集団学法に参加して 多くの収穫を体得する
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文/黒竜江省の大法弟子

 【明慧日本2018年6月16日】慈悲なる師父、こんにちは! 師父のご恩はあまりにも広大です。弟子は師父に深くお礼を申しあげます!

 私は2010年に法輪功をはじめた大法弟子です。大法弟子として師父の按排された修煉の道を歩んでこそ、また、師父の要求される修煉形式の中で修煉することにより、本当に法に基づいて向上できると身をもって感じました。

 一、集団学法に参加することは大変重要である

 私は法輪功を修煉してから7年以上経ちました。しかし、本当に法に基づいて向上したのは、2017年5月からです。学法グループを見つけて集団学法に参加できたほんの4カ月の間に、私の収穫した多くのものや向上は、本当に言葉で言い表すことが出来ないほど私にとって大きなものでした。

 法を得てから私は長期にわたり、自宅で自分ひとりで学法していましたので、法に対する理解や法を正す時期の修煉に対する認識が、ずっとある一定の状態に留まっていました。自分では法を学んだし、大法の仕事もしたし、同修に困難がある時は自分のすべてを放下し、無心で同修を助けることもできていると思っていました。しかし着実に修め、法理に基づいての向上については終始認識できていませんでした。

 学法グループに行くと、同修の精進している状態に私は心が触れました。特にかつて刑務所で10年間も迫害されたことのある年配の同修は毎日40分もバスに乗って、どんな天候であっても学法に来ていました。彼の学法に対する態度、師父と大法に対する確固たる信念、常に自分を修煉者とみなす姿勢、精進して着実に修める姿を見ると、自分との差がはっきりと見えました。その年配の同修の姿は私が互いに学び、互いに修める鏡です。他の同修の姿からも法理に基づいて向上すべきだとしみじみ感じました。ですから現在、私は学法グループに参加して学法することを怠らず、しかも師父の残されたこの修煉形式と修煉環境を非常に大切にしています。

 学法グループに参加してから、同修の法を読むときの真面目な態度に私は深く心が触れました。最初私は法を流暢に読むことができず、文字を見落としてしまうことが多かったのです。同修は真面目に注意してくださり、忍耐強く指摘してくださり、読むスピードが遅くてよく読めないことを嫌がられませんでした。私は同修が法を読むとき文字を見落とさないことをみて、自分の不足が分かってきました。また学法の厳粛さを認識できました。私は毎日法を読む時間を増やし、必ず皆に追いつくようにしようと決心しました。しばらくの間の努力を経て、同修らは私の進歩が非常に大きいと言ってくれました。

 嬉しいことに、私は学法グループに参加してから、1カ月で数年間かけていたメガネを外すことができました。

 二、 同修に影響され 自分を修めることを重視する

 学法は着実に修煉するように自分を指導し、時々刻々自分が修煉者であるとアドバイスしてくれます。一度、私は年配者の体が楽に動けない同修をつれて銭湯に行きました。料金を支払うとき、その同修の出された紙幣が古いということで従業員は受け取ろうとせず、また聞きづらい言葉を口にしました。同修はその人は余分なお金を持っていないと説明し、私も彼に上手に言ってあげましたが、この従業員は態度が悪いばかりか、非常に聞きづらい言葉を口にし続けました。当時の状況下で、もし私が学法グループに参加して向上できていなかったなら、自分の心性を守ることが出来なかったはずです。私は修煉する前は自分の一存で物事を決める人で、このような辛さと侮辱に耐えられませんでした。今回、私は心を動ぜず、堂々と直面して対応し、常人のようにトラブルを起こして、口喧嘩することをしませんでした。この面で私は本当に向上しました。

 学法グループに参加してから、非常に自然と同修らと交流することができ、切磋琢磨する環境を持つようになりました。この穏やかな環境の中で、私は本当にたくさんの恩恵を受けました。同修らが語った法理に基づく認識や、いかに師父と大法を信じ正念をもって正しく行うか、着実に修め関を乗り越えた体験や法を正す修煉の中で、旧勢力が按排した病業による魔難と迫害をいかに否定したか、真相を伝え衆生を救い済度する具体的な方法と経験などなど、これらは私が向上する大きな手助けになりました。また、切磋琢磨することを通じて、私は親族との間の十数年にわたる恩讐(おんしゅう・恩義とうらみ)を放下し、嫉妬心を取り除きました。法理上で認識が高まってくると、私に人を恨み、不平を覚えさせた根源が見つかりました。それは他でもなく嫉妬心でした。嫉妬心を切り捨てたとき、私は比類ない軽やかさを感じ取りました。あれから十数年が経ち、私を随分苦しめていた問題がやっと解決できました。今回長年の恩讐を取り除いただけでなく、さらに法に基づいて着実に修煉する自信を持つようになり、着実に修めることの素晴らしさを体得(体験を通して知ること)できました。

 三、 師父は私の体を浄化し 5匹の虫を取り除いてくださった

 20歳過ぎてから家族が共通に持っている病気が私の身にも現れ、それはひどい咳でした。このひどい咳は非常に強い薬を飲まないと抑えきれませんでした。時には咳をして、後頭部全体が痛み出し、本当にその苦しみは言葉で語られないほどの痛みでした。

 集団学法に参加し、切磋琢磨することを通じて、私は師父の説かれた法理に対する理解が深くなり、着実に修める中で、心性は絶えず向上していきました。体の変化もますます大きくなりました。私をよく知っている人はみな私の顔が真っ黒であることを知っています。現在私は顔色が随分よくなり、数年間続いていた血を吐く症状もなくなりました。特に2017年8月29日の夜、私は非常に激しい咳の後、5匹の虫を吐き出しました。

 私はさらに「修は己にありて、功は師にあり」[1]の内涵を体得しました。自分を大法弟子と見なし、法の中で着実に修めれば、師父は何もかもしてくださいます。師父はどんな面倒でも見てくださいます。私の心性が向上してから、師父が私の面倒をみてくださったことを紛れもなく体得しました。また、大法弟子として、法理上からいかに旧勢力の按排を否定するかを認識できれば、身体に対する邪悪の魔難と迫害を否定することができると思います。それを病気とみなさなず、私はただ師父と大法だけを信じました。そして、体に現れた不思議な現象はさらに一層、師父と大法を深く信じさせました。

 8月29日、集団学法と交流が終わった後、私はさらに新しい認識がありました。そしてその当日の晩に、非常に苦しい反応が出てきました。特に咳が大変ひどかったのです。夜、私は非常に苦しく感じ、全身に無力感を感じましたが、魔難に陥っている同修のために発正念をすることを忘れず、発正念しました。その発正念の後、またもや激しい咳が出て、それに嘔吐が伴いました。私はあまりにも辛くて、トイレに行くことさえもできず、タライをベッドのそばに置いてその中に吐き続けました。夜間にも咳は全く止まらず、記憶では多分5回吐き出しました。当時は身体の向きを変える気力もなく、何を吐き出したかさえ見る気力もありませんでした。

 翌朝起きて、タライの汚物を捨てようとした瞬間、私は呆然としました。タライの真ん中のところになんと5匹の動き回る虫がいました。虫は大きいモノは2、3センチくらいで、小さいのは1センチを超えていました。このような虫は見たことがありません。全身にフックみたいな爪があり、身体の下には鴨の水かきみたいな足がついていました。私は高い所に住んでおり、コミュニティーはきれいで緑が少なく、当日の晩は我が家の窓はしっかりと締めていたので、絶対に外から入って来た生き物ではありません。

 師父がもし私の身体からあの霊体を取り除き、清めてくださらなければ、どんなことが起きていたか想像できません。これらを考えると恐ろしくてゾッとします。私と家族は師父に大変感謝しています。妻は当時、感動して「早く師父に香を焚(た)き、お礼を言ってください」と言いました。このことを聞いた同修はみな私のために喜んでくれました。私はさらに師父からの恩を感じ、必ずしっかり修煉することを決意しました。

 四、 師父は私に大法書籍の不思議さを見せてくださる

 師父は着実に修煉しようとする私の心をみて、励ましてくださいました。学法する時、大法書籍の文字が正常のサイズの1.5倍の大きさに見えました。最近学法する際に、時には大法の書籍の文字が2倍の大きさに見えたりします。これはさらに私に大法の超常さと不思議さを体得させました。

 この原稿を書く間、学法する時、今まで数え切れないほど読んでいた『轉法輪』の第三講の一段落の法が深く私の目に入ってきました。「断っておきますが、本当の修煉者にしかこれをしてあげられません。常人に対して勝手にしてはいけないので、そんなことをすれば、悪いことをするのと同じです。常人の生老病死にはすべて因縁関係があり、勝手にそれを壊してはならないのです」。まるで今まで読んだことがないかのように、私の目に入ってきただけでなく、頭の中に深く焼き付きました。私は時々刻々に自分を修煉者とみなすべきだとわかってきました。

 私は慈悲で偉大なる師父の慈悲なる済度に感謝いたします! 師父は私の身体を浄化してくださっただけでなく、私に害をもたらしていた霊体をも取り除いてくださり、たくさんの苦しみから私を救ってくださいました。私はただただ懸命に精進し、着実に修煉して、三つのことをしっかりと行うことで、広大な師父のご恩に報いるしかありません!

 今後、私は師父の残してくださった修煉形式である集団学法の中で精進し、学法し、法を師とし、集団学法に積極的に参加し、師父の残してくださった修煉形式を圓容します! そして、合格した大法弟子となり、圓満成就して師父について必ず、必ず戻ります!! 

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/5/23/367901.html)
 
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