【慶祝513】もし時間を戻せるなら 貴方は何を変えますか?
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文/ヨーロッパの大法弟子

 【明慧日本2018年6月20日】私は55歳の男性で、ヨーロッパ系の白人です。私の父は技師で、母は薬剤師です。私達の家庭は典型的な中産階層の家庭です。しかし私の生活は典型的なものではありませんでした。

 ある偉大な事

 小さい頃から自分は正真正銘の探検家だと思っていました。私の第一の発見は科学でした。小さい時、学校で私は科学雑誌を購読し、そして科学実験を行って電子装置を組み立てました。問題を解決するために、1人で数時間をかけて勉強したり計画を立てたりして、完全に自分のやる事に夢中でした。私は科学が大好きで、将来、父のように科学者になると家族の皆が信じていましたが、私は科学者にはなりませんでした。それは科学の中で自分の欲するものが何も見つからなかったからです。

 その後、私は創作を通して自分の考えを表現しようと思いました。私は親しい友人達に特別な手紙や詩を書きました。青少年時代の私は、自分の詩を歌にもできると思い付いたので、そこで音楽団体を立ち上げました。私はロックンロール・バンドのリーダーでボーカル兼ベース担当でした。20歳を過ぎた頃の私は頭が良く、容易くは妥協しない男前な若者に成長し、独特な世界観を抱えていました。これらすべてを私の音楽の中に反映し、それを聞いた人々は皆ファンになりました。私はロックスターになる潜在能力がありましたが、しかし、私はそれにはなりませんでした。

 軍隊での義務である兵役に服した時、私は他の人と一緒になる時間が少ないため、変わった人と見られていました。軍人は毎週1回だけ、午後の休みに兵舎を外出することが許されていました。他の人は皆この時間を利用して、酒を飲んだり女の子と一緒に遊んだりします。皆が遊んでいる間、私はいつも公共の図書館に行っていました。毎週、私は山ほどの本を寮に持って帰って、当番に当たらない限り一生懸命に本を読んでいました。暫くして、私は自分の本を書き始めました。兵役が終わる前に、小説の第一部を完成させ、その時、私は19歳でした。

 家に帰った後、私は引き続き小説を書きながら、音楽の方も弄(いじ)っていました。他の人が面白がっている事を私はとてもつまらないと感じ、友達の皆が生活を楽しんでいる時、私は自分の夢を実現するために、ひたすら努力していました。当時はとても重要な事をしなければならないと感じていました。それは偉大な事、世界を驚かせる事でした。その事に集中しなければ偉大な成功に繋がらないと知っていました。そのため、私は音楽活動を中止し、ロックンロール・バンドを解散して小説の創作に集中しました。私は名作家になる条件を備えていたのかも知れませんが、しかし、私は一度も有名になりませんでした。

 24歳の時、私は愛に溺れました。自分は今まで恋愛の経験があまりなくても、彼女は私の人生の半分とすぐ分かりました。私達は結婚して2人の子供が産まれました。

 その後、私は自分の夢を諦めなければならなくなりました。私は妻のために無私にすべてを放棄しました。小説の創作や作曲、スターの夢まですべて放棄しました。私は1人の普通の人間になり、普通の仕事をし、そして、愛と恨みや、恐怖心と興奮の狭間(はざま)で生き、目先の生活の中で生きてきましたが、永久にこのままでいいとは思いませんでした。

 人間は現実の生活のために生きる時、時間があまりにも早く過ぎてゆくと感じます。子供達は大きく成長し、私達は年を取り、私は若い時の僧侶のような人から、俗世間の凡人になりました。世界のあらゆることに左右されています。そうではありませんか? 不公平、不義と不随意な事に自分の心は大変痛め付けられ、それでも自分はいかなる事をも変える力がなく、来る日も来る日も引き続き辛抱し、忍耐しなければなりませんでした。私はひどく不平不満を言い憤怒する人間になり、いつも、いつもある人ある事の間違った部分と良くない一面だけを見ていました。そのような生活は楽なものではありませんでした。

 ある日、私は突然考えました。「自分はなぜ夢を諦めたのだろうか、一体どこでそれらを失くしたのだろうか? 自分は本当に特別な人なのか、それとも、この全てをただ自分の想像だけによるものなのか?」。思案した挙げ句、私は自分の夢に向かってもう一度、試してみようと決めました!

 40歳の時、私は第二部の小説を完成させました。それをある大手出版会社に持ち込み、出版にこぎつけ、ついに私が憧れてきたアイデンティティ(自己を確立する要素のこと)をもたらしました。これは、自分が世界を変える最後のチャンスだと思い、引き続き全身全霊で創作活動に没頭しました。

 43歳の時、私の第三部の小説が出版され、それから、私は脚本を書き始めました。一つ目、二つ目と書くにつれ、私は非常に忙しくなりました。しかし、自分の目をキーボードから離して眺めると、世界は思い通りに良くなっていないことに気付きました。人は小さな利益のために戦争を引き起こし、兄弟は敵になり、警官は最大の犯人だと見なされ、堕落者は聖人のように崇拝され、至る所が憎しみや虚言、詐欺に満ち溢れています。目的は何ですか? 私は一体何のためにここにいるのですか?

 私は今55歳です。私の人生は順風満帆になりました。私の人生の目的と意義が完全に変わりました。どのように変わったのでしょうか? これから私にゆっくりと話させてください。

 修煉とは何でしょうか?

 中国の古代では、人々は精神修養することを「修煉」と呼んでいました。それでは、精神修養とは何ですか? 西洋文化の中では心性を高めることであると言われています。即ち一般の宗教の中で、ある人が宗教の原則に従って過ちを改め、同じ過ちを再び犯さないように祈祷(きとう・ 神仏にその加護・恵みを求めて祈ること)し、そして、神にもっと良い場所へ自分を迎えて下さるように祈ります。多くの宗教はイエスの時代の前後あたりに西側諸国に入りました。同時に宗教に属さないものも多くありますが、しかし、すべて修煉とは言えず、心身の修養が行われていません。

 東方の国では、さまざまな修煉方法があります。例えばインドの各種のヨガ、あるいは中国の気功、武術などがあります。人々はよく武術が敵との戦いや自分を守るためのものであると思いがちですが、それがもし本当であるならば、どうしてお寺の中で練習するのでしょうか? 山頂のお寺の中で誰を守る必要がありますか? 実際はそれは修煉方法の一つだからです。昔の修煉者は俗世間を遠く離れて、独自に修煉していました。

 これである問題が生じました。大部分の修煉方法は歴史上の代々に口から口へ伝授する中で、最も重要で肝心な一部分を失いました。それは最も肝心な内包の部分でした。太極拳はその一つの典型的な例だと言えます。ご周知のように、明の時代の張三豊は太極拳の動作を伝え出しましたが、しかし太極の真実な内包について一字も残していませんでした。ですから、今日の太極拳を練習している多くの人達は、本当の修煉だと言えますか? 私はそうは思いません。現代人はそれを一つの健康法として練習していますが、肝心な内包部分である心身を修養する目標には達していません。彼らは甚だしきに至っては、太極拳が何のためのものかさえ知りません。

 少なくとも過去の13年間の修煉の中で、私がこれまで学んできたこの修煉方法は、あらゆる修煉方法の中で、唯一無二(ゆいいつむに・他に代わりが無くただ一つしかない)原始の姿に立ち戻り、清浄な動作の形式と内包を兼ね揃えているものと言えます。中国では、それはとても有名でありますが、国外では、まだそこまでは知られていません。それでは、いったい私はどうやってこの特殊な修煉方法を知るようになり、どういうふうにそれと偶然に出会ったのでしょうか?

 最大の発見

 私がヨーロッパの観光都市で商売をしていたある日のことでした。それは寒い冬の季節で、その日はちょうど重要な政治会議が行われていたため、街は厳重な警備体制が引かれ封鎖されていました。ヘリコプターが上空で旋回し、観光客は狭い大通りに沿って通行していました。これらの騒動の中で、ある特殊な様子が私の注意を引きました。それはある三十数歳の男性が観光スポットの付近に座っており、まるで周りの騒々しさから遠く離れているように、両足を組んで座禅し、目を軽く閉じている姿を目にしました。彼の顔の表情は周囲の騒々しさとは裏腹に、落ち着いていて穏やかです。零下20℃の気温の下で、街の騒々しさを全く気に介さないように、まるで卵の殻の中に座っているかのような様子でした。私の目は彼にしっかりと釘(くぎ)付けになりました。

 男性の友達が私に近付いて来ました。その友達から中国で数千万人規模の人々が迫害を受けていることを聞きました。この人達は同じように座禅の方法をとっていたからだと言うのです。この人達が学んでいるのは法輪功で、また法輪大法とも言います。あなたはお聞きになったことがありますか? それは大昔から伝わってきたもので、歴史上においてずっと師から個別に伝授される形で、代々一人一人に伝えられてきましたが、前世紀90年代の初め頃に世に公開され、しかも中国で迅速に広められていきました。1999年7.20以降、中国共産党は自分より遥かに超えたその人気ぶりを恐れて、弾圧を始めました。それ以来、中国で大勢の人が迫害により死亡し、多くの法輪功のがひどい迫害を今だに受けています。これらのことを知った海外の法輪功修煉者は、平和的な方法でこの迫害を広く世に知らせ、同時に功法のやり方も含めて世の人々に伝えています。

 私は初めてこれらの情報を耳にしました。無神論者として、私はいかなる精神面の事に対しても興味がありませんでした。しかし俗世間の人として、確かに人権問題に関しては関心を持っていました。私は彼らの提供した情報に対して感謝し、喜んで宣伝のビラを受け取りました。

 しかしあれから2年間、私はその宣伝のビラを読みませんでした。人々はよく普段の生活の中で忙しいと言いますが、私の時間は家族の緊急事態に費やしました。私の妻は重病に罹ったのではないかと疑い、健康診断を受けました。その結果は驚くもので、肺癌の末期と告知されました。妻の父は同じ病気で亡くなりました。西洋医学では治愈することができないと私達は知っています。その時、私は修煉の事を思い出し、中国では多くの重病患者が修煉を通して回復した話を耳にしたのではありませんか? その修煉方法の名前は何と言うものだったのか定かではありません。

 幸いなことに、私は引き出しの中に置いてあった法輪大法の宣伝のビラを見つけました。私は妻と一緒に動作を習い、修煉を始めました。

 同時に私は法輪大法の書籍を読み始め、大変驚きました。それはわざと神秘化して、本当の意味を文字の背後に隠して言わず、作者がとても知識のあるようなイメージを作り書かれたモノではなく、それはストレートに分かりやすく現代の言語で率直に書かれていて、しかも科学的な根拠までも書かれています。私は興奮して推理小説を読んでいるようで、一体犯人が誰かという心境で一気に最後まで読みました。私は一晩でその本を読み終わりました。

 私の世界に対する見方が直ちに広くなりました。その時の感銘した記憶は今なお生々しく覚えています。世界が決してこの地球のように小さい塵芥のものではなく、その周りの空間は冷たく暗い、友好的ではない空間ではありませんでした。そこは高級生命の家です、彼らの本性は真・善・忍です。彼らの次元が高ければ高いほど、さらに慈悲になります。

 浩瀚広大な宇宙天体は、無数の惑星、恒星、銀河系とさらに真空の空間場をも含んでおり、それらの関連している現象などが、ブラックホールと白色矮星(はくしょくわいせい・恒星が進化の終末期にとりうる形態の一つ)のように、すべて完璧に調和がとれている状態にあります。私はどのように自分を調整して宇宙と同じ調和が取れる状態になれるのでしょうか? この偉大な法輪大法の修煉方法を通じて、このような状態になることが出来るのです!

 私達が修煉して1カ月後、妻は病院での診察結果が誤りであったことに気づき、とても健康になり、修煉する必要がなくなり修煉をやめましたが、私は現在までずっと続けて修煉しています。

 もう逃避する必要がない

 修煉した後、今私は世界の最も富める人です! 修煉を通じて得たものは、(1)比類ない健康。(2)青少年時期にもなかった満ちあふれる力。(3)いかなる危機の下でも、リラックスした気持ちで問題を解決することができる思考。そして(4)科学者でさえ解明できない宇宙の現象についての理解。さらに(5)古から今日までの哲学者達が、切に望んで解決したい問題の解答を通暁(つうぎょう・すみずみまで非常にくわしく知ること)していることです。あなたの知っている人の中で、以上のことを言明した人がいますか? その人が妄言でない限り言えないと思います。しかし、法輪大法の修煉者は非常に理性的で落ち着いています。かつて夢想家だった私でさえ、これらを知るともうただの夢想家ではなくなりました。

 私の生活はとてもシンプルです。毎朝90分~120分ほど煉功を行い、これによって頭と身体を浄化することができ、夜の睡眠より更にリラックスすることができます。これはあなたが眠っている時に、脳細胞は相も変わらず活発に動いており、しかも、あなたが座禅をする時にはその雑念はきれいに消えてなくなっているからです。

 私は数時間をかけて学法をします。これによって、修煉の角度から自分が日常生活の中で出会った事に対処できるようになり、役立ちます。他の時間に私は普通の人と同じように、仕事をし、家族と一緒に過ごしたりします。

 私の生活がシンプルになった根本的な原因は、欲望が無くなったからです。例えば、以前の生活の中で、夏が到来する季節になると、私は突然都会から逃げ出したい欲望にかられ、そして海や山へレジャーに行く各種の旅行計画を立てたりして、自由自在を追求していたのです。しかし、大半の計画は時間、お金、あるいは他の原因で実現することが叶いません。その結果、私をいっそう苛立たせ、失望させて気落ちしてしまう事がしばしばです。

 今、私はいかなる事からも逃げる必要がなく、どこに居ても良い精神状態を保つことができます。いかなる状況下でも、私は自由自在を感じ取れます。本当の自由はお金では買えず、いかなる方法でも得られないもので、修煉を通して初めて得られます。自由自在は執着心が無くなった現われであり、これはすべての正真正銘の修煉方法の真諦(しんたい・仏教の最高真理。絶対・究極の真理)です。イエス、佛陀、孔子の弟子達だけでなく、東方の武術家、西洋の錬金術師、僧侶、騎士にしても、彼らすべてが同じ目標を持っています。それは欲望、恐怖心、主観的な意見、野心から抜け出すことです。つまり、執着から抜け出すことであり、自我から抜け出すことであるというふうに理解してもよいのです。あらゆる自我は人間の最大の心の負担になるのです。

 すぐ行動する

 来る日も来る日も、街でその大法修煉者が座禅をしていたあの瞬間の場面を思い出すと、私にとってどれほど貴重であるかをなおさらのように感じます。私はあれ以来、二度とその大法修煉者と会ったことはなく、彼の名前も知らず、でも、知り合いの同士であると感じています。今の私は時間さえあれば、同じこと・座禅をするからです。なぜかと言いますと、あなたはこのような貴重なものを持っている時、それがあなたの負担を軽減することができた時、あなたは他の人とこの良い情報を分かち合わないわけにはいかないはずです。

 「老子はこう言っています。『上士、道を聞けば、勤めて之を行なう。中士、道を聞けば、存るが若く、亡きが若し。下士、道を聞けば、大いに之を笑う。笑わざれば、以って道と為すに足らず』」[1]です。本当にそうです。

 今、私は過去の自分について、よりよく理解することができ、これは科学、文学、音楽に対する探求をも含まれています。私は科学者や音楽家、あるいは有名な作家になりはしませんでしたが、これらはすべて私の歩んできた道の踏み台でもあり、それらがなければ、今日の私にはなれなかったはずです。

 もし、時間が逆流することができれば、もし、私に過去を変える能力があるならば、私はそれらの様子をそのまま維持させます。ただ、一つだけ変えたいと思う事があります。それは法輪大法の宣伝のビラを私の引き出しの中に、2年間も放置していたその事を変えたいと思います。今、私は時間がどれほど貴重なものかを知っており、失ってしまった2年間に対して本当に残念に思います。もし、時間を戻せるならば、私は少しも躊躇せず、あの時、あの場で座禅をしていた人の列にただただ加わりたいと思います。

 現在、すべての人の心の中にも探検家の自分がいると思います。修煉について探求する時、あなたは自分の書斎を離れる必要はありません。それは世界を探求するのと比べて、冒険的ではないとは決して言えません。時には、修煉の方が更に苦難に満ちていると思います。この修煉の道で真に探求する人は、最終的に当初の自分が願っていたことよりも、更に、さらに偉大なものを見つける事が出来るかも知れません!

 少し補足したいと思います。以上は、現段階での自分が得た法輪大法についての理解と認識です。適当でない所があれば、慈悲なるご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

(明慧ネット2018年「世界法輪大法デーを祝賀」する募集文章から)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/5/16/365037.html)
 
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