過ぎず、浅はかな理解でしかありません。ですから、自分にはまだ足りないところがあると思います。たとえば師父は弟子に「三つのこと」をうまく行わせますが、私が真相を伝える方面で行っていることが少なく、客観的に言うとそれは、農村生活の空間が狭いためであり、主観的に言うと、自分が積極的に真相を伝える新しい環境を開拓していない、ということでした。また迫害の前には村で修煉者が56人いましたが、迫害の後では私を含めて5人しか残りませんでした。集団学法チームの環境を開拓しておらず、客観的に言うと、みんなが出稼ぎに忙しく、主観的に言うと、共産党の迫害が原因で恐れる心により集団学法が阻まれ、今のバラバラの状態になってしまったということでした。
これから限られている時間の中で、師父の要求に基づいて修煉の道を穏やかに歩み、自分の修煉の初心に戻り、師父の手を握って、法を正す進展について行き、家に帰ります。
よくないところがあれば、慈悲なるご指摘をお願いします。
注:
[1] 李洪志師父著作: 『精進要旨二』「道」
[2] 李洪志師父著作: 『精進要旨二』「強制は人心を変えられない」
[3] 李洪志師父著作: 『精進要旨二』「大法弟子の正念は威力あるものである」
[4] 李洪志師父著作: 『轉法輪』
[5] 李洪志師父著作: 『精進要旨二』「心自明 」