大法を修煉して知った大きな喜びと驚き
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2018年1月27日】私は黒龍江省に住んでいます。幼い頃からずっとここで生活しています。今年の冬、私は手袋をまだ1回も着用していません。これは私にとっては本当に嬉しくて、これまでに味わったことのない喜びと驚きなのです! 皆さんはきっと「これは大したことではなく、ごく普通の小さな事だ」と思われているはずです。しかし、他人にとってこの普通の事が、私にとっては普通な事ではなく、確かに大きな喜びと驚きを感じています! これはなぜでしょうか、それには訳があります。

 私は60年代「文化大革命」の時期に生まれました。あの頃の中国は物が極めて欠乏し、普通な庶民の家はみんな苦しい生活をしており、とても苦難な時期でした。母の話によると、私が生まれた当時、1軒の平屋に住んでいました。冬になると、四つの壁の三面に霜がビッシリつき、窓ガラスにも分厚い雪の結晶が付いていました。当時、ビニールシート類もあまりなく、紙を糊付けして窓の枠の隙間に貼っていました。

 私の家の近くに山はなく平原で、チガヤ(イネ科の植物で、日当たりのよい空き地に一面にはえている雑草)を燃やしてご飯を作っていました。冬が訪れると、外の気温は零下20℃~30℃まで下がり、家の中でもとても寒かったのです。母は綿入りの袖カバーや手袋を作ってくれますが、それでも、私の手と足は赤く腫れあがり、痒くて痛くて、毎年のように冬には欠かさず凍傷になり、避けられませんでした。

 ナスの煮た汁は凍傷を治癒できると母は人から聞いて、やってみましたが全く効きませんでした。薬用酒には効果があると姉が聞いたのですが、やはり効果はなく駄目でした。

 そうすると、私は自然と細心の注意を払って手を守るようになり、ちょっとでも寒くなったら、早めに手袋を付け、薄めの手袋と厚めの手袋を用意し、なるべく冷たい水に触れず、風にも当たらないようにして、油断したことがありませんでした。しかし、小学校から大学まで、そして就職後にも相変わらず、両手と両足のしもやけは治らず、やはり毎年、毎年繰り返していました。

 就職したばかりの昼休みの時間に、皆がよく将棋をしていました。私も参加したかったのですが、皆の前で赤くて腫れあがった手を見せるのが嫌で、気まずく思い、皆と将棋をさすことをあきらめ、普段、なるべく手をひと前に出さないように心がけていました。

 1997年、私は『轉法輪』を読んで素晴らしい本だと思い、法輪功を修煉し始めました。知らず知らずのうちに、私の手の赤みが消えて痒みも治りました。1999年7.20前に、零下30℃の外で煉功した時、大雪が降っても、ナイフのような猛烈な北風が吹いても、私の手は正常なままで痛みと痒みもなく、赤くもならず腫れもしませんでした。

 過去の三十数年の間、各種の方法で治療しても治らなかった手足のしもやけが、法輪大法を修煉した後、一錠の薬も飲まず、一銭も使わずに治ったのです! 今後、人の多い場所でも、人目を気にして手を隠す必要もありません。なんと不思議な事ではありませんか?

 自分の手はすべて正常になったとはいえ、冬になると習慣的に手袋を付けていました。恐らく潜在意識の中で、凍傷のことを心配していたのかもしれません。冬に手袋をはめることは、東北地方ではごくごく当たり前のことです。

 今日は、最も寒い極寒の時節「三九」の最終日です。私は、突然あることに気づきました。今年の冬、私はずっと手袋をしていないことです。こんなに寒い日に毎日通勤して、外でバスを待っていたのに、手が寒いという感覚がありませんでした。「寒い」の概念が無くなっていました! これは私にとって、また一つの飛躍で、大きな喜びと驚きを感じました!

 これは自分の身に起こったストーリーで、大きな事ではありませんが、私にとっては尋常ではないことです。皆さんもこの文章を読むと、私のことをうれしく感じるに違いありません。

 明慧の読者の皆さん、あなたも『轉法輪』を読んでみませんか? 法輪大法は高いレベルの佛家修煉大法で、宇宙の特性である「真・善・忍」に従って修煉する、生命双修の功法でもあります。法輪功を修煉すれば、個人、家庭、社会および国にとって、百利あって一害なしです。実際に修煉すれば、あなたも良い事にきっと出会えるはずです。私の経験したことよりもっと不思議な事を経験されるかもしれません。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/1/18/359760.html)
 
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