恐怖心と旧勢力を否定することについて
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 文/中国の大法弟子

 【明慧日本2019年10月30日】正念を発する過程で、恐怖心と旧勢力を否定することについて新たな認識がありました。ここで書き出して、同修の皆さんと交流したいと思います。偏った内容があれば同修の慈悲なるご叱正をお願いします。

 師父がこのようにおっしゃいました。「臆病というのも、この宇宙にそのような要素が存在しているので、あなたを恐れさせています。それは他でもなく恐れと呼ばれています。あなたが恐れれば恐れるほど、この要素は働きかけてきます。意志でそれを克服しなければなりません。これはあなたの意志の問題で、修煉の中でできなければならないことでもあります」[1]

 師父の説かれたこの法から、恐れてしまうことは怖くない、自分の意志さえ強く持てば恐れる心を克服し、勝ち抜くことができるので、恐れる心を単なる一種の執着心だとみなして、自分の心で判断し、分別してそれを取り除き、絶えず自分の主意識を強めれば良いのだ。そして、この恐れる心を自分だとみなさず、それに従わず、恐れなければ簡単にその執着心を取り除き、解体することができるのだと悟りました。 

 しかし、なぜ恐怖心を取り除くことがとても難しく感じるのでしょうか。なぜ、いつまでも取り除かれないのでしょうか。なぜ、恐怖が常にそばにいるように感じるのでしょうか。絶え間なく学法発正念することを通じて、それは私が恐怖心を旧勢力の迫害であると、常に関連づけてしまうからだと気づきました。恐怖を感じればすぐさま迫害されることを連想し、迫害されることを考えれば恐怖を感じてしまうからです。恐怖心と迫害はまるで一体化された分割できない代物のようです。

 恐怖心を修めて取り除く過程において、私は大変苦労しました。ようやく恐れることを淡泊に見ることが出来るようになりました 。しかし、突発的な出来事に対しては途方に暮れて、 心を動じず、恐怖心に動かされずにいることが出来ません。ゆえに毎回、師父を信じ、大法を信じる意志をさらに固めることで、恐れる心を減少させました。そうすることによって、徐々に改善されました。しかしそれは、実質的に改善されたのではないため、トラブルに遭遇する時にまた恐れてしまうのです。

 絶え間なく法を学び向上していくうちに、ようやく自分の問題点を見つけることが出来ました。それは自分に恐怖心があることを非常に恐れていることです。しかも、その恐怖心に対してとても恐れています。恐怖心を非常に重く見ています。なぜならば、恐怖を感じると常に迫害が起きるのではないかと考えてしまい、そして、常に無意識のうちに迫害されることを考えてしまい、恐怖と迫害されることを繋げているからです。今まで、この恐怖心は自分の越えられない壁だとみなし、ずっとこの関を突破する方法を見つけることが出来ず、勝ち抜くことも出来ませんでした。

 自分の恐怖心を取り除くために発正念をした時に、「私は一体私は何を恐れているのでしょうか? 自分の名利が損なわれることでしょうか? それとも、死ぬことを恐れているのでしょうか? でも、そうでもないようで、それなら一体何を恐れているのでしょうか?」と自分に問いかけてみました。そして私ははっきりと見えてきました。私が恐れていたのは旧勢力の迫害、邪悪のよこしまな勢いとよこしまな行動、それによこしまな手口です。もし自分が不当に連行され、投獄され、生きたまま臓器摘出され、生き地獄に置かれたような酷い迫害をされる時、自分は辛くて耐えきれずに師父の顔に泥を塗り、大法に泥を塗るような行動をとってしまわないかを恐れていました。心の中は全部邪悪の迫害です。 恐れることを考えれば考えるほど恐怖を感じたのです。 

 私は師父の法を正す時期において長年修煉していますが、自分を衆生を救い済度する側に置かず、知らず知らずのうちに自分を迫害される側に置き、「衆生を救い済度して、師の法を正すことを手伝いたい」などの言葉を常に口にしていますが、心の中では常に受け身のままで、恐怖と迫害されることで満ち溢れ、神のような状態にどうしても至ることが出来ませんでした。頭の中で考えているのは、常にどうすれば恐れる気持ちから逃れられるのか、どうすれば迫害されずに済むのか、どうすれば恐怖心と迫害される心配から徹底的に解放されるのか、ということばかりでした。それゆえに、三つのことをよく行なっているのも迫害されたくないからで、恐れたくないためなのです。まるで自分がこの世に存在している意味は、恐怖と迫害から逃れる解決策を見付けることのようです。さらに、それを自分の修煉の最大の目標としているようでした。

 自分の根本的な問題点を認識できると、学法の頻度を高め、師父を信じ、法を信じる正念を強めました。法に沿って意志を固めていくうちに、この恐怖には自分の執着心と観念の要素が含まれていることに気付くと同時に、旧勢力が自分の執着心の中にいることを、さらにはっきりと認識できました。旧勢力が私の執着心に依存しながら私の観念の中で作用を発揮し、私を壊滅させ、衆生を壊滅させる目的を達成するためです。

 旧勢力が私たちを迫害する存在形式をはっきりと見分けることが出来ました。旧勢力は私たちのまだ修めてない隙に乗じてやって来ます 。言い換えれば、旧勢力が依存して存続できる場所は、私たちの執着心の中にあることです。しかし私達はこのような執着、あるいはあのような観念を持っていることを理由に、旧勢力の迫害を認められるでしょうか、これらの迫害はあるべきなのでしょうか、合法的なのでしょうか、もちろん違います。なぜならば、私たちは大法を修めており、師父が私たちに与えて下さった修煉の方式は、旧勢力と一切関わりのないものだからです。私達にどんな問題が存在していても、どんな状況に置かれていても、旧勢力と一切関わりのないことです。私達は必ずこの認識を強め、強く信じてこそ、初めて旧勢力が按排した全ての迫害を乗り切ることができます。

 師父が法を正され、宇宙を正しておられます。すべての不正な者はどこへ逃げるのでしょうか? 私達は師父の要求に従い、真剣に法に沿って修めること自体が旧勢力を否定することなのです。恐れることは宇宙の一つの要素であり、一つの執着心でもあります。自分の正念をもっと強く持ち、意志をもっと固めて、執着心を見極めていけば、取り除くことができるのです!! この恐れる心は、他の執着心と同じように少しも怖くありません! 慎重に対処すれば脱却することができます。往々にして、私達は恐怖心に旧勢力の要素を加えて、恐怖心を拡大させ、自分は勝ち抜くことができないと思い込んでいるのです。実は少し工夫をすれば、安易に取り除くことができますし、何も恐れることはありません !

 旧勢力も神であり一定の能力を持っているのですが、正法に認められていません。排除され、淘汰される対象となっています。旧勢力が行なったことを私たちは法に沿って固く否定し、認めなければ、何も恐れることはありません。こうして考えてみれば、恐怖心と迫害されることの両者の間に何も関連や、関係がないことが分かりました。私たちは無意識のうちにこの両者を繋げていたのです。

 学法を重ねていくことにつれて、私はまた恐怖心とその他の執着心、および旧勢力の迫害に対する認識がより一層深くなりました。西洋医学のように頭痛が起きれば頭を治療するとか、足の痛みに足を治療してはなりません。 恐れる心を取り除くには各方面において、自分自身全体を高めなければ変化が起きません。ゆえに普段から私たちは各方面において、少しずつまんべんなく、自分を高め昇華させなければなりません。 執着心を放下すれば、旧勢力を否定し、根本的に迫害の存在と発生することを防ぐことができます!

 以上は、私の恐怖心と旧勢力を否定することについての少しばかりの認識です。法に沿ってないところがあれば、同修の慈悲なるご叱正をお願いいたします。共に交流し、共に精進できることを願っております。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『スイス法会での説法』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2019/8/19/391647.html)
 
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