自分の位置を正せば 邪悪の妨害は自ずと消滅
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2019年8月16日】大法を修煉して、間もなく20年目になります。「三つのこと」を行なってはいるものの、仕事をしているかのようで、学法しても集中できず、煉功発正念の時も雑念に妨害され、過去のこと、現在のこと、他人のこと、自分のこと、様々なことが浮かび上がってきて、まったく平静になれません。

 学法の時、師父と法を敬い、心を静めて法を学ばなければならないと分かっていても、どうしても他のことを考えてしまいます。

 真相を伝え、衆生を救うことは大法弟子の責任であり、しなければならないことと分かっていても、その緊迫感を感じません。特に、2001年に迫害されてから、その影響を受け、自分にまだ何かの執着心があり、また邪悪に迫害されるのではないかと心配でした。時には、警察官がいつか来るのではないかと空想し、何を聞かれるか、どう答えればいいか、どのようにしてその迫害から逃れるかなど、考えが負の要素にコントロールされ、何事においても悪い結果しか考えられなくなったのです。実は、これも邪悪による迫害の一種です。真の自分が区別できず、常に迫害される位置に自分を置いているのです。自分のこのような状態に対して仕方がないと無力さを感じていました。

 最近、師父の説法で更に深い認識を得ました。師父は「私は1999年7月20日に、既に7月20日以前の学習者を全て所定の位置に押し上げ、皆さんの最高位置まで押し上げました」[1]と説かれました。

 1999年「7.20」、個人の修煉はすでに終わり、私たちは個人の修煉から抜け出し、法を正す修煉に移りました。師父はすでに私たちを本来の最高の位置まで押し上げてくださいました。私たちは新たな宇宙の主や王です。法を正す師を助け、衆生を救い済度することは法を正す時期の大法弟子に与えられた使命です。大法弟子と宇宙の救い済度される衆生の関係は、迫害と迫害される関係ではありません。師が法を正すことを妨害する旧勢力は悪を選んだので、破滅されるしかありません。そのような旧勢力が私たち大法弟子に試練を与える資格があるでしょうか? 私たちは新たな宇宙の主や王としてそれらを一掃しなければなりません。法理は明白となり、自分の位置を正せば、この迫害もすぐ終わるでしょう。

 まだ個人の修煉から抜け出せなければ、旧勢力の罠にはまったも同然であり、旧勢力に仕掛けられた魔難や苦痛に仕方なく耐えることになります。

 では、どうすれば新宇宙の基準に達することができるでしょうか? 師父は説かれています。「わたしはこうもお話ししました。われわれ一人一人がみんな内に向かって修め、一人一人がみんな自分の心性から探すようにし、うまくいかなかった場合は、自分に原因を探し、次回はうまくいくように努力し、何をしても人のことをまず考えるようにします。こうすれば、人類社会が良くなり、道徳も回復し、精神文明も良くなり、治安状況も良くなるはずで、もしかすると警察も要らなくなるかも知れません。人に管理されるまでもなく、みんなが自分自身を管理して、自分の心に向かって探すようになれば、どんなに良いでしょうか。皆さんもご承知の通り、現在では法律が徐々に健全化され、徐々に完備されてきています。それなのになぜまだ悪いことをする人がいるのですか? なぜ法があるのに従わないのですか? それはほかでもなく、人の心は管理できにくいもので、人に見られていないとつい悪いことをしてしまうからです。もしみんなが心の内に向かって修めれば、まったく違う状況が生じてきて、あなたがいちいち義憤を感じたりしなくてもよいようになるのです」[2]

 師父の説法を通じて、旧勢力は警察のように、悪をもって悪を制していることを悟りました。大法弟子が執着心を取り除くとき、しっかりしていなければ、処罰され、魔難が生じ、旧勢力に仕掛けられた苦痛やプレッシャーの下で執着心を取り除いていきます。このような手段をとっているため、本質的に変わることはできず、新宇宙の基準に達しないのです。

 私たちは大法の修煉の中で、自発的に内に向けて自分を探し、自らを修め、心の底から良くなろうと思っているため、「警察」がなくても、自分を律することができます。ですから、旧勢力が存在しなくても、新宇宙の基準に達することができます。すべて自動的なので、未来の宇宙は不壊、不滅で圓容不破なのです。

 法理を理解し、自らの立ち位置が見つかったので、自分が大きくなり、邪悪に妨害されることも、仕方がないと無力さを感じることもなくなりました。現在、私の衆生を救うことに対する正念は、この上ない自信に満ちています。

 同修が書いた文章を読み、その日から自分の空間場をきれいにすべく常に発正念しています。正法のエネルギーは、いかなる雑念や負の思想、悪い要素を瞬時に解体させることができます。その日、このように考え、2時間発正念したところ、少しも眠くならず、雑念もなくとても清浄で、最後まで続けられました。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『北米での巡回説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/6/1/388109.html)
 
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