あなたは本当に固く師父と大法を信じていますか!
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文╱中国の大法弟子

 【明慧日本2019年7月8日】修煉してから、あっという間に21年が経ちました。振り返って見ると一瞬の出来事のように思えました。周りの同修から何度も、法を正す期間が終了する話を聞きましたが、あまり気にしませんでした。どうせ自分はまだ修め遂げていないし、時間がまだあるうちにしっかりと修めなければならないと思いました。

 ある日、真相伝えが一段落してから少し疲れを感じ、早めに就寝しました。突然、「もし、今日中にすべてが終了すれば、それは大変な事になるのではないか?」との一念が脳裏に浮かび、驚いて目を覚ましました。長年修煉をしてきましたが、まだまだ多くの人心が取り除かれておらず、多くの場合、まだ人間の観念で物事を判断し、いつも常人と同じように「よくない事」を悪い事と見なしており、本当にこのまま終わってしまえば、とても想像のできない結果になると思いました。

 しばらく前に、同修達の内部の反省会で私はいろいろ批判されて、とても悔しく思いました。常人の名利に対して私はすでに心が動じなくなりましたが、しかし、同修間の不公平な扱い方に対しては、心が穏やかではありませんでした。この関門を通り抜けるには結構時間がかかりました。表向きには言いませんでしたが、心の中では私を批判した同修達にとても不満でした。

 そこで、「もし最後になったら、このような人心を天に持って行けるでしょうか?」と自問しました。

 真剣に反省し、内に向けて探しました。そして指摘されて刺激を受けた部分こそ、自分が修めなければならない人心ではないか、耐え難い思いこそ良い事ではないか、厳しく指摘されればされるほど、良い事ではないか、しかも、すでに済んだことをどうして放下できないのだろうか、と思い返しました。

 師父は「大法弟子にとって外部からの圧力は試練であり、精進の機会になりますが、大法弟子内部のトラブル、圧力も同様に試練であり、精進の機会になります」[1] と説かれました。法に照らし合わせて考えれば、これこそ自分を修める良い機会ではないかと考え方を改めました。師父は「修煉とは人心を修め、自分自身を修めるということです。問題に遭遇したとき、トラブルや困難、そして理不尽な扱いを受けたときでも、自分自身の問題を探し、内に向けて探すことができれば、これこそ真に修煉していることになり、絶えず向上し、修煉の道を正しく歩み、円満成就に向かうことができるのです!」[2] と説かれました。ここまで分かって来れば、心の中にある頑固な石のような塊が取り除かれたように感じました。

 さらに、内に向けて探しました。やっと深く隠れていた「利益心」を見つけ出しました。同修の皆さんの批判が自分の修煉や自分のこれからに損失をもたらすのではないかと心配していたからです。実は、大法に従って行なうことだけが本当の正しい事で、いかなる状況の中でも自らを探して行けば、悪い事が必ず良い事に変わります。今度の事を通して、損失を蒙るのを心配する心、威徳を求める心を見つけることが出来ました。それは向上にほかなりません。それは師父が按排してくださった自分を高める機会なのです。「修煉者は永遠に自らを修めるしかないのです。人心のわずかな変化も、すなわち向上であり、神々には皆それが見えるのです」[1] と師父がおっしゃいました。

 ミラレパは師に怒鳴られ、殴られ、しかもすべて理不尽な扱いを受けましたが、それでもミラレパは心の中に少しの邪念も生じませんでした。師が自分のために業力を消去してくださっていると彼には分かっていたからです。大法修煉者として、昔の修煉者にも及ばないのでしょうか。どうしてこれほどの差があるでしょうか。私は恥ずかしく思いました。根本的な事を言えば、やはり信じるか否かの問題ではないでしょうか。ミラレパは師を固く信じていたからこそ、最後までやり遂げられたのではないでしょうか!!

 「あなたは本当に固く信じているでしょうか!」と自問をしなければならないと思いました。本当に師父と大法を固く信じていれば、人を惑わせるすべての仮相がきっと跡形もなく消えていくでしょう!!

注:
[1] 李洪志師父の経文:『ヨーロッパ法会への祝辞』
[2] 李洪志師父の経文:『台湾法会への祝辞』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/6/19/388922.html)
 
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