文/遼寧省の大法弟子
【明慧日本2017年12月6日】私は58歳で法輪大法を修煉して半年になります。
5カ月前の私は麻雀に嵌っていて、昼夜を問わず遊んでいました。夫は私のことで怒りの頂点に達し、毎日私と激しく喧嘩していました。食事の用意も完全に放棄して、生きていてもつまらないと言う私にまったく手の付けようがないと感じた夫は、心臓と脳の病気を患ってしまいました。一方で、麻雀テーブルに座るとすぐに喜びに心が弾む私はいくら負けても気にせず、最後に金の指輪まで売ってしまいました。
姉は長年大法を修煉していて、よく私にこう忠告してくれました。「人間は麻雀で遊ぶために生きているの? 老後に病気にでもなれば後悔しても遅いですよ。生命を無駄にしないで! 大法を修煉することはとても良いことですよ。人身も無駄になりません」
大法の良さを知りながらも、私は学法や発正念のためにじっと座ることができませんでした。時々、お金を失って気分も落ち込んでしまう私は、むしろ修煉していた方がよかったと考えたこともあります。数年前、私は大法の資料を作るために100元を寄付し、年末に麻雀友だちに真相カレンダーを渡しながらこう考えました。「こうすれば、天災地変があれば私は助かるでしょう」
ある日、姉は師父の説法を読み聞かせてくれました。「乱れたこの世は、崩壊寸前の危うき楼閣の如く 迫り来る大難を憂うことさえ知らない」(『洪吟三』「心静かに見てほしい」)。私は少し心を打たれて、「大難が迫ってきているのに、私はまだ馬鹿馬鹿しく遊んでいて、何をしているんだろう?」と思いました。数日後の夜、私はある夢を見ました。大洪水が恐ろしい勢いでやってきて、どうしたらよいか分からない私は思わず「法輪大法は素晴らしい!」と突然叫んで、目が覚めました。
翌日の退社後(私はスナック店を経営しています)、私は姉の家に直行し、夢のことを伝えて自分も大法を修煉したいと言いました。姉は「大法はあなたの心に根を下ろしたようね。肝心な時に、あなたは大法によって救われる念が浮かんだのは本当に縁起がいい。しっかり自分を修めて下さい。時期的には少し遅いけど、本当に真心から修めていけば、師父は必ずあなたを指導して下さいます!」と言いました。私は真剣に「私も正法時期の大法弟子になりたいです!」と言いました。
翌日、私はこっそりと貯めていた6千元を夫に渡して、「これからは麻雀遊びを完全にやめて、『法輪大法』を修煉します」と言いました。お金を受け取った夫は感動して、何も言えませんでした。姉の変化をはっきりと見てきた彼は、大法に人々を変える力があることを信じるようになりました。
夫は、仕事以外のすべての時間を学法に使う私を全力でサポートしてくれました。私はよく真夜中に起きて学法や煉功をしました。ある日の3時50分、もっと寝ようと思った私は、鳴りだした目覚まし時計を止めました。通常、スヌーズ機能(二度寝防止機能のこと)がなければ、目覚まし時計は止めたら再び鳴りませんが、その日はなぜか、しばらくしてからまた鳴りだしました。50日ほど修煉してきて、このような現象は初めてでした。私はすぐに起き上がって静功を煉り始め、師父が私に早く追いつくように励まして下さっていると思い、感動の涙を流しました。
目覚まし時計のことを聞いた息子は、「しっかりと時計を止めなかったのでしょう?」と言いました。私は「50日間、こんなことは1回もなく、なぜ私が怠けようとしたときに鳴ったのだろう? それに今まで、私の麻雀遊びの癖を直せるものがあっただろうか?」と言いました。息子は納得の表情を見せました。
私が大法を修煉し始めてから、夫は毎日笑顔を浮かべて、運転で稼ぐお金も以前より多くなりました。大法を修煉し始めた2日目に、私のスナック店は開業以来の最高の売上げでした。孫娘は1日に30回「法輪大法は素晴らしい」を念じ、クラスで最高の成績をとりました。息子の激しい気性も和らぎ、家族は今までにない楽しい雰囲気に包まれるようになりました。
私の学法はまだまだ浅く、師父のすべての説法もまだ読み終えていません。しかし、真相を伝えている同修たちを見て、私も伝えに行きたくて、うまく話せるようにと師父に知恵をくださるようお願いしました。不思議なことに、口下手な私でも数人の衆生を三退させることができました。それは師父による励ましだと思いました。ある日、一緒に街を歩いていた孫娘は突然大きな声で、「おばあちゃん、道をちゃんと見て歩いているの?」と叫びました。その時、私は歩きながら真相を伝えることができそうな衆生を探していたのです。
私は学法グループの同修たちに同伴して、車で田舎まで資料を配りに行っています。私も正法時期の大法弟子になりたいのです! 私にも田舎に行って衆生を救う責任があるので、時間がある度に旧い同修と一緒に田舎に行きました。私はまったく恐れることなく、同修たちも喜んで私を連れて行ってくれました。姉は私に学びたいと言いました。実際、私がやっていることはまだまだ足りません。走っても皆に追いつけないと心配し、修煉を始めたことが遅すぎたと後悔しています。
時々、心性の関をうまく乗り越えることができず、名利情も放下できず、座禅の姿勢もきちんとできていません。しかし、私は必ず自分をしっかり修め、苦を恐れず、時間を惜しんで多く学法し、真の正法時期の大法弟子になりたいのです。
妥当でない部分があれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。