文/中国の大法弟子 無為
【明慧日本2018年7月26日】私は時に他の空間の光景が見えます。次元が低いので、自分で見えたもののの理解、生命の不思議と貴重さについての感想を述べたいと思います。
まず、高次元で見えた光景から話します。学法のとき、時々眠くなると、字の中から燦々と輝く金色の光が見え、さらに詳しく見ると、これは師父の法身だと分かりました。師父の法身は座禅されたり、立って立掌されたりしています。私はこのとき急に目が覚めて元気になりました。
学法のとき、たまに見えた佛、道、神は字の裏に現れ、幾重にも重なっていて、佛は蓮の花の上に座り、頭上の光輪と体周辺の光輪は燦々と輝き、とても荘厳で神聖でした。
ある日、学法をしているとき、ある次元で極彩色に輝いている大穹の宮殿が現れました。宮殿の頂上と柱は外へ金色の光を放ち、師父の法身の一人は宮殿の前にお立ちになり、二人の法身は体を斜めにして私のほうを向いて何かをおっしゃっていました。他の法身の一人は私に向いて立掌され、仙女が琵琶を抱きながら法身の頭の前方に飛来して演奏しました。この光景は約10秒続いた後に消え、私は元に戻り、師父の『洪吟二』の詩を思い出しました。「法輪大法好 大穹は法光が照らす 正法の洪勢が過ぎて 方(はじめて)知る無限の妙 法輪大法好 漸(ようやく)世人の道に入る 衆生は急ぐ切莫(なかれ) 神佛は已に笑っている」[1] 確かにおっしゃった通りで、法の光は大穹を本当に照らしているのです。
次に低次元で見えた光景での話をします。座禅或いは目を閉じて休憩しているとき、たまに低次元空間の一部の光景が見えました。低いと言いましたが、私は低くないと感じました。法理上から悟って見えたのは三界外の微視的空間でした。三界を超えたと感じましたが、私の目に現れたのは微視的空間でした。現れた光景は道家のもので、微視の中に人の目を陰陽魚(太極図)としている天体が見えました。この天体はとても厖大で、銀河系のようで、色が透明でした。しかし、この陰陽魚を作った微視粒子は無数の小さい陰陽魚で作られたもので、これらの小さい陰陽魚は私たちがよく見る黒白二種類物質でできた太極図で、微視の中で動き、燦々と輝いているのが見え、ときには、拡大して近く見ると、太極図の上に道家の神が見えました。これは三界を超えたものだと思います。道家は太極の理で宇宙を解釈するので、黒白の太極図は道家の最も低次元の宇宙での現れです。道家は悟ったこの太極の理で私たちの小宇宙を解釈したり、万物の運行を指導したりしています。
法輪図から分かるのは、全宇宙に佛道両家があり、また上が赤で下が藍の先天大道や奇門功法も含んでいます。道家は陰陽で小宇宙を解釈し、佛家は因果応報と慈悲で小宇宙の機制を解釈するのです。私たちは『轉法輪』の中で、「異なる次元に異なる法があり[2]と教えられ、法は異なった次元において、修煉者に対して異なった指導作用があるので、私が低次元で見た理は浅く、必ず正しいものではありません。同修の正しい指摘を望んでいます。
私の目で見えた微視的世界はこんなに厖大なので、天目を通して見えた体の全体にある最も微視的身体は更に厖大です。ある日、私は突然肉身が見えなくなり、体が空の状態に入り、体全体が大穹になり、中には無量無辺の宇宙天体がありました。この光景は数秒続きました。この光景から私は悟ったのは、人体は一つの厖大な天体或いは大空なので、中に無量無辺の天体と宇宙があり、中にある全ての生命はみなこの人の無量の衆生です。人は最微視のところで、体が厖大無比で、それはこの人の果位で、この生命の由来するところです。
大法の修煉はとても幸でであり、威徳が更に高く大きいので、この万古の機縁を大切にし、世に来た目的を忘れず、返本帰真し、師が法を正すことを手伝い、三つのことをしっかりやり、円満成就して師父について帰ります。
注:
[1] 李洪志師父の詩:『洪吟二』・「大法好」
[2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』