天目で見た光景:邪悪を一掃する大決戦
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文/中国の大法弟子 石方行

 【明慧日本2019年7月17日】昨夜、発正念をする時に非常に壮観なシーンが見えました。宇宙中の様々な邪悪が人間の表面に湧き出てきました。これらの邪悪は宇宙中の異なる次元の変異し、腐敗した要素で、その背後にはそれぞれの対応する邪悪な多くの生命がいました。どんなイメージのものもありましたが、共通することはすべて「黒」ということです。「黒」と言っても必ずしも「真っ黒」とは言えませんでした。それらも異なる次元に属しているので、真っ黒なものや頭だけが黒いもの、服に小指の爪ほどの大きさの黒い斑点があるのもいれば、他にも様々な形態がありました。

 長期に渡る正法の中で、宇宙中の大半の邪悪要素はすでに消滅され、残っている邪悪は非常に少なく、ひいてはその比例は微々たるものでした。しかし、量的にはまだまだ多くいました。まるで一億の邪悪生命が無数の千万億に比べると雀の涙ほどの数ですが、これが三界の中では数多く見えるのと同じです。これらの生命は、宇宙の中でまだ法によって正されてない構造体系と関わっていたため、法によって正されてない宇宙体系の異なる宇宙の要素を持っていました。そこには、大法弟子がよく修煉できていない部分に対応する宇宙空間に残っている、邪悪要素もありました。

 常人社会での現れとしては、理性を失い、世の中の人を操ったり噛みついたりして、より多くの人を一緒に殉死させようとしている虫や蛇のような怪物でした。今の人がスマートフォンや資産運用、権力の欲求、淫乱、さらには麻薬、同性愛など正しくないことに制御されているのは、全てそれらが妨害している形の一部なのです。

 大法弟子への妨害として人を大法から離脱させたり、執着に妨害されて理性を失っているのに、自分が法の基準に則っていると感じさせたりします。例えば常に妄(みだ)りな振る舞いをしながら、正念を持って正しく行なっているように勘違いさせたりします。

 それらの邪悪と旧宇宙の中の多くの要素は、表裏不一致であったり、言行不一致であったり、自分の思惟を持っていない人や、トラブルがあると内に向かって探さず、まず責任を人に転化させている大法弟子の隙きにつけ入ります。強制連行されるのはただ迫害されている一つの現われであり、その他にも病業や家庭生活の中、仕事の中にまで現れてきます。

 全てが最後に向かって進んでいるため、「私」から抜け出すことができるか否かは、新しい生命と旧い生命を切り分ける「分水嶺(れい)」になります。

 一部の大法弟子たちは根っこに「私」(し)の要素が多くあります。彼らは自分の将来の永存のために修煉しています。ただこのためだけなら、これは非常に大きな「私心」と「不足」になります。一部の弟子たちが行なっているすべては、ただ口実を探して自分を慰めるためのものです。これらの全ては邪悪が隙きに付け入られるところであり、邪悪に立ち直る隙きや、人を害する空間を与えるものです。

 ここまでは、私たち「自身の不足」と「邪悪に付け入られる隙」について話しました。次に大法弟子が「集団で発正念をする際の強大な力」について話します。

 私に見えたのはその一瞬のことですが、大法弟子の正念は非常に強く、それは本当に光輝かしいもので、華やかで無数の宇宙を照らし、全ての神々がこのことを賛嘆しておられました。大法修煉者の神の一面が一気に発揮され、それは本当に数千数万に至る素晴らしい大覚者が一緒になって、邪悪を根絶する光景でした。大いに宇宙の正気を現していました。

 邪悪を片付ける戦場は一つの空間場だけではなく、宇宙のたくさんの空間にもありました。地球上の中国がそれらの最低の空間場での主戦場になっており、この主戦場もいくつかの大きさの異なる戦区に分けられていました。そして異なる数と異なる能力、異なる生命の特徴を持つ大法弟子と神々が邪悪を根絶していました。同時に他の戦区の大法弟子や正神も有効的に協力しながら戦っていました。

 上で述べたように邪悪は宇宙の異なる空間からやって来て、それぞれ異なった特徴をもっていました。大法弟子も異なる空間から来ているので異なる種類の神通力と法力を用いて闘っていました。大法弟子の正念が集まれば、その力量は本当に無限大です。大法弟子たちは各々の形で各々の神通力を現し、自分の本質の生命の特徴が現れていて本当に艶やかでした。私たちは天上の異なる所からやって来たので服装や法器、髪飾りさらに皮膚の色まで異なる特徴がありましたが、いずれも非常に神聖かつ偉大なものでした。それらは全て創世主の造化によるもので、各々の神通と智慧の一面を表していました。

 また、迫害されて亡くなった同修たちはもう神になっていました。彼らもそこで単純に終わりを待っているだけではなく、自分のやり方で行なっていました。例えば、彼らが人身を失ったことについてですが、常人社会では悪人によって引き起こされましたが、背後には一層一層の要素があって、それらは全部決着をつけないといけません。宇宙の他の正神も残りの邪悪に総攻撃を始めていました。このこと自体が大法の荘厳かつ偉大で、冒涜してはいけないことの一つの現れ方でした。

 これらの「総攻撃」は全方位的に及び、漏れがないため邪悪は逃げることが出来ません。常人社会ではさらに多くの正の要素が現れています。以前、手をこまねいていた多くの神々も邪悪を片付けることに参与し始めました。同時に人間社会を操っていた生命も徐々に正の作用を発揮していました。また、数多くの邪悪も悪い作用を果たせなくなり、悪人に対するコントロールを緩めていました。これら全ては師父の正法の洪大な勢いの下で現れた状態でした。

 大法弟子と正神が全面的な漏れのない協力をしている一幕を見て、私は涙が溢れてきました。私たちは常人社会でそれぞれ異なる事情がありますが、協力しようとする心は変えてはならず、大法に圓容し全体に協力する心を変えてはいけません。こうやってこそ正法の中で漏れない状態になり、大法の無辺な威徳と智慧を真に実証することになります。これらも旧宇宙の生命の「私」の要素を修める過程で、必ず直面する問題なのです。

 このシーンの最後に、私は一つの天を頂き地に立っていた時計を見ました。その下では無数の衆生がその時計の指針を凝視していました。全てが揃ったらしく、ただ時間の到来を待っているようでした。歴史上この一ページは今にもめくられようとしていました。

 この一幕を見て、長い間大法に近づいていながら、真に大法の中に入って来ない学習者に言いたいことは、つまり、この最後の決戦の大事な時期になっても、大法の入り口付近でぶらぶらしないでください。一刻も早く大法に同化し、一緒に戦いましょう!! 縁は一旦失うと、二度と再び戻って来ません!!

 真に正法の中で精進している同修に対して言いたいことは、何かをやる時はどのようにして全体に協力するかを多く考え、どのように他人のために多くのものをやるかを考えるべきだということです!! それと同時に、この時になって自分がもらいたいものや、どのような成果に達したいかなどの心を徹底的に放下し、何も求めることなく、師父の要求に従って行ない、将来に何が得られるかなどの念を絶対起こさないことです。そしていつ終わるかも考えず、さらにまだ何日残っているかをいちいち数えるなどは、なおさらやらないことです。迫害が終わってからの常人社会でのいわゆる栄光などを多く考えたならば、もしかして妄想に入り、それによって邪悪に隙きに付け入られるかもしれません。

 個人的な考えになりますが、どのような時でも、常人社会にいる限り大法を固く信じ、自分を確実に修めようとする心は変えてはいけません。「人間の執着」はどんなものであれなくすべきで、何の言い訳をもっても自分を放任してはいけません。仮に迫害が終わったなら、その時の試練は違う形になって現れるかも知れませんが、だからと言って、自分の修煉を緩めるわけにはいきません。さらに魔性と人心の執着に操られて、何かを仕出かしてはいけません。それは非常に危険なことです。漏れがなくなってこそ、初めて「真の神」になれるのです。

 私たちはただ、どうやって「大法の要求と基準を満たせるか」を考えるべきです!!

 歴史上のこの肝心な時に、大法の中で修め出した「神の念」をもって全てに対処し、私たちの正しい状態を師が法を正すことを手伝う過程で現し、真に師父の要求に圓容することによって、衆生を救い済度する歴史的使命を必ずやり遂げましょう!!

 個人の極めて浅い悟りですので、足りないところは慈悲なるご指摘をお願いいたします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/6/17/388811.html)
 
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