遼寧錦州市の陳桂英さん 自ら受けた迫害を語る
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 【明慧日本2017年11月20日】遼寧省錦州市の法輪功学習者・陳桂英さん(66歳女性)は、2014年7月13日、錦州駅へ戻って無くした財布を探しに行った際、駅の派出所で不当に連行され、その後、懲役3年の判決を宣告された。遼寧刑務所で長期にわたって迫害され、身体が非常に衰弱し、腰が曲がり、まっすぐに伸ばせず、体重は元の60キロから35キロに落ち、虚血性心疾患が現れ、暫くの間、瀕死の状態になっていた。

 下記は陳さん自らの陳述である。

 私は陳桂英といい、66歳で、法輪功を修煉する前に卵巣ガンを切除し、腸の癒着手術を2回受け、それから闘病生活が長く続き、人生は不幸のどん底に陥っていた。1994年のある日、『法輪功』という本を偶然に数ページ開いて見てみると、なんとそれだけで非常に強い正気を取り戻し、良い気持ちが暫く続いた。私は躊躇せず一気に『法輪功』の本を読み終え、これは修煉の本だと分かった。私は心の底から「私も修煉したい!」と強く思った。当日の夜からご飯も美味しく食べられ、睡眠も取れ、ぐっすり眠れるようになった。歩く時も身体が軽快であった。暫く修煉した後、最初に『法輪功』の本を開いた瞬間に、すでに師父が私の身体を浄化してくださったと分かった。

 修煉者としての私の心性は、次元が素早く向上していった。勤め先で、私は責任者の仕事をしていたが、報酬は普通従業員の給料並で、しかも私1人で3人の仕事をやっており、いつも速いスピードで高品質に完成させた。時には、利益を人に占有されたり、虐められたりしたことがあったが、私はいつも怒らず自制して、心のバランスが取れない事などなかった。周りの同僚は皆「健康で、無私で、能力が高い」と私を称賛した。迫害が最も深刻なあの時期でも、私の優秀な仕事を目撃した工場の現場のリーダーは、「これからあなたはこれらの本(法輪大法の関連書籍)を読んでもいい」とまで言ってくれた。

 2000年5月、錦州市で法輪功を誹謗中傷するイベントが行われた。私はこのイベント現場に行って法輪功の真相を説明したため、不当に1年の労働教養を強いられた。労働教養所で、私は毎日14~16時間の労働を強要された。そこで、法輪功学習者は不平等に扱われ、監視役の囚人によく暴力を振るわれていた。2004年、ある住宅区で法輪功についての真相ビラを配ったため、また不当に1年の労働教養を強いられたが、健康上の問題が生じ、医療を受けさせるため仮釈放の身となった。

 駅へ財布を取りに行った際に連行され、その後判決を宣告された

 2014年7月13日、私は駅で財布を無くしたため、駅へ戻って探しに行った際、駅の派出所の警官に保証書を書くことを強要され、拒否したために即座に連行された。警官は私の財布にMP4があるのを突き止めて、MP4メモリに法輪功の歌や舞踊の動画があり、法輪功学習者であることがバレた。

 その後、錦州市国保大隊(法輪功迫害の実行機関)の警官らが来て、私から自宅の鍵を奪い、鍵を持って自宅の家宅捜査を行った。家に誰もいなかったにもかかわらず、警官らは欲しいものをどんどん押収し、ひいてはパソコンに法輪功のものを密かに載せて偽造してから、正々堂々とこれを証拠として持ち去った。「5時間にわたって捜索した」とある警官は言いふらした。

 夜、彼らは私を公安病院に連れて行き健康診断を行い、心臓に異常があるという結果が出たが、国保大隊の李警官は「大丈夫だ。留置場に送れ」と命じた。病院で、点滴を受けていた他の患者を見て、私は同情心が湧いてきて、患者に法輪大法の素晴らしさを伝えたくて、「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい」と大声で伝えた。すると、李警官は私の胸ぐらを掴んで首を絞めた。

 錦州市留置場に入れられた翌日から、尋問が始まった。私は拷問の一つ・トラの椅子に縛り付けられ、侮辱され、限界だと思って必死に抵抗し、ついにこの椅子から振り切ることができた。

 留置場の警官は私を廊下に連れて行き、手の指を曲げる指図をすると、すぐに3人の囚人が出て来て、私に手錠をかけようとした。私が手錠を掛けられることに抵抗すると、十数人の囚人が出て来て、私を取り囲み30分間以上私を蹴ったり、殴ったりしたので、口や鼻から出血した。ある囚人は私の右手の親指を後ろに向けて折った。「ガタ」という音がして激痛が走った。現在、私の右手の親指は変形しており、常に痛みを感じている。囚人らは拷問の一つで、私を窓の枠の上に5時間にわたって吊り上げ、足のつま先だけで地面に立たせる状態にした。

 私は何も罪を犯していないので、囚人服の着用を拒否した。そのため、独房に4日間4泊の間、閉じ込められた。8月は猛暑なので、窓のない独房の中は蒸し風呂のような状態で、しかも私は拷問の一つ、死人ベッドに縛り付けられ、毎日数口のご飯だけを与えられただけで、水は一滴も飲ましてもらえず、トイレに行く事さえも禁止された。5日目、石紅・警官は私を死人ベッドから解放したが、私がベッドから起き上がって座らないうちに、石警官は靴を脱ぎ靴を持ち、腕を振るって猛スピードで激しく私の顔を殴った。顔は麻痺して痛みを感じず、ただ天地がグルグルと回転した。監室に戻ると、すぐに手錠、足かせをはめられ、身体が動かないように固定させられた。

 (2014年9月15日、錦州市凌河裁判所で陳さんに対して裁判を行い、陳さんに懲役3年の判決を宣告した。すぐに、陳さんは錦州市中級裁判所に上訴したが、「原裁判の判決を維持する」ことになり、瀋陽大北女子刑務所に入所させられた。)

 瀋陽大北女子刑務所でも、また様々な拷問を受け、迫害された

 2014年末、私は迫害されて39.7度の高熱を出した。2015年1月6日、高熱がまだ下がっていないまま瀋陽大北女子刑務所に移送された。そこに入る前に、健康診断で不合格のため、刑務所に受け入れを拒否されたが、留置所の所長は無理やり説得し、刑務所側に強制的に私を受け入れさせた。

 瀋陽大北女子刑務所に矯正管区という所があり、そこは地獄の地獄で、この刑務所に拘禁された法輪功学習者はすべて矯正管区で洗脳が行われ、痛めつけられた。そこの監視役はすべて積極的に上層部の迫害の指令に従い、自分の減刑のために、どんな人道に外れたことでもやった。私はそこで眠らせない、疲労困憊させる、飢餓状態にさせる、寒さの中を忍耐させる、トイレに行くことを我慢(大小便が漏れないように)させるなどの苦しみをなめ尽くした。昼は労働を強要され、夜は寒く、強い北風の吹きさらしの廊下に放置され、身体は終始ブルブルと震えていた。一日の食料は朝、ひと碗の半分だけのお粥だけだった。一番嫌なのは長時間にわたりトイレに行くのを禁止されたことで、十数日間大便が出なかった。しゃがむと、すぐに立たせられ、結局、終いにはとうとう脱腸し、痔になり非常に辛い目にあった。

 大北刑務所での3年間、毎日心身ともに痛めつけられていた。ある日、隊長は「おれはお前の個人情報を詳しく調べた。お前の家族の現在にも過去にも何のコネもない。そんなお前をここで死なせても迫害とは言えないな!」と言いった。

 長期的な迫害を受け、私は身体が非常に衰弱し、腰が曲がりまっすぐに伸ばせず、体重は元の60キロから35キロにまで落ち、虚血性心疾患も現れ、暫くの間瀕死の状態になった。私は頭が朦朧とした状態で、『五書』にサインしたことが、後で分かったので、そのサインを私は認めないことを声明した。 

 私は何の罪も犯していないので、労働することを断った。そのため、レンガと同じぐらいの大きさの鉄の椅子に縛り付けられ、様々な拷問を受けた。

 私がここで特に指摘したいのは、十数年来、中国社会で、中国共産党文化に洗脳され、汚染された人々は考え方が深刻に異変した。利己的になり、狡(ずる)くなり、陰険になり、お金のためなら何でもやりたい放題である。刑務所内では、法輪功学習者の冷静さや慈悲さは、警察官や囚人らの醜悪さと強烈な対比となって現れた。学習者のような良い人間は、このような非人道的で、残忍な刑務所に入れられるべきではない。私のように刑務所内で迫害されて、傷だらけになることはあまりにも理不尽なことである。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/11/15/356725.html)
 
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