文/中国の大法弟子 清泉
【明慧日本2019年10月31日】
邪悪に協力せず、警官に法輪功の真相を伝える
私は97年に法を得た70歳近い修煉者です。2018年の冬、私はある大都市に行きました。世間の人々に法輪功が迫害されている真相を伝える中で、真相を理解できない人に事実を捻じ曲げられて告げ口をされ、私は派出所に連行されました。
このような事が起こったのは、修煉の中では偶然なことはなく、間違いなく自分の中に長きにわたり、取り除かれていない多くの執着心があったために、旧勢力の迫害が強まったと理解していました。法の中で明白ですが、根本的に、師父はこのような迫害を認めておられませんし、私も邪悪の迫害を決して認めません。私に執着心があれば、師父は私を導いて下さり、あらゆる人心は法の中で正されます。そのような生命は、法を正す時期の弟子を制御するに値せず、迫害した者は罪になり、これは絶対です。
派出所に着くと、警官は私に不法な尋問をし、私の詳細な身分をはっきりさせたいようでした。私は邪悪に協力しなかったので、警官らは血相を変えて大声で怒鳴りましたが、私は全く怖くなく、動じませんでした。警官らは多くの労力を費やし、テクノロジーの手段を通してやっと私の身分を見つけました。そして、違法な家宅捜索をしてノートパソコンや大法の本、法輪功の真相を伝える資料などを押収しました。また、警官らはいわゆる記録だと言って私に署名するように言いましたが、私は拒否しました。
日も暗くなってきた頃、部屋の中で、2人の警官が私の見張り役をしていたので、私は世間話の中で真相を伝えようとしました。世間話をしている途中で、その中の1人が「お前はここに連れてこられたなら、法的に警察の調査に協力する義務がある。協力しないのは良くない」と言いました。
私はこれに対して、「法律に従うようにと言うなら、私も同意します。しかし、中国共産党の江沢民は善と悪を混同しており、法輪功修煉者に対して20年にもわたり人道に反する迫害をし、法律の角度から言えば、修煉者が罪になるような法律は全くありません。法輪功は心を修めて人を善に向かわせ、社会に何の危害もなく、どんな罪があるというのですか? 法律から言えば、国民は信仰の自由、言論の自由、出版、結社、デモ行進などの自由があります。江沢民のやり方は、修煉者に何の罪も着せることができず、無理矢理に刑法第三百条の『邪教組織は、法律の実施を妨害するものとする』を持ち出して、辻褄が合わないことをしています。客観的に、私のようなごく普通の庶民が法律の実施を妨害するなど、そのような大きな事ができると思いますか」と答えました。
さらに「私があなたたちに協力しないのも、あなたたちにとって良い事です。なぜなら、いわゆる偽りの犯罪の証拠を作ることに加担すれば、冤罪事件をつくることなり、また、迫害の事実が成り立つことにもなり、現在の警察は一生涯、責任制があるため、あなたたちも遅かれ早かれ法律による責任を負うことになります。さらに厳粛に言うと、法輪功は佛法であり、人間が佛法に対して不敬な事をすれば罪になり、また、佛道を修める人を迫害することも大きな罪になります、人は一度罪を犯せば、返済しきれない罪業により子孫に災いを招きます。考え直してください」と言いました。
私はまた「中国共産党の今までの度重なる伝統の破壊行為や、文化人への迫害は、人々の正義や正念を滅ぼしてきました。そのため、共産党と江沢民は、法輪功を消滅させるためなら、誹謗中傷や汚名を着せるなどのことを平気で行ない、コストを惜しみません。天安門焼身自殺事件が嘘であることを全世界は知っていますが、この虚言に騙されている人は大法を敵視し、また、何億もの人々を未来永劫償い切れない重い罪に陥れました」と伝えました。
その夜、彼らは私に手錠をかけ、4人の警官が私を担いで車で病院まで連行し、身体検査をさせられました。全ての検査を終え、その中の1人の警官が検査結果の一覧表を手に持って、指さしながら他の3人に、「これを見ろ、全て正常だ、心臓はとても元気で、どの項目も異常はない、まるで20歳くらいの青年のような検査結果だ」と言いました。彼らは結果を見ながら、私に驚嘆の眼差しを向け、信じられないようでしたが、結果は真実です。その中の1人の若い男が、「おじいさん、なぜあんたの身体はこれほど健康なのか」と聞くので、私は笑いながら、「法輪功は病気を取り除き、身体は健康になります。功を煉っているからですよ」と言いました。彼らはみな驚き、何も言葉が出てこないようでした。
検査結果は窓口みたいなもので、そこから大法の超常さや神秘さが顕れました。4人の若い警官たちは理解したようで、私に対する態度も大きく変わり、尊重の念が感じられました。その中の1人が、「おじいさん、あんたは大物だ、歩く姿はまさに将軍だ」と言いました。彼らがこのように変化して、彼らのことを思うと本当に嬉しかったのです。
拘留所へ向かう道で、車内の電子機器の電源は全て消されていたのは、真相を伝える良い機会でした。師父のご加持の下、正念を強く持っていたので、全く恐怖心はありませんでした。私は少し大きな声で、「ちょっと話があります」と言うと、どうぞ言ってくださいと言われたので、私は、「私たちは面識がありませんでしたが、縁により、今はこうやってあなたたちに巡り会えました。今回の件で、あなたたちは私にこのような扱いをしましたが、私はあなたたち個人に対して何の恨みも、良くない心も持っていません。私が協力しないのは邪悪な機構の要求に協力したくないからです」と言いました。すると、その中の1人が「あんたは頭のいい人だ、あんたが話した多くのことは正しい」と言いました。私は、天が中国共産党を滅ぼすこと、三退すれば平安が保障されること、なぜ天が共産党を滅ぼすのか、共産党はどうして天に逆らっているのか、昔から、天に逆らえば滅亡に向かうことや、天が共産党を滅ぼすことに個人も関係していることを説明しました。
私たち大法弟子はエネルギーを持っているので、その場で強烈な作用が働き、警官たちは話を聞いてくれたようでした。最後に私は「あなたたちは党員でしょう、平安のため、子孫のため、良い未来のために、神に三退を表明し、平安を守ってください」と言いました。彼らはみな同意し、別名で三退しました。彼らの生命の目覚めに、私は心から祝福しました。
拘留所で正念を持ち、正しく行なう
拘留所では、私は最初と同じように、協力しませんでした。2日目、新しく来た人たちはみな写真撮影をし、私の前にいた8人も言われた通りに写真撮影をしました。次は私の番になり、私は拒否しました。警官はなぜ拒否するのかと聞きました。私は、ここでは法に違反した者が撮影されます、私は法輪功を修煉しているだけで、何も違反していません、だから撮影を受けませんと言いました。私が協力しなかったので、2人の警官が私をつかみ、無理矢理撮影させようとしました。彼らが強制してきた時、すぐにコンピューターがフリーズしました。再起動しても、何をやっても復旧しませんでした。カメラマンが、「法輪功はなんて凄いんだ、彼が『功を出す』とすぐにフリーズしたじゃないか」と言い、私はすぐさま、「これはあなたに大法の素晴らしさを知ってもらうためですよ。どうか法輪功を迫害しないでください」と言いました。長時間待って、やっとパソコンが復旧し、正常になったので、後の人の撮影を再開しました。
次に、心を静めて、いつも念頭に置いている自分の考えを法に沿って整理しました。法に則っていないものは捨て、法に準じているものを肯定することは、修煉の過程です。邪悪の環境の中で、明白に、着実に修煉することの厳粛性を悟りました。顕示心、闘争心、嫉妬心、名利心、利益心、まだある色欲心などを、冷静に内に向けて探しました。山ほどたくさんある人心は、探そうとしなければ認識することはできず、本当に恐ろしいことです。着実に修煉して、ひとつひとつ正されていきます。
拘留所での日々は、環境は険悪で、常人は刑務所の中で焦燥や不安にかられ、1日が1年のように長く感じることでしょう。しかし私は、おそらく修煉の基礎があったために、静かで落ち着いた状態だったので、1日が速く感じました。常人は美味しい物や楽しい事、温かい家庭を渇望し、やりたいことを行ないます。しかし、修煉者はこれらのあらゆるものに対して興味がなく、淡々と生活するだけで十分です。「修は己にありて、功は師にあり」[1] なのです。師父は最も良いものを与えて下さったと身体ははっきり分かっています。そのため、他の人は私に対して、心が穏やかで、思い煩うこともないような印象を抱くそうです。
私は時間を十分に利用し、無駄に飲食せず、睡眠も少なくとり、法の暗記、発正念に時間を使い、また、機会があれば法輪功の真相を伝え、三退するよう説得しました。環境は邪悪で複雑で、混乱していましたが、私は妨害を排除し、たゆまず、すべきことをしました。師父のご加持と保護のおかげでした。表面ではいわゆる個人の能力のように見えますが、すべては大法のおかげなのです。
拘留所の中で、私はいつも、「おじいさん、あんたは捕まって何日目なの? いつになったら出て行けるの?」と聞かれました。私は笑いながら、「何日経ったかも分からないし、尋ねていないのでいつ出て行けるかも分からない。でも、出るべき時が来れば、自然に出ることができるでしょう。なので、あまり心配していません」と言うと、「おじいさんはこんなに落ち着いていて、心理状態もとてもいいですね」と言われました。刑務所にいる人は私に対して、平静、穏やか、楽観的、善い人という印象をもっていました。私が高齢であるのを見て、彼らは美味しい物を私のために買い、取って置いてくれたり、世話をしてくれました。
私は修煉者であるため、色々な角度から、自分に厳しく要求し、全て正しく行なわなければなりません。私は年齢が高いので、積極的に汚い所を清潔にし、他の人がやりたがらないことをやりました。ご飯を食べる時も、急いだりせず、他の人がご飯を取ってから、私はご飯を取ります。共同で使う布団も、他の人が取り終わって、残った布団が私の分です。このように他の人を気遣いながら行ないました。ある時、わからない人が私に不快な言葉を言った際も、言い争うことはしませんでした。もし、本当に他の人を邪魔してしまった時は、穏やかな態度で謝りました。修煉者は内に向けて心を修めますが、常人が見ているものは表面のものです。修煉者がしっかり行なうことができるのは本当のことです。段々と、中にいる人たちは私を認めるようになり、自ら私に接しようとし、時々私に、大法の事情や大法の素晴らしさ、病気が治り健康になった話や、大法が世界に広く伝えられている話、世の人々が法輪功のことを誤解しているのは、江沢民が法輪功に対して虚言や誹謗中傷をし、汚名を着せたことによるものであるという話、その虚言を聞いて信じ、大法を敵視する人には悲惨な結果が待っている等の話をしてほしいと言い、私はすべて回答しました。さらに彼らは、私がどのように坐禅するのか見たいと言うので、そういう時は常に、彼らに坐禅をして見せました。
時期が熟せば、物事は自然に熟するという言葉があるように、人を救う時期もすでに熟しました。拘留所では監視カメラが設置されており、警備も厳重で、人に恐怖や不安を与えます。私はただ、三退を勧めることを行ないました。拘留所にいる人は常に入れ替わりますが、ある時は9人に三退を説得することができ、三退しない人にも法輪功に対する良い印象を残すことができました。これも大法修煉者のあるべき姿です。
拘留所の警官は私に代わって真相を伝える
ある休憩の時、およそ30人いた中で、一番年齢が高いのは私でした。警官Aが人々に、「このおじいさんは(私を指さしながら)、法輪功の人(弟子)で、毎日家で坐禅をし、身体もとても丈夫だ。坐禅をしていない時は規則を守っており、全てが悪いわけではなく、良い側面もみるべきだ」といい、続いて、ある若者が、「このおじいさんを見ると、身体が凄く丈夫だと一目で分かり、神秘的な雰囲気を感じる」と言いました。この時から、拘留所にいる若者から年寄りまでのみんなが、私が法輪功修煉者で、高齢にも関わらず身体は丈夫で、法輪功は病気を取り除き、身体が健康になると知りました。
毎回の休憩の時間も、真相を伝える良い機会です。全ての人が、私が法輪功修煉者であると知っているので、真相も伝えやすく、例えば、相手が喫煙しながら散歩する時を利用して、挨拶をしてから、話の前振れもなく真相を伝え始めます。ある人はそれとなく、「警官による監視があるので、安全に注意してください」と知らせてくれた時、私はそれらに動じることはないので、大丈夫だと伝えました。また、ある人は、私がこの環境でもなお真相を伝えているのを見て、親指を立てて賞賛しました。師父が私のそばにいらっしゃると同時に、大法の威力は全てを鎮静させます。「問題ない」と言うと、本当に問題はありませんでした。
ある休憩のとき、警官Bが私に「あんたは、あと何日で出て行けるのか?」と聞き、私は「はっきり知りません(後に、残り半月であると知る)」と言いました。すると警官は、「安心してください、時が来ればあなたを解放します。長くあなたを収容することはおそらくないでしょう」と言いました。
私は、拘留所のある決まりに気づきました。拘束された人は、拘束期限がきれる1日前の休憩時に、ある文書にサインします。その文書には、拘束理由や拘束期間中の態度が書かれています。今日サインすると、明日には解放されるようになっています。私も同様に、サインする問題に直面することになります。文書の承認には、大法を誹謗するものもありました。サインは大法に背き、邪悪に協力することであり、サインするかしないかは、本当に正邪の二つの側面の戦いであり、最終的には正念が人心に打ち勝ち、絶対に邪悪に協力しませんでした。
瞬く間に、正邪の大戦の日は訪れました。その日は3人がサインする予定で、その中に私もいました。前の2人はサインし終わり、3人目の私になり、サインするよう言われました。私は警官Cに「私はサインできません」と言うと、警官Cは「今日サインすれば、明日解放する。従わなければ、解放しない」と言いました。私は強い正念を持って、大きくも小さくもない声でゆっくりと、「あなたが私を解放しようがしまいが、私には関係ありません。しかし、大法に背き、師父を侮辱するようなことを私は絶対にしません」と言いました。すると警官Cは大声で「解放され出ていくことを考慮しないだと! あんたはいったい何を考慮するというのだ! あんたの脳には水が入っているのか! それならいい! サインしないというなら、誰も家に帰さない!」と怒鳴りました。
後の話に私は回答せず、強大な正念を発し始めました。正念がひとたび出ると、邪悪の要素は、ボールの空気が抜けるように解体されていき、表面では、警官Cには為す術もないといった表情が現れ、大法の威力と大法修煉者の正念がに顕れました。その場にいたほぼ全ての人が、賞賛の眼差しで私を見ました。
そこで、ある人が私に「おじいさん、サインしたらどうですか、これはただの段取りですよ、明日私たちが出ることができれば、とてもいい事ではありませんか」と勧めましたが、私は「ご厚意に感謝します。ありがとうございます!」と私が感謝する中で、これらの人々は退出しました。そして、もう1人の若い警官が現れ、「おじいさん、あんたがサインしなければ私たちも戻ることができません。寒いですよ(冬至の時期)」と言うので、私はすぐに「寒いのですか? サイズが小さくなければ、私の服を着てください」と言いながら脱ぐと、彼は私が本当に脱いでいるのを見て、急いで「脱がないでください、あんたは年配です。私は若いので寒くても大丈夫ですよ」と言いました。双方とも譲らず15分経った時、警官Cはこのままでは終わりが見えないと感じたのでしょう、ただ一言、みんな家に戻りなさいとだけ言いました。
次の日の午前8時頃、警官Bは私の名前を呼び、私に自分の物を片付けるよう言い、私は解放されると分かりました。片付けが終わった後、一人一人握手して別れを告げました。みんなが私に友好的な眼差しを向け、門まで見送ってくれました。このようにして、私は師父の安排の下、拘留所を出ていきました。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』