大法の書籍を大切に扱いましょう!
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2017年11月10日】昨日部屋を整理したところ、雑多な物を入れた二つの紙箱の中に数冊の大法書籍が、他の資料と混ざって入れられているのを発見し、言い知れぬ気持ちを覚えました。引っ越ししてきたばかりの時は、テーブルの上に置かれている古くて破れた袋に大法の書籍が入っているのを見ました。同修の家でしたが、おそらく同修が慌ただしくて一時的に注意してないためだと思い、あまりそこまで気に留めませんでした。その前にも同じ体験をしました。当時同修と一緒に部屋を借りましたが、一度部屋を整理したら、複数の紙箱が見つかりました。以前この部屋に住んでいた同修が残した大法書籍と明慧週間などの資料でした。私が開けてみると、大法書籍と明慧週間や他の資料が混じっており、さらに大法の経文は本人が自分で組版したもので、少し汚くなっていました。私はすべての箱を開けて整理し、分類してから適切なところに収納しました。

 法を得たばかりの時、大法書籍がなくて私は同修と相談し、勝手に大法の経文を印刷したことがありますが、一部に印刷ミスがありました。また常人のウェブサイトからCHM形式の大法書籍をダウンロードして、他の人に転送したことや師父のお言葉をQQのサインに引用したり、他人に伝言として残したりしたこともあります。絶えず学法するに伴いこれらはいずれも法を乱す行為だと知り、二度としないように厳正声明を発表しました。しかし、今2回も同様な状況に遭遇し、心の中で一体自分のどこがよく出来ていないのかと内に向けて探してみました。

 私は以前故郷の家に置いておいた『轉法輪』や『洪吟四』、その他の自分で印刷した大法書籍を思い出しました。その中で1冊は家族とトラブルが発生した時、弟に破られてしまいました。なぜなら、家には大法書籍を収納する適切な場所がなくて、田舎の古いベッドの横木の上に置いていました。実際、何回もこの問題に考えが及んだのですが、他の所はあまりきれいではないと思い、また家族が勝手に動かすことを恐れてずっとそこに置いていました。真面目に考えてみると、やはりそんな所に置くべきではありませんでした。以前集団学法に参加した時、数冊の『轉法輪』の一部のページが抜け落ちていることに気づき、両面テープを買って張りました。しかし、一部は完全に抜け落ちていたため、良く粘着することが出来ず、自分でよく処理できないことを恐れ、やはり専門に書籍を造作している同修にしてもらった方が比較的にいいと思い、そのままにしておきました。

 また他の方面、例えば、学法する際、頭の中で他のことを考えるとか、法に対して定義をくだしたり、自分の認識を法の内涵としたりすること、同修と交流する時に表面上は非常に謙虚ですが、心の中では他人が自分より劣っていると考え、自分を偉いと思い他人に賞賛されたがること、ひいては自分の認識を他人に押し付け、他人にいかに行うかを指導すること、このような強烈な顕示心と名利心は自然と他人の功績を横取りすることであり、師父と大法に対して不敬な表れでもあります。

 また、大法書籍だけではなく、師父の写真とその他の大法の資料も適切な場所に置かないといけません。私達が住んでいる部屋も常にきれいに保つべきです。なぜなら、そこには師父の法身がいらっしゃり、修煉者として良好な衛生的で清らかな習慣を保たないといけないからです。

 この文章を書いたのは、自分が師父と大法に対して敬うことがよく出来てないことを恥ずかしく思い、師父に間違いを謝りたいからです。また同修に必要であれば家の物品を一度整理し、忘れている大法の資料がないかチェックして頂きたいからです。私達が共にこの機縁を大切にし、師父が私たちに授けてくださった大法書籍を大切にして頂きたいのです。

 個人の次元でのわずかな認識であり、足りないところについてご指摘お願いします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/11/2/356231.html)
 
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