師と法を信じることは修煉の基本である
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2018年5月7日】一時期、目の前に靄(もや)がかかっているかのようで、視界がぼやけ、学法しても煉功しても全く治りませんでした。時間が経つと色欲心や物質に対する執着、そして、仕事中においても闘争心が生じたため、身体に病のような症状まで現れたのです。

 心を静めて内に向けて自分を探したところ、根本的な原因に驚きました。なんと、今までずっと修煉の終結に執着していたのです。インターネットで自然環境や世論、政治の動きなどの記事を気にするようになり、いつの間にか毎日、必ずこれらの記事を見るようになっていました。少し前に第五功法を煉功していた時、最後になると足が異常に痛くなり、煉功の音楽が長引いたのではないかと思うほど大変でした。

 師父は、「坐禅の時間が少しでも長くなると、耐えられない人もいます。しかし、足を崩すと、せっかくの煉功が無駄になってしまいます」[1]と説かれました。それでは、この法を実証する時がいつまでなのかを執着するのも、座禅と同じようなことではないでしょうか? ましてこれらの時間は、師父が多大な苦痛と引き換えに我々の修煉と衆生を救うために延ばしてくださった時間なのです。

 時間の問題について、師父は説法の中で何度も説かれました。「大法弟子はいつも時間ばかり気にして、自分の行なうべきことを行なわないようではいけません。私が時間を延ばしたのはつまり、皆さんに時間を与え、早く取り組むようにするためです!」[2]。つまり、我々大法弟子がしっかりと自分を修めておらず、救うべき衆生を救っていないから、師父がわざわざ我々のために時間を延長されたのです。しかし、我々は早く終わってほしいという人心を抱き、行動においても消極的で、最後の時間を待ちわびているかのようで、自分が修煉者であることを忘れていたのです。

 例えば、朝煉功する時、何度か妻にアラームがうるさいと文句を言われました。その時内に向けて探さなければ、相手の立場になって考えもせず、ただ一方的に自分の要求を主張するばかりで、結局は妻と言い争いになってしまいました。その後反省し、煉功をすることは大法弟子として当然行うことなので、アラームにばかり頼っていてはいけないことに気づきました。神がアラームに頼るでしょうか? アラームの音が他人に迷惑をかけているのなら、それは、相手を傷つけているのではないでしょうか? この点を認識してからアラームを取り消し、代わりに寝る前に、翌朝早く起きることを何度も自分に言い聞かせ、師父にもご加持をお願いしました。それからは毎朝起きるべき時間に、ちゃんと起きれるようになったのです。思いを正せば全てがうまくいくのです。

 今年の初めに突然、痛風のような症状になってしまい、なかなか治りませんでした。毎日、法を勉強しているし、煉功もし、発正念などやるべきことをちゃんと行っているつもりでしたが、実は、強い人心を内心に隠していたのです。学法と煉功をすれば病は必ず治ると頭のどこかで思っていたので、体に現れた症状を病気と見なし、学法と煉功を治療手段として行っていました。また、症状がなかなか収まらないのは、もしかすると、師父が自分の事を諦めたのではないかと疑心暗鬼になったこともありました。このような考えは師父と大法に対し、非常に失礼なことで、内から自分の心性の問題を探すのではなく、自分が行わなければならないことを修煉の条件にしていたのです。

 自らの行いを法と照らし合わせ、そして、心を静めて内に向けて探したところ、肉に対する執着心や楽な生活への憧れ、定年退職後の生活スケジュール、自動車教習所で講師の機嫌を取るために飲み物やたばこを買うなど、たくさんの人心を見つけ出しました。まさに、これらの行為が悟性を邪魔しているのです。修煉に小さい事はありません。普段の些細な事を見過ごすと、時間が経つにつれて大きな問題に発展していき、そして、修煉していない常人にこのような状態を見られると、真相を伝えてもなかなか信じてもらえなくなってしまうのです。逆に、自分自身の言動を正せば、周りの人々にも正の影響を与えることができます。少し前、再び痛風のような症状が現れました。妻は非常に心配しましたが念を正し、煉功をすればすぐ直ると伝えると、翌日には何事もなかったかのようにすっかり元気になりました。今でも、妻は他人に今まで起きた奇跡のような出来事を自慢しています。

 その後、別の症状も出て、冷や汗をかくほどの痛みに襲われましたが、その時は、徹底的に旧勢力の按排を否定し、師父の按排だけに従うという一念を固めました。そして、師父にご加持を求めて煉功を続けたところ、それまで以上に心を静めることができたのです。煉功を終えて『論語』と『洪吟』を暗唱していくと、いつの間にか痛みが引いていきました。それから、何度か症状が繰り返し現れたものの、以前より随分痛みが楽で、心性を守ることができれば短時間ですぐに回復できました。しかし、少しでも気を緩めると痛みが増し、なかなか回復できなくなります。修煉者として師と法を固く信じることができれば、師父は必ず我々のために最高の按排をしてくださるのです。

 完全に師と法を信じていないと、真相を伝え、衆生を救うことにも影響を及ぼし、たくさんの縁のある人が人心の妨げによって、救われなくなってしまいます。師父はすでにすべての事を按排してくださり、我々はただ口を動かしているだけなのです。ある日、仕事で顧客と会議をしている時、ついでに神様への信仰について話し合いました。すぐに彼が縁のある人と感じましたが、隣に人がいたことを考慮して、真相を伝えませんでした。顧客と別れた後、非常に後悔しました。業務が終わり、もう二度と彼と会えなくなるからです。しかし、間もなくして、その顧客は仕事で別のマネージャーと再び会社に来ました。前回の教訓を受けて、今回は人心を突破して真相と伝えようと思った時、そのマネージャーは用事で席を離れ、彼と2人きりになりました。この機会を逃さず、すぐに師父が神様や佛様について説かれたことや大法が迫害を受けている真相、「三退」などを伝えると、真相を理解した彼は感謝してくれました。彼と一緒に来たマネージャーにも真相を伝えようと思い、ちょうど面談の終了の際に、話したいことがあり、そのマネージャーと2人きりになりました。そして、彼にも真相を伝え「三退」を勧めたところ、相手は同意してくれました。

 我々が行動すれば、師父は必ず知恵と能力を授けてくださると真相を伝えていく中で実感しました。例えば、神様を信仰する人に真相を伝える時は、無神論と有神論を用いて彼らを啓蒙し、本性を引き出します。有神論とは、人間は神様が作り出したのであり、善い行いをすれば、神様のご加護を得ることができ、死後、神の世界に行くことができるという考え方です。しかし、無神論は進化論ともよばれ、人間は動物から進化してきたもので、高級動物だという主張です。中国では、共産党の団・隊・党に入り、自らの命を共産党に捧げますが、死後はやはり輪廻転生しなければなりません。そして、宇宙の大法を迫害する人は地獄に落ちるでしょう。以上の事を聞いて理解した人々はすぐに「三退」に同意してくれます。

 家や車の中に毛沢東の写真を掛けている人に、毛沢東の悪事を話すと、相手は全く聞いてくれません。しかし、亡くなった人の写真を壁にかけるようなことは、普通は誰もしないし、先祖の霊牌(れいはい)ですら、決まった場所にしか置かないのではないでしょうか。毛沢東は亡くなった人に変わりありません。そのような人の写真を壁に掛けるなど、あまりにも不吉すぎます。まして、彼は元々神の存在を否定しているので、そのような人に自分を守ってもらうなど、おかしくないですか? このように相手に伝えると、より効果的でほとんどの人が理解してくれました。そこでさらに、法輪功が迫害されている真相を伝えると、相手も反対しなくなるのです。

 長い間修煉してきましたが、今までの自分の行いを振り返ってみれば、大法の要求と師父の期待とはまだまだかけ離れています。他の同修と比べても、まだ大きな差が存在しています。良くできていない、実修していないことの根本的な原因は100パーセント師と法を信じておらず、1人の弟子として師と法を敬っていないからです。ですので、残り少ない時間の中で法をたくさん勉強し、師父の要求に従って自分を正していき、使命と責任をしっかりと果していてきましょう!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [2] 李洪志師父の経文:『二〇一六年ニューヨーク法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/3/8/362546.html)
 
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