文/中国の大法弟子
【明慧日本2018年2月6日】2年間の実修を経て、身体の調子はすっかり元に戻り、周りの人たちに「若返ったね!」と言われるようになりました。これから、今までの修煉課程のある段階での出来事を同修たちと交流していきたいと思います。
人生の中で最も幸運な出来事は法輪功に出会えたことです。私は1998年に大法を修煉し始めました。もっと早く法を得たかったと悔しく思う時もありましたが、幸い、真理を見つけ、人生の意義を理解することができたので、「確固とした信念を持って、最後まで修めること」を心の中で誓いました。修煉の過程において、自分はそれなりに精進していると思っているし、これまで大きな難関もたくさん乗り越えてきました。また、全校生徒と教師全員にも真相を伝え、多くの人たちは「三退」をして救われました。私は毎年高校3年生、全クラス100人あまりの生徒たちに真相を伝え、「三退」を勧めています。ある年、高校3年生の生徒達に道徳の授業を教えている時、教材に法輪大法を誹謗中傷する内容が書かれいるのを見て、全てのクラスに1時限を費やして真相を伝えました。真相を理解し、「三退」をした生徒たちは皆、その教材を破り捨てて、ごみ箱へ放り投げました。
この事がきっかけで私は地方の文部省の関係者たちに連絡を取り、真相を伝え、これからはこのような教材内容を作成しないよう伝えました。その結果、法輪大法を誹謗中傷する内容の教材や試験科目は取り除かれ、そして、中には「三退」をした役員もいたのです。また、自校の校長は何度も文部省の役員や、他校の校長、理事長たちと会話のなかで、私の話が持ち出され、いつも褒めてくれるそうです。これも、「真・善・忍」という師父の教えを守った結果なのです。
しかし、それなりに精進していると自分なりに満足している時、突然、難関がやってきました。それは、2013年前後の頃のことです。手足に全く力が入らなくなり、体が異常に疲れ、気を失ったことも二度ほどありました。自分の状態にびっくりした私はすぐ原因を探しました。しかし、学法はもちろん、煉功もさぼっておらず、「三つのこと」もしっかりと行っているのに、なぜ体調がこれほど悪いのでしょうか。当時、学校には、自分と似たような状況の先生がいて、病院で検査を受け、糖尿病という結果が出たそうです。
しかし、私は病院に行かず、内に向けて探しました。自分は甘いものに目がなく、果物やデザート類が大好きなので、この執着心を取り除くべきかもしれません。この点に気づき、すぐに自分を律し、執着を取り除いていきましたが、体調は一向に治りませんでした。
2014年に定年退職してからは、身体の調子がさらに悪化してしまいました。顔色が悪く、常に気怠(けだる)くて何事においてもやる気が起きず、全身が筋肉痛に襲われて、疲労困憊し、さらには記憶力が激しく低下し、また、学法する時だけでなく、いつでも眠くなり、食欲もありませんでした。
2015年、父が亡くなりました。私も父の後を追うのではないかと家族に心配されて、病院に行くようにと何度も促されました。私自身は行きたくはないのですが、自分の現状に焦りを感じているのも事実で、とても苦しい思いをしました。当時、上記に述べたような身体的な苦痛よりも、大法に、そして、師父に申し訳ない気持ちがずっと重かったのです。また、自分が関を乗り越えられないことで大法に泥を塗ってしまったことへの罪悪感も大きく、皆に隠れて泣いていました。自分の修煉に大きな問題が起きたに違いありません。そうでなければ、長期に渡ってずっと病の状態に陥るはずがないのです。
私は心を決めて、内に向けて自分を探しました。これまでの修煉を振り返りながら、真剣に探したところ、あることに気づいたのです。今までの学法では、法を読んでいるものの、法を理解していなかったのです。学法をする時はすぐに眠くなり、よく気が散ってしまい、今していること、大きいこと、些細なこと、良いこと、悪いことなどが、まるで波のように次から次へと頭の中に浮かび上がってきて、真剣に学法ができていませんでした。これでは法を理解できるはずがありません。
真っ先に解決すべき問題は真剣に学法することです。同修たちと一緒に学法する勉強会に参加するだけでなく、普段、家でもなるべく学法を多くするようにしました。少し元気が出てくるとまた学法をし、眠くなった時は立ったり、歩いたり、跪(ひざまず)いたりしながら勉強します。また、声を出して読んだり、写したりしながら、法の暗記も始めました。暗記は遅いのですが、諦めずに努力すれば、それなりの収穫は得られます。
このような方法を通して、私はより多くの法理を理解しました。それから内にむけて探したところ、前よりもさらに多くの執着心や人心を見つけました。名利心、利己心、色欲心、嫉妬心、闘争心、安逸心など、これらの執着心に気づき、漸(ようや)く今までの修煉があまりにも精進していないことが分かり、同じ次元にいる時間があまりにも長かったのです。
学校では、先生同士でよく冗談話をします。常人の冗談話の中には下ネタが含まれており、また、異性間の接触もあります。皆本気ではないし、遊び半分で相手に軽く触れているだけなのですが、異性に触れるということは色欲心に繋がると私は思います。
他にも、個人の利益において、生徒個人に復習プリントや個別教材を印刷する時、他の先生たちは生徒からその分の費用をもらっていますが、私は決してもらいません。保護者や生徒たちからのプレゼントやお土産も断るようにしていますが、偶(たま)にもらったりもします。また、普段の生活において、妻は私の修煉に反対し、妨害してきますので、私は妻の態度に我慢しながら改善するよう努力もしてきました。しかし、それでも、根本的に解決できていませんでした。けれども、私はようやく悟ったのです。これまで、様々な執着心や悪いものを放下してきましたが、それはあくまでも表面上のことであり、無理矢理に放下したのであって、心の底から取り除いたわけではないのです。そのため、心性は向上せず、次元も上がらないのです。これが「実修」と言っていいのでしょうか。このような修煉でトラブルが起きないはずがありません。
自らの問題に気づいたところ、やはり根本的にまず解決すべき問題は「学法」であると悟りました。上記に述べたような方法で、絶えず法を勉強したところ、漸く、法が心の中に入るようになりました。思想と観念が変わり、多くの法理も理解でき、自分でも次元が高まったことに気付くことができました。以前の言動を振り返ってみて、自らの汚い思想や馬鹿げた言動に笑ってしまいます。「名利」や「情」に執着してきた昔の自分はなおさらのことです。常人のものにすっかり興味を失い、心の底から何も求めなくなったので、気持ちがすっきりしました。
それからは、学法を強化し、自らの思想を絶えず浄化していき、全面的に自分の執着や不足を探して、それらの全てを取り除いていきました。例えば、3年前、ある人にあることを頼まれたので、その人を連れて友人の所に行き、友人に問題を解決してもらいました。その後、その人に1万5千元の礼金を渡されたので、私はそのまま受け取りました。なぜなら、ちょうどその半年前にある集金項目で1万5千元をだまし取られたので、このお金は師父が按排された補償金なのかもしれないと思ったのです。しかし、今思えば、修煉者として、それは受け取ってはいけないお金なのです。ですので、彼にこのお金を返そうと、再び会った時、ついでに真相も伝えました。私の言動に感激した彼は「法輪功を修煉する君は本当にいい人だよ! 君たちの師父は素晴らしい人だ!」と彼と彼の妻2人で「三退」をしました。
学法だけでなく、煉功も重視しています。毎朝3時40分に起きて、歯磨きと洗顔を終えた後、第一功法から第五功法まで続けて煉功します。例え旅行や誰かが泊まりに来たり、自分が泊まりに行ったりしても、必ず毎日煉功するようにしています。以前は、両足が固く、足を組むことすらできませんでした。しかし、必ず座禅すると心を決めてから、どれほど痛くても我慢して座禅を続けました。心臓を抉(えぐ)るような鋭い痛みに襲われて、涙が出てしまい、両足の踝(くるぶし)が腫れ上がり、昼間歩く時でさえ激しい痛みに襲われても、諦めようとはしませんでした。そして、1カ月後、1時間ほど座禅することができるようになりました。冬は寒いので、厚めのズボンを穿(は)きますが、それでは足が滑り落ちて座禅できないため、短めの薄いズボンを穿き、素足で座禅するようにしています。
修煉はとても厳粛なことで、いかなる思想や観念、そして、言動も全てに渡り修めなければならず、自分を厳しく律しなければなりません。師父はこのように説かれました。「心性が高まってくると、身体にも大きな変化が起こります。心性が高まってくると、身体を構成している物質も間違いなく変化が起こります」[1]
2年間の実修を経て、2016年から、体の状態が少しずつ改善していき、そして、ついに今年で全癒しました。体の中ら活気が溢れ、とても元気で、人からよく「若返ったな!」と言われます。
修煉に近道は存在しません。心性を重んじて修煉しなければならないのです。師父はこのように説かれました。「心性の高さは功の高さ、これは絶対の真理です」[1]、「功が伸びるのに大事なのは心性を修煉することです。 宇宙の特性に同化すれば、宇宙の特性から制約を受けなくなり、心性が上がれば、徳の成分が演化して功に変わります」[1]
私たちの家庭や仕事場など、この常人社会において全てが修煉する環境なのです。修煉は、大法に則って行うこと、そして、衆生を救うことは繋がっているのです。修煉する前提で衆生を救うことができるのです。修煉者がどのような態度で人や目の前の状況と向き合うのか、この中で心性を向上させ、かつ、次元を高めていくのです。
修煉の中でトラブルが生じた時、修煉を通してトラブルを解決していくのです。問題の解決は次元の向上につながります。
これからも、自らを修め、より多くの衆生を救い、自らの使命を果たすべく修煉していきたいと思います! 師父の慈悲なる済度とご加護に感謝いたします!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』