師父のご加護の下で修める
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2017年11月17日】私は今年80歳です。師父の慈悲なるご加護の下、厳しい環境で失敗を重ねながら、21年間大法を修煉してきました。人身は得難いもので、中国に生まれることも難しく、大法に出会うことはさらに難しいのです。私は今生で幸いにも万古に一度会うことも難しい、高徳な大法を得ました。必ずやこの機縁を大切にして多く法を学び、しっかりと法を学び、師父のお話をよく聞いて、三つのことをしっかり行ないたいといつも考えています。

 一、人に直接真相を伝える中で心性を向上させる

 私は人に直接法輪功の真相を伝え始めてから10年以上になり、いつも半日は学法し、半日は真相を伝えています。私は性格が外向的で、知らない人と話すことを恐れません。しかし、人々に法輪功の真相を伝える一歩を踏み出すとき、どんな人心も出てきました。悪い人に告発されることを恐れ、私服警官に出会うことを恐れ、世の人々が聞いてくれないのではと恐れ、面子を重んじる心、真相を伝える事をいろいろと考慮する心、恐怖心などすべてが出てきました。毎日出かけて真相を伝えていても、肝っ玉が小さく、善人そうに見える人、一部の年配者、年配の女性、あるいは私に道を聞く人だけを対象に真相を伝えました。

 一度、私は60歳くらいの満面笑顔の男性に真相DVDを渡しました。彼は笑顔でDVDを受け取りましたが、突然体の向きを変えてDVDを捨てました。この挙動をみて私は重いビンタを食わされたようでした。なんと言っても私は知識人で、ずっと人に尊敬されてきたからです。今こんなことに出会い、心の中は腹立たしさと言い知れぬ寂しさを覚えました。しかし、むりやり我慢しながら、笑顔で彼に「要らなければ返してください。それは人を救うものです。捨ててしまったら、あなたは救われる機縁を失ってしまいます」と伝えました。その人は自転車に乗り、慌てて逃げ去りました。DVDは深い草むらの中に捨てられていました。私は師父に加持を求め、捨てられたDVDを見つけ出しました。この一幕を60歳ぐらいの女性が見ていました。私は彼女にDVDを渡そうか、彼女は先ほどの人と同じではないだろうか、といろいろ思いましたが、彼女はずっと私を見ていました。私はやはり人を救うことが重要だと思い、彼女の前に歩いて行き法輪功の真相を伝えました。なんと彼女は一気に真相を理解してDVDを受け取り、三退しました。

 このようなことに、その後、もう一度出会いました。野菜を販売する人に私が真相DVDを渡すと彼は憎々しげに地面に捨ててしまい、DVDのケースも壊れてしまいました。私は非常に怒りを覚え、心の中で、「この人は本当に恨めしい人だ。あなたが救われるように手助けしたのに、あなたは良し悪しも分からず捨てるなんて。本当にあげなければよかった」と強く思いました。その時、闘争心や恨む心、面子にこだわる心などが現れました。これらの心が出たとき、「このような良くない心を持っていては、真相伝えの効果が良いはずがない」と思い直しました。

 真相を伝えたことで、私は3回真相を知らない人に告発されて、現地の派出所に強制連行されたことがあり、そのたびに家宅捜査されました。私は人を救うことは本当に難しいと感じました。

 学法する際に、同修らと一緒に人を救う体験を交流しました。他の同修は人に真相を伝える時、いつも微笑んでいて、表情が穏やかで、毎日10人から8人、時には20人以上三退させていましたが、私はなぜ慈悲心を修め出せないのでしょうか? 師父は私たちに「人を済度することは即ちすべての人を済度することであり、人を選ぶことは慈悲ではありません」[1]と説かれました。私は自分をしっかり修めることが出来ず、常人の心をもって真相を伝えていました。世の人々はみな私達が救い済度することを待っています。私達とすれ違う人はみな縁のある人です。私は法を正す時期の大法弟子で、先史の誓約を果たさなければなりません。衆生を救い済度することは大法弟子の責任と使命です。

 心を調整してから、毎日、寒い冬でも、暑い夏でも、また風雨の中でも、私は外に出て人を救い、時間を大切にして人を救いました。

 二、恐怖心を取り除き 慈悲心を修める

 賑わいの中で、慌ただしく往来する人々を見ながら、遠くない将来、大淘汰の中で彼らの運命はどうなるのだろうかと身にしみて感じました。皆迷いの中にいるのだと憐憫の心が自ずと生まれました。私は身近な縁のある人に対して、再び人を選ばないように努力しました。

 一度、バスに乗ると隣に厳しい表情の男性が座りました。少し気おくれしましたが、やはり勇気を出して、彼に大法の真相を伝えました。彼はずっと黙って聞き、それから私が手にもっていた資料を見ながら、「法輪功のものですか」と聞きました。私は「そうです」と答えました。彼は「私にください、法輪功の物だけ受け取ります」と言いました。私は手に持っていた資料を彼に渡しました。バスが駅に着いて去っていく彼の背中を見ながら、一つの生命が真相を知ったことを嬉しく思いました。

 この数年来、いろんな人に出会いました。真相を全く聞かない人、罵る人、つべこべ言う人は、「こんなに年を取っているのに、自宅で孫の面倒も見ないで、外に出て資料を配布するとか、共産党からお金をもらいながら、あなたは共産党に反対している。やる事がないからか」などと言いました。私は一笑に付しました。告発する人に出会い、時には私服警官に尾行されましたが、いつも危険に遭遇すると、私は強大な正念を発しました。師父は私の身辺にいらっしゃいます。何回も危険を無事に乗り越えて来ました。かつて8、9回私服警官に尾行されましたが、私は強大な正念を発し、師父のご加護の下で、最終的に私服警官の尾行から抜け出し、安全に帰宅しました。6回ほど真相を知らない人にまとわりつかれました。私は発正念をしながら師父に加持を求め、彼らに、「法輪功は人を救っています、私達は皆よい人です。善悪には報いがあるという事は天理です」と伝えました。最終的に彼らのまとわりから抜け出し、安全に帰宅しました。

 また一度悪人に告発された後、2人の警官がやって来て、私の両腕を私の体の後ろに引っ張り、私を引っ張って行きました。広場の中で、私は大声で、「法輪大法はすばらしい! 真・善・忍はすばらしい!」と叫びました。一気に多くの人が寄ってきました。この時、また数人の警官がきて、私をパトカーに引っ張り込みました。派出所に送られましたが、私は恨む心がなく、ただこれらの生命は無知の中で業を造っている、彼らの未来は非常に悲しいのだと感じました。私は心の底から生まれた慈悲と善意をもって、彼らに大法の真相を伝えました。「私達は良い人です。あなた達は大法弟子を迫害しないでください。善悪には報いがあるというのは天理です。あなた達が何をやっても、将来自分がやった行為、やったすべてに責任を取らなければなりません。美しい未来を選択するか否かは自分で決めてくだい」というと、派出所の6、7人の警官が私から法輪功の真相を聞きました。1人の警官は笑いながら私に、「もう帰っていい」と言いました。もう1人の警官は微笑みを浮かべ、入口に立って私を目で追いながら見送りました。こうして、私は正々堂々と派出所から戻って来ました。

 私はこれらの魔難に遭遇しても、師父が私たちに要求された三つのことをしっかり行なうことをやめませんでした。師父は「善を修煉すれば、大いなる慈悲心が生まれます。慈悲心が生まれると、すべての衆生が苦しんでいるのを見て、衆生を済度しようとする願望を持つようになります」[2]と説かれました。なぜなら私達が修めているのは宇宙大法であり、宇宙大法こそ私たちにこのような慈悲を修めさせることができるのです。

 毎回、真相を伝える過程で、私の心は常に試練を受けました。師父は「皆さんは人類の希望です。必ずしっかり行なってください。必ず自分の責任を果たすべきです」[3]と説かれました。私は法を正す時期の大法弟子の責任の重大さを感じました。

 三、師父は縁のある人を私の身辺に連れて来られる

 一度、交差点で起きたことです。1人の女性が私に向かってまっすぐに歩いて来て、道を聞きました。当時周囲にはたくさんの人が立っていましたが、彼女は私にだけ道を聞きました。私はこれは偶然なことではなく、師父が大法の真相を聞かせるために、私の身辺に送ってくださったのだと思いました。私は彼女を横に連れて行き、たくさんの話をしました。信号が青になっても、彼女は急いで去る気配はなく、満面の笑顔で頷きながら、私の話を聞いていました。私の話が終わると、彼女は真相が分かり、三退したあと、道を聞くこともなく、満足して去って行きました。

 もう一度、私達5、6人が道路のそばに立っていると、道のそばの部屋の中にいる人が私に手を振りました。私は「あなたたちは知らない」と思いました。しかし彼女は一生懸命私に向け手を振り、合図をしてきました。隣りにいた人が「あなたに手を振っていますよ」と教えてくれました。私はその部屋に歩いて行き、「私に何か御用ですか」と聞きました。彼女は「そうです」と答えました。それから鍵を私に手渡して、「お手数ですが、この部屋を開けて頂けませんか」と言いました。なるほど、彼女は部屋の中でインキー( 鍵を中に入れたままドアが閉まること)状態になっていて出られなかったのです。部屋を開けると、彼女は幼馴染(おさななじみ)のように喜びました。私はチャンスがやって来たと思い、直ちに彼女に法輪功の真相を伝えました。彼女は大変喜んで私が伝える大法の真相を聞き、三退しました。私がそこを離れようとすると、彼女は私の手を握って、しきりに「ありがとう」とお礼を言いました。

 比較的頑固な人もいます。  取り付くしまもなく 、傲慢で人を見くだすように、「私たちは今、非常によい暮らしをしています。天と闘い、地と闘い、すべてを創造しました」と言いました。私がその人に「今、天災や人災がこれほど多く、人間は天には勝てず、地にも勝てません。人はあまりにも常軌を逸し、道理に反する行ないをしてはいけません。人間は天意に順応すべきです。何かを成し遂げたらまた天地に感謝すべきです」と告げました。普段なら、この状況だと頷いて共感してくれます。その時に、再び真相を伝えると聞き入れてくれます。最後に彼らは笑いながら私の説明に同意し、三退してくれました。

 無神論に毒害された人に、大法の真相を伝え、三退すれば平安になると伝えると、基本的に「私は聞きません、信じません」と言います。その時、私は他の内容を伝えます。「それでは、他の話をしましょう。西安の佛舎利塔について聞いたり、見たりしたことがありますか。それは釈迦牟尼の指の骨の舎利です。また九華山で修行した高僧は入滅した後、つぼに入れられましたが、1千年経っても腐りませんでした。韶関南華寺の禅宗の六祖慧能も1千年経っても肉体が腐りませんでした。常人は死後、もし何も防腐処理をしなければ、常温の下では数日で腐ります。修行しない人はなぜ火葬したあと舎利がないのでしょうか」というと、彼らの無神論の思想は崩れ始めます。私はさらに一歩進んで「法輪功は佛家大法を修めます。大法弟子があなた達に告げる事はすべて真実です。信じた人は福を得るのです。三退すれば平安を保つことができるのです」と伝えます。この時になると90%の人は多少考えを変え、法輪功の真相を受け入れることが出来るようになり三退するのです。

 一度、バスの中で携帯電話をいじっている若者に真相を伝え、彼に「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしいと覚えてください」と告げたところ、彼は認めてくれ頷きました。それから、私は彼に三退して平安を守るように勧めました。彼は突然何かに刺激されたように顔色を変えて、「あなたは私が何者か知っているのか? 私は警官だ」と言いました。私はドキッとしましたが、すぐに、私は彼を救っている、なぜ彼を怖がるのかと思い直しました。私は穏やかな心で「警官でも命を保たなければなりません。生命は最も貴重なものです。自分の生命を大切にすべきで、早く脱退すれば早く平安になります」と伝えました。彼は再び何も言わず、頭を下げました。私は「あなたはやはり自分の生命に責任を負わなければなりません」と伝えました。バス停に着くと彼は「これらのことを教えてくれて、ありがとう」と言って降りました。

 多くの場合、偶然のように一部の人が私の身辺にやって来ては、大法の真相を聞きました。実は師父が私に人を救いたい心があるのをみて、縁のある人を私の身辺に送られたのです。「『修は己にありて、功は師にあり』なのです」[2]。すべては師父がやっておられます。

 四、真相がわかった人々も 私のため祝福してくれる

 これほど長い間、私が真相を伝えた人の中には、幹部や、軍人、教授、従業員、農民、インテリ、学生、警官など多くの人がいます。彼らは真相が分かってから、みな私に微笑んで口々に、「ありがとう」と言ってくれます。一部は「安全に注意してください」とまで言ってくれます。また抱拳礼をする人、拱手の礼をする人もおり、彼らは自分の方式で私に感謝と敬意を現してくれます。その時、私の心はいつも暖かく感じます。

 一度私が50~60歳の女性2人に大法の真相を伝えた時、彼女たちは非常に真面目に聞いてくれました。私が話し終わると、彼女らは真相が分かり、喜んで三退しました。ずっと微笑みにあふれ、ずっと私に向けて微笑んでいて、まるで生命の中で最も重要な一刻を待ち望んでいたかのようでした。別れる時、大声で私に「あなたが元気で長寿でありますように祈ります」と言いました。もう1人はそのすぐ後に「あなたが限りなく長生きできるように祈ります」と大声でいいました。私も「あなた達が元気で、無事で、幸せになるように祈ります」と彼女らを祝福しました。周りの人はみな振り返って、私達の穏やかな様子をじっと見ていました。

 最後に師父の一段落の説法をもって、同修たちと励まし合いたいと思います。「大法弟子として、三つのことにしっかり取り組むことは最も重要なことです。まず、自分自身をしっかり修めてはじめて歴史的使命を果たすことができます。ですから、衆生を救い済度し、法を実証する全過程において、自分自身の修煉をおろそかにしてはいけません。ですから、修煉に必ず真摯に取り組むべきです。それは修煉者にとって最も基本的な保障です」[4]

 注:
 [1] 李洪志師父の著作: 『各地での説法九』「二〇〇九年大ニューヨーク国際法会での説法」
 [2] 李洪志師父の著作: 『轉法輪
 [3] 李洪志師父の経文: 『二〇一六年ニューヨーク法会での説法』
 [4] 李洪志師父の経文: 『大法伝出二十五周年ニューヨーク法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/11/1/356126.html)
 
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