文/中国の大法弟子
【明慧日本2018年3月14日】私は2017年11月8日の午後に、明慧ネットに登録すると一筋の暖かいものが胸に込み上げて来ました。期待していた「第十四回明慧ネット中国の大法弟子法会」の修煉体験文章(以下、体験文)が発表されました。私はすぐに法会のそれをフォルダにダウンロードし、読み始めました。
私がその体験文を読んでいた時に、天上の神々は全て法会を注目されているのが見えました。神々の表情は普段とは異なり、神々しくて非常に厳かで穏やかな表情でした。神々から見ると、このような機会はもう多くありませんでした。人間の世界では、明慧ネットの法会の交流は年に一度開催されていますが、他の空間から見ると数万年に一度開催され、非常に貴重な機会でした。
私は壮大な光景を見ました。宇宙には、クリスタルよりも光り輝くカーテンが現れました。そのカーテンが2人の美しい天女により両側に開らかれ、そこには宝石で飾られた金色のテーブル、翡翠(ひすい)のテーブル、ガラスのテーブルが現れました。一筋の優しい光が上から下に注がれ、円筒形になり、スポットライトのようにそれぞれのテーブルを覆いました。宇宙の全ての神々はこれらに注目され、期待されていました。
その時、映画でボイスオーバーが放送されたような感じで、明瞭な声で「今から、第十四回明慧ネット中国法会交流会が開催されます」という声が聞こえてきました。すると、天国の音楽が響きわたり、神々の期待の中、1人の中国の同修がステージに向かい、円形のスポットライトの中に入りました。その光のビームに入った瞬間に、同修の姿が大きく変わりました。
それは言葉で表現できないほど素晴らしく輝かしいもので、荘厳(そうごん・重々しく立派なこと)であり、宇宙の覚者の福相(ふくそう・優しそうな福々しい顔)や威徳が溢(あふ)れていました。全ての同修は発言していた時に、それぞれの荘厳さと素晴らしさ、それに偉大さが現れました。私は、ある同修の頭の上にたくさんの嬰児が遊んでいて、仙女が花を散らし、法輪や金色の鳳凰、翼がある天馬、金色の龍などが見えました。法会の会場の空に瑞祥(ずいしょう・めでたい事のきざしとなるしるし。吉兆)が現れ、また名前がわからない新奇(目新しく、普通とちがっていること)な生命と美しい光景が見えました。
私は毎日このような法会の体験文をダウンロードし、毎日読んでいました。体験文を読みながら、自分の現在のレベルにより現れていた法会の体験文が、他の空間ではまた別の違った表現形式であるのが見えました。例えば、ある空間では、法会がいくつかの宮殿で表現され、それぞれの宮殿のテーマが異なりました。あるテーマでは「正念正行」、あるテーマでは「正念は世中の人を救う可し」[1] 、あるテーマでは「弟子正念足りれば、師は回天の力有り」[2]、あるテーマでは「心を修め、欲を断ち、智慧を明らかにして惑わされないようにする」[3]でした。全てのテーマの下に体験文が掲載され、それぞれの体験文は優れた文章であり、全ては同修が歩んで来た神になるための道でした。
私は毎日体験文を読み、毎日たくさんの美しい光景が見えました。異なる領域で、法会はさまざまな衆生のために異なった意味合いを示しました。その新奇さ、美しさ、壮観さに、私は震撼させられました。さらに幸運なことに、私は毎日慈悲で偉大なる師父にお目にかかることができ、無限に光り輝く中で無量な慈悲を満面にたたえられ、一層また一層の空間が更新されていきました。それはそれはまばゆいほど明るくて、暖かくて、言い尽くせない幸せな感覚が私の心の中に満ち溢れました。
法会の体験文を読んでいると、私はしばしば涙があふれ、感動で胸がいっぱいになりました。最初の日に体験文を読んだ後、私は前例のない震撼を覚えました。私は法会に出席し、自分自身の体験を要約しましたが、同修と比較すると自分自身の不足が見えました。同修の智慧と正念を参考にし、自分自身も早く向上しなければならないと、はっきり分かりました。
時空を乗り越えて法会に参加しました。法会を担当していたのは明慧編集部でした。8月3日から体験文を募集し、9月15日で終了しました。9月15日の夜からは多くの中国の同修たちが体験文の選択のことで頑張っていました。9月16日から11月8日、明慧の同修は法会の体験文を選別したり、編集したりと任務が重く、一つ一つの法会の体験文に明慧の同修たちの力が注がれました。法会は11月8日から開かれ、20日で閉幕し、体験文が次々と明慧ネットに掲載されました。3カ月以上が経ち、この時空を越えた盛大な法会は、神々の注目される称賛の中で圓満に展開されていきました。
同修達は正念正行の中で、師父の法を実証しました。しかも、同修の無私と正念正行により、他の同修の視野や智慧も広げられました。全ての法会の体験文を読んだ同修たちは、全て受益されました。神跡が現れるごとに、高層の生命が感動し称賛していました。
この過程で、衆生は私たち大法弟子を注目していました。神々も私たちを注目していました。師父の慈悲なる見守りの中で、私たちはいつも教化されながら、正しい方向へと導かれています。私が見えたことは限られていますが、同修と一緒にその不思議さと素晴らしさを共有したいと思います。私が見たことはこの上なく素晴らしい光景の中のほんの僅(わず)かですが、この広い宇宙の中ではもっとたくさんの新奇が衆生のために現れていると、私は確信しています。
法会に参加していた同修の姿が、私にはそれぞれ見えました。しかし、彼らの天上での顔や姿はもっと厳かで、美しく素晴らしかったのです。そこには非常に立派で輝かしく、 重々しく威厳のある顔、気高い顔、そうではなくて非常に心配そうな顔、いろんな顔がありました。他の空間で、それぞれの同修が発言していた時、背後に現れて来たのは、彼(彼女)の世界の本当に綺麗な光景とまばゆいばかりの宮殿でした。突然私は、衆生が王者の帰還を、今か今かと期待して待ちわびている荘重な(そうちょうな・おごそかで重々しい)ものを感じました。
人が神になる道は、本当に切り開かれました。これらの覚者達は、自らの正念と正行で大法を証明し、衆生を救度しました。私は、天下一斉にお祝いしている天国世界が見えました。天上に数え切れない目が、法会を注目していたのが見えました。偉大な師父は法会の上空にいらっしゃり、慈悲なお姿が現れると、一切の衆生を包み込むでいる、大きな大きな慈悲深い恩恵を感じ取りました。その壮観たる光景は、気勢雄大(雄々として非常に大きな勢いで広がる)で神々しく、とても言葉では表現できません。
人間の法会は圓満に閉幕されました。天上のあの空間の法会はまだ続いていました。11月30日の日、私はある空間の法会が終了したのを見て、神々の喜びと名残惜しさの表情を見ました。12月10日、私は他の空間の法会が圓満に終了したのを見て、神々は会場を片付けられていたのを見ました。
これらの光景を見ると、突然、私は、偉大なる師父に非常に感謝したいという思いがしました!
偉大な師父が私たちをこのはかない浮き世から目覚めさせ、真の家へ帰る道を指し示し、いつも導いてくださっていることに、深く深く感謝いたします!!
偉大な師父が慈悲に、弟子に多くの素晴らしいものを与えてくださったことに感謝いたします!
偉大な師父が苦労をいとわず、全ての衆生を済度されることに感謝いたします!
師父ありがとうございます。偉大なる師父に御礼を申し上げます!
弟子は必ず、必ず精進し、師父の慈悲なる済度に絶対に背かないようにいたします!
注:
[1] 李洪志師父の詩: 『洪吟二』「法正乾坤」
[2] 李洪志師父の詩: 『洪吟二』「師徒の恩」
[3] 李洪志師父の著作: 『精進要旨』「堅定」