真相資料を配布するのは時期が過ぎた行為ではない
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2019年9月23日】長年にわたって、私が行なったことのある地区で、1999年以前に修煉を始めた多くの古い同修と出会いました。同修の皆さんは一堂に会し、最近の法を正す情勢について交流しました。しかし、一つの問題に気付きました。それは法輪功真相資料を配布するのは、もう時期が過ぎていると言うのです。私は驚きました。最初は、修煉者の一時的な修煉状態によってもたらされた認識だと思っていましたが、しかし時間が経つにつれて、そうではないことが分かりました。

 同修は表向きでは、真相資料を配布するのは時期が過ぎていると言っていますが、彼らと長く接触しているうちに、実際の原因は恐れる心によるものだと分かりました。もし真相資料を配布する行為が、時期が過ぎていると言うならば、明慧ネットにおいて、なぜ異なる角度から各種の資料を更新し、資料の質が絶えず良くなり、ますます正規で完備した資料を作成しているのでしょうか? この事を口にした古い学習者は、もし人を救う他のプロジェクトで何かを担っているのであればそれでもいいのですが、そうではなく、往々にしていろいろな口実で資料を配布することを拒否し、または嘲笑して反感を持ち、はなはだしきに至っては資料を見るだけで恐れて怒ってしまいます。人を救うことを何もしないで、毎日、煉功学法をする以外は、飲み食いを享受し、常人の生活を楽しみ、資料拠点の協調人の不足を探して、すべきことを何もしていません。

 もし、この状態が一つの地区に限られているのであれば、私はあえて言いませんが、しかし、この5、6年来、各地においてこのような人が多く存在しており、これは正常な状態とは言えません。いろいろな口実がありますが、彼らは自分が恐れているとは絶対に口にしません。実は、監視は人に対して作用があるかもしれません。しかし、超常的な大法弟子が監視に阻害されていいのでしょうか? 表に出て真相を伝える人が少なく、ある地区では真相を伝える人がいません。今まで私が話した衆生は、家に戻ると郵便ポストや玄関口に真相資料を入れられていたケースが多く、のちに、この事を私に教えてくれました。この事について、師父が衆生の口を利用して私を励ましてくださっていると私は理解しています。師父と正の神々は、黙々と修煉者を手助けして衆生を救う力を高めています。しかし、修煉者が学法と煉功する以外、衆生を救うことを何もしないのであれば、師父と正の神々が彼を手助けすることはできません。法を正す中で、師父は衆生を救う威徳をすべての大法弟子に与えておられ、正の神々は側面から大法弟子をサポートしているだけです。しかし、衆生を救う重大な責任を負うべき私達が何もしなければ、自分の先史の誓約に背いたことになりはしませんか? 法を正すことが終わった後、この宇宙に自分の居場所はあるでしょうか?

 同修の皆さんは考えたことがあるかどうか分かりませんが、異なる時期の試練は異なる形で現れています。迫害が始まった当初、私達は資料を配布していた時も恐れていました。慣れてくると、街のマンションには二重扉が取り付けられ、資料を配布するのが難しくなりました。この難しさを突破するために、いろいろな方法を考えました。するとこの二重扉は私達に作用しなくなりましが、今度は監視カメラが取り付けられました。最初のころは監視カメラを取り付けられたのは大通りの交差点あたりだったので、私達の資料配布にはそれほど影響がありませんでした。しかし、今はいたる所に監視カメラが取り付けられています。通信設備の発展に伴い、明慧ネットは私達に真相を伝える方法を考案してくれました。例えば、電話をかける、ショートメールの送信、DVDの配布、真相サイトへの誘導、メールの送信などが含まれます。実は私たちは衆生を救いたい考えがあれば、自分に適したやり方を見つけて行なえばいいのです。真相資料の配布は補助的な役割として、依然として重要であり、その資料は事情をはっきりと説明することができ、100年来、中国共産党が中国人に行なった洗脳を洗い落とすことができます。短時間の説明で、二言三言で説明できるような内容でもなく、三退を相手に理解させるためには、文字や動画による説明が必要なのです。

 今、普遍的に存在しているもう一つの問題は、法を正すことがそろそろ終わりに近づき、人間世界は上の次元と対応しており、表に現れた現象として全世界が中国共産党を反対してしていることです。しかし、大法弟子はこの時に全面的に衆生を救うべきで、天象の変化に協調しなければならなないのではありませんか? 学法を大切にすることは正しいのですが、多くの地区の同修は『轉法輪』を集中して学法し、これ以外の事は重要ではないと言い、お互いに競争し合って、1日で1回読み終えたとか、あるいは半分を読んだとか言っています。この同修達は自分の次元を高めることしか考えておらず、彼らが言うには、人を救うこと、各地での説法を読むのは無意味だそうです。

 同修と交流しましたが全く効果がなく、他人の話に聞く耳を持たず、自分の考えこそレベルが高いと思っています。実は未来の宇宙は「私」がなく、修煉者が単純に自分の次元のために行なっていることは、新宇宙の要求を満たすことはできません。どんなに多く学法をしても、師父が求めておられる法を正す時期の大法弟子としての最も重要な責務を果たさず、衆生を救わなければ、何の意味があるのでしょうか!!

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2019/9/1/392133.html)
 
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