「協調」について考えてみる
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文/中国の大法弟子

  明慧日本2019年11月24日】法を正す時期の大法弟子にとって、行なうすべてことは「協調する」ことです。大きく言えば、それは師父が法を正すことに協調することで、小さく言えば、法を実証する中で同修と協調することです。協調がうまく出来るかどうかは、自らの修煉の次元次第です。

 一、師父に協調すること

 ここでは「自我」を放下することが最も肝心です。自我を放下できないのは、頭に「自我」と言うものがあるからです。しかし、この「自我」は本当の自分、つまり主元神ではなく、後天的なものです。主元神がそれを放下しようとする時、「自我」は懸命に抵抗し、放下されるのを妨げ、あなたの脳裏に様々な放下したくない理由を打ち込んできます。

 「自我」は放下されるのを恐れているため、「自分のことを考えなければ、自分が傷つけられたらどうしよう?」と思わせ、「自分の長所を発揮しなければ、それを実証しなければ、顕示しなければ、この長所は無駄になるのではないか」と思わせます。「自我」はあなたに名誉を求めさせ、称賛を求めさせ、自分が偉いと実証させるのです。

 ここの難題なところは、「主元神」の考えと「自我」の考えが同じ頭に顕れることです。もし、それらをはっきり区別できなければ、その考えを本当の自分の考えだと勘違いし、自分が恐れている、自分が求めている、自分が放下したくないと思い込み、「どうしてこれらの執着を放下できないのだろうか」と自責してしまいます。

 本当の主元神は全く無私無欲なものです。そのため恐れたり、求めたりする考えを脳裏に打ち込むはずはありません。恐れるとか、求めるとかの考えが出た時、それは必ず「自我」から来るものです。それは私利私欲なものです。その時、どうすればいいでしょうか? 一つの方法はそれを無視し、その通りに行なわず、自分をしっかりして、法に基づいて行なうことです。その時、師父は私達の為に「自我」を取り除いてくださいます。もう一つの方法は直ちにそれを一掃します。それをきれいに一掃すれば、「私」のための考えがなくなり、「主元神」だけになり、そうなれば、法に則って行動するようになります。

 ここには一つの問題があります。それは師父が私達に「自我」を取り除いてくださり、あるいは私達が「自我」を一掃し、心を正しました。しかし、しばらくすると、私心や自我がまた現れて来ます。師父が取り除いてくださったのは、そして、私達が一掃したのは、目の前の一層に過ぎず、私達の心性が高まると、次の層がまだ顕れて来ます。大法修煉はこのように、一層、一層、中から外へと修めて行くのです。ですから、多くの同修は、「常に修めているが、向上したようにあまり感じていない。すべての人心がまだあるように思う」と言っています。それは当然のことです。

 師父は「もちろん、一部の学習者は非常に良く行いましたが、良く行なった学習者も含めて、円満成就のレベルに達していません。昔の修煉者は執着を一つ、また一つと取り除いていきますが、皆さんの場合、ほぼすべての執着があり、それを一層また一層と弱め、弱め、さらに弱め、弱め、ますます弱くなり、少なくなるまで弱めていきます。私はこのように皆さんにしてあげています。これは大法弟子が円満成就する前に常人の中で正常に生活し、正常に人間の中で人を救うことができることを保証し、同時にこれらの完全に取り除かれていない人心があるからこそ、あなたが人心の妨害の中で修煉し、常に自戒の念を持ち、自らを修め、大法弟子の責任を完成させることができます。これはすなわち、威徳であり、素晴らしいことです。これはつまり、皆さんが歩んだ道です」[1] と説かれました。

 ですから、大法修煉の中で同じ人心に対して、面倒を嫌がらずに、繰り返して修め、いつでもどこでも内に向けて探し、絶え間なく自我を放下し、そうして初めて、法を実証する道をしっかり歩むことが出来るのです。

 二、同修間の協調について

 次では、同修間の協調について話します。川が海に合流するのは、海が広くて大きくて包容力があるほか、海が最も低い位置にあるからです。

 大法弟子として、力を合わせて法を実証する際に、海のような広大な心を持たなければならず、同修の不足を包容しなければなりません。プロジェクトを成功させるには、相手の不足を黙々と圓容し、誰でも法を実証しようとすれば、その人の長所しか見ず、協調してあげるのです。そして、自分を低くする姿勢もとても重要です。自分が偉い、他人より優れていると思えば、人に協調するより、人に協調してほしいと思うでしょう。そうなれば、うまく協調関係が築けません。

 実は、将来、たとえあなたが円満成就して偉大な神になったとしても、あなたの上には数え切れないほどの偉大な神がおられます。彼らから見れば、あなたは依然として取るに足らないほど微々たるもので、宇宙の中の一微粒子に過ぎません。ですから、どんな生命でも、宇宙の中で自分がいかに偉いかと思ってはならず、反対に、自分が宇宙の中の一微粒子に過ぎないと認識しなければなりません。自分が微小であると認識すれば、尊大になったり、偉いと思ったりしなくなり、謙虚な気持ちで人と付き合い、人を尊重して人を大切にし、人に優しくし、人と調和した関係を築き上げることが出来るのです。修煉とは集団にある社会関係をうまく処理することです。なぜならば、生命は集団の中に存在するからです。もし、宇宙にあなたというたった一つの生命しかないとすれば、あなたは修煉する必要もなければ、集団的な社会関係も存在せず、善と悪を取り上げる必要もありません。

 修煉者にとって、謙虚な心を持っていれば、自分を低くしていれば、人と争わず、人と比較せず、人を軽視せず、嫉妬せず、顕示せず、自分を実証しようとしません。謙虚な心を持っていれば、人が傲慢にならず、自分の心より魔を生じることなく、人を惑わせず、法を乱しません。そうすれば、真に法と師を敬い、法と師を信じ、法に則って行なうことが出来るのです。

 旧勢力は傲慢であるゆえに、法を正すことを攪乱し、大法弟子を嫉妬し、その結果、自ら滅亡の道をたどりました。大法弟子が法を実証する中で自分を顕示し、自分を実証しようとすることは、すべて自分を高くしているからです。特に海外の場合、多くの同修は学識や才能があるため、自分の考えが一番だと思い込み、自己の主張を堅持し、自分を低くして一歩下がろうとせず、法を実証する中で、プロジェクトを失敗させ、法を実証することに支障を与え、邪悪に笑われてしまいます。

 私は田舎出身で家が貧しく、村では人々に馬鹿にされ、人より劣る立場にいました。そのため、私は劣等感を抱き、誰にも負けたくない気持ちが強く、その人心をずっと心の底に隠してきました。その後、大法弟子が迫害され、私は名誉を傷つけられ、経済的にも損失を被り、その上、世間の人々が中国共産党の嘘の宣伝に騙され、大法弟子を理解せず、私は再び人々に軽蔑され、人より劣る立場に立たされました。すると、人に軽視されたくない、人より劣りたくないという人心が再び浮かび上がって来ました。

 今まで、ニコニコして挨拶してくれる人は相手にしてくれなくなり、とても辛く思いました。その後、この問題に関して内に向けて探し、「人に軽視されたくない、人より劣りたくない原因は自分を低くしたくない、自分が微小であると認めたくないからだ」と気付きました。もし、自分が宇宙のごくごく普通の一微粒子に過ぎないと認識できれば、自分を最も低い位置にし、他人を先に、自分を後に、他人を上に、自分を下にしていれば、人より優れていると思わなくなり、人と同じ水準にしようとせず、自分を人より低くし、すべての人より低くしていれば、人に軽視されるのを恐れることもなくなります。

 他人より偉いと思っている人は、態度が大きくなり、自分を顕示し、自分を実証しようとしています。他人より劣っていないと思っている人は、人に超えられた時、人を嫉妬し、悔しく思います。人より劣りたくないと思っている人は、人に軽視され、粗末に扱われ、差別され、相手にされないことを恐れるでしょう。自分が微小であると言う心構えをしておけば、自分をとことん低い位置に置けば、これらの問題をすべて解決することが出来るのです。

 三、自分を実証しようとする問題

 次では、自分を実証しようとする問題を話します。大法弟子として、大法は私達の生命の源です。私達は法の一粒子で、大法と一体です。大法の為に行なうことは自分の為に行なうのと同じです。そう認識すれば、私達は誠心誠意に法を実証するでしょう。一部の同修が自分を実証しようとするのは、自分を大法と融合させていない事になり、自分を大法から遊離させ、法は法で、自分は自分だとしているからです。

 自分を実証しようとするもう一つの原因は、自分が偉いと思うことです。自分は才能があり、他の人より優れていて、他の人よりよく修めていると思っているからです。

 師父は「法を正すことにとって必要なことなので、それをしっかり行うべきであり、何も言うことはないのです。また、自分の身分を気取ることも、他の人と違うと思うこともしてはならず、皆さんは皆一つの粒子です。私から見れば、他の人より優れている人は一人もいません。なぜならば、皆さんは私が同時に掬い上げたからです。(拍手) この方面において能力のある人がおり、あの方面において能力のある人がいますが、これでうぬぼれてはいけません。私にこれほどの腕があるなど云々しますが、それは法があなたに与えた能力です! あなたはそれほどの能力に到達しなければならないのです。法を正すことはあなたの智慧がそこまで達することを必要としているため、自分がいかに有能かと思わないでください。私に自分の腕を披露した学習者がいますが、実は私が思うには、これは皆私があなたに与えたもので、見る必要などはありません」[2] と説かれました。

 大法弟子として、私達の能力、命も含め、すべては大法から来たものです。無辺の大法の前で、私達はただの一微粒子に過ぎず、いかなる自分を実証しようとする理由もありません。法を実証することは真に師父の法を正されることに手伝うことです。自分を実証しようとすることは、師父に協調していない、言い換えれば、師父に忠実ではなく、心が正しくないと言えます。以前、私の書いた文章が明慧ネットで発表されると、自分でも凄いと思ったりしていました。その後、「大法修煉をしていなければ、私は文章の中の一言も書けないだろう。自分が書いた内容のすべては大法から来るもので、師父の啓発もあり、師父が弟子を成就して下さっているからだ。私はただ師父に協調し、自分をしっかり修め、弟子としてやるべきことをやっているだけだ。もし、大法修煉をしていなければ文章を書けるどころか、自分がこの世にいるかどうかも分からない」と思うようになりました。師父に対する感謝の気持ちは言葉で言い尽くせません。

 実は他の同修も同じことで、誰もが師父に対する感謝の心を持っています。しかし、その感謝の気持ちを実際の行動に反映させて、恩返しの心を持って真に法を正す師に手伝わなければなりません。さもなければ、どうして師父の慈悲なる済度に報いることが出来るでしょうか!

 一部の同修は「もし、大法弟子が皆自分を微々たるものと見て、自分を最も低くしていれば、法を実証する中で、私達は神のようになれるのか? 主役になれるのか?」と疑問を持つかもしれません。自分が微々たるものだと思っているからこそ、法が大きくなり、法の偉大さを心から実証しようとするのです。自分を低くして初めて自分のすべてを放下し、完全に他の為になり、覚者の偉大な次元を成し遂げることが出来、法力はあなたの身に顕れるのです。そのようにすれば、あなたは本当に神になり、主役になれるのです。

 四、次元のことを見る

 法の前で謙虚な気持ちを持ち、懸命に上へ修め、絶えず自分を浄化して行くようにしていれば、法の威力はあなたの行動に現れ、あなたは「大法弟子」として主役を演じることが出来るのです。

 一つの問題を明確にしたいと思います。それは、私達が今いる低い位置は、修煉の次元に等しくないことです。例えば、同じ法を実証するプロジェクトの中で、責任者もいれば、普通の従業員もいます。普通の従業員の場合、地位的には責任者より低いのですが、しかし修煉の次元においては、責任者よりも低いとは限らず、もしかすると高いかも知れません。つまり、将来円満成就の次元は責任者より高いかも知れないということです。法を実証するプロジェクトの中の位置は暫定的なものに過ぎず、将来、圓満成就した後の位置が永遠なものです。だとすれば、大法弟子は法を実証する中で、「彼は私よりよく修めていないのに、どうして私の上司になるのか?」と思いますか。彼があなたの上司になるのは、法を実証する中で協調する必要があるからです。あなたは彼よりよく修めているからこそ、彼の指示に従って協調し、法を実証することをしっかり行うことが出来るのではないでしょうか。それは自分の利益にかかわらず、全体を圓容することが出来、次元の高さを意味するのではないでしょうか。

 修煉の中で最も難しいのは「自我を放下すること」です。自分を放下できるかどうかは修煉の要です。自分を高くする人は、自我をなかなか放下できないでしょう。なぜなら、彼は決して引き下がらないからです。自分が微小であると思う時、自分を放下しやすくなり、正念を強めて行けば、自分を放下することが出来るようになり、他の為になるのです。

 善を修める視点から考えてみましょう。水はどこへ流れて行っても、自分を最も低い位置にします。水は誰とも言い争わず、黙々と万物を潤し、船を載せ、人々の汚れを洗い落とし、命を育み、長い歴史の中で人類の生存に協調して、いかなる報いも求めません。真の協調は完全に無私な心を持って、心から人に協調することです。つまり、自我を放下し、他人が成就するように手助けをし、全体が成就するように手助けをし、師父が求められるものを圓容することです。こうすれば法を実証するプロジェクトは成功し、参加するすべての人は、その中で威徳を作り上げることが出来ます。先に人を成就させることが出来れば、最終的に無私無我の自分も成し遂げることが出来るのです。

  以上は、現段階での個人の浅い体得です。適切でない所があれば、慈悲なるご叱正を宜しくお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『二〇一五年米国西部法会での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『二〇〇三年元宵節での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/11/16/395831.html)
 
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