師父のご加護で生死の関を乗り越えた
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文/中国の大法弟子

 明慧日本2019年5月18日】私は1999年から、法輪大法を修煉してきました。しかし修煉の厳粛性を理解できていない私は自分に厳しく要求しませんでした。昨年から私の身体には異変が現れてきましたが、以前と同じくしばらく煉功すればすぐ治ると思い、あまり気にしていませんでした。今年3月17日、数人の同修たちが我が家で学法をした後、妻が私の身体の状態を皆さんに見せました。ある同修は「これは仮相だ、認めないように!」と言いました。もう1人の同修は私に胃が痛くないかと尋ね、私は「痛くはないが、食べ物がのどにつかえるような感じがして、ちょっとしか食べられないから、見る見るうちに痩せてしまった」と答えました。するとその同修は驚いて目を丸くしたので、私はその表情から実態の厳しさを感じました。実は彼女の夫も修煉していましたが、いつもテレビ番組を見るなどして、私と同じようにあまり真面目に修煉しなかったため、去年亡くなりました。

 学法が終わって自分の部屋に戻った私はベッドに横になり、気が重くなった私を見て、妻は「気にしないで大法に則って修煉すればいい」と私を慰めてくれました。どのようにして大法に則って修煉するのかと聞くと、妻は旧勢力の按排を否定することだと言い、「私は李洪志師父の弟子であり、他の按排は要らない、認めないと思えば、それらは恐れ怯えて手を下すことはできず、何でも解決することができます。あなたが本当にこれをやり遂げることができれば、口先で言うだけではなく、行動においてこれをやり遂げることが出来れば、師父は必ずあなたを支持します」[1]という師父の言葉を伝えてくれました。

 話を聞いて、私の正念が目覚めました。そうだ、私は師父の弟子だ。私は20年近く修煉する大切な時間を無駄にしてしまい、慈悲なる師父の済度にとても申し訳ないと思っています。しかし、それにしても私には師父がいらっしゃり、修煉において漏れがあっても、私が大法でそれを正すなら、いかなる生命も私を迫害する事は出来ません!

 修煉してはや20年の私は精進しているとは言えませんが、一度も薬を飲んだり、注射を受けたことがなく、昔患った皮膚病なども法輪大法を修煉して完治しました。私の会社では毎年社員の健康診断を行ない、2009年に私の腎臓に大きな結石があると診断されました。当時私は気になって、真面目に学法と煉功をして病院には行きませんでした。2010年の健診の結果、腎臓の結石はなくなりました。私は心から師父に感謝しました。2018年7月頃私の背中に三つのできものが見つかり、最初は小さかったのですが、だんだん大きくなり、しかも膿が溜って血が出ました。私の状態を心配する子供たちは病院に行って治療するように促してくれましたが、私は実家に戻って1週間ほど滞在し、真剣に学法と煉功、それに発正念をしているうちに、奇跡的にこぶが消えました。

 2018年下半期から私は食事をする時にいつも食べ物がのどにつかえ、痩せてしまいました。このような状態は3カ月も続きましたが、しばらく経つとよくなると思い、あまり気にしませんでした。一方、その頃は毎日孫の子守に時間を取られ、大法の真相を伝え衆生を済度することができず、学法や煉功をするのも夜の時間しかありませんでした。精神的に限界になり、学法する時に眠ってしまい、発正念をする時に雑念が生じたり、掌が倒れたりして、大法の真相を伝えることにはなおさら余裕がありませんでした。

 つい最近、子守から解放されたので、私は自宅で学法と煉功、発正念に専念するようになり、時間を大切にして大法の真相を伝えることができるようになりました。しかしある日突然気力を失ったように感じ、死後のことを考えるようになりました。これは旧勢力が無理に押しつけたものだと後で気が付き、これらを認めないと自分に言い聞かせました。私は学法に力を入れ、そして病業の仮相に向けて発正念をするとともに「私は李洪志師父の弟子であり、他の按排は要らない、認めない」[1] と師父の法を暗唱しました。

 3月18日の明け方、私は突然具合が悪くなり、息が詰まったように感じた時、ふと机の上に置かれていた『轉法輪』が目に入りました。このまま去っていくと、永遠に『轉法輪』を読むことも、師父の写真を見ることもできなくなると思うと、すぐにでも『轉法輪』を暗唱したくなりました。しかし、マイナスの考えが絶えず頭に浮かび、死後の始末が頭から離れませんでした。私は『轉法輪』を両手でかかえて心の中から師父に助けを求めました。きちんと修煉しなかった私は師父に申し訳ない気持ちでいっぱいでしたので、師父の写真を正面から見ることもできず、ただただ20年の修煉時間を無駄にしたことを反省しました。

 数年前私は野外での仕事をしていて、夜は他の同僚と一つの部屋に泊まることが多かったので、迫害を恐れて学法と煉功もできず、祭日など休みの時も真面目に修煉しませんでした。また、内に向けて修煉することを知らず、心性を守れず、夫婦喧嘩でいつも「死んだ方がました、私が死んだら君がよくなるからね」と口にしました。旧勢力はこれを理由にして、今日のような病業の仮相を押し付けました。

 身体の状態に苦しんだ私は、死んでしまうと師父の写真を二度と見られなくなると思い、『轉法輪』を開き、1ページ目にあった師父の写真を見つめました。私は涙を流しながら、師父にもう1回チャンスと時間を与えてください、必ず改めて精進し師父について故郷に帰ると誓いました。すると、正念がだんだん強くなり、人心と雑念を抑え、奇跡的に全身が一瞬にして軽くなり、死に対する恐怖も消えました。不思議なことに、まるで何ごともなかったように、死後のことを考える気持ちが完全になくなり、感動のあまり、涙が止まりませんでした。

 その時は早朝の4時20分頃でした。私は横になり、繰り返して発正念をしているうちに眠りました。夢の中で師父は私に1本の銃を渡され、「パン!」という銃声で目が覚めました。朝の5時47分になり、ベッドから起きましたが、身体にはなんの違和感もありませんでした。私は妻と一緒に朝6時の発正念をしてから、昨夜の出来事を妻に教えました。「師父は慈悲なるご加護で、もう一度あなたにチャンスを与えてくださったのよ。今度こそ怠ってはいけないよ」と妻は真剣に言いました。

 朝食後、私は理容院へ理髪しに行こうとしたら、妻が「後日に行った方がいいじゃない?」と言いました。しかし私にとって、今日から新たな再スタートをして、本当の大法弟子になろうという決意で、頭をスッキリさせたかったので理容院に行きました。

 理容院に入ると、あるお年寄りが微笑んで私を見ていました。その方は元気そうで、とてもやさしい表情でした。これは師父が縁のある人を私の所に連れて来て、法輪大法の真相を聞かせようとされているのだと思いました。私は彼の横に座って順番待ちしながら声を掛けました。「おいくつですか?」と尋ねると、89歳だと答えてくれました。私は彼の耳に近づき、声を低くして彼に「法輪功は人を助けるもので、天安門の焼身自殺事件は共産党が法輪功を弾圧するための嘘にすぎません」と教えました。すると彼は、「なるほど。法輪功を悪く言う人もいたが、わしは一度も言ったことがないよ」と言いました。私は彼に「法輪功の悪口を言う人はほとんど共産党の偽りの宣伝を信じたからです。もしまたそのような話を聞いたら、ぜひ説明してあげてください」と言うと、彼はうなずきながら賛同しました。私が「三退」について話すと、彼はこのように言いました。「わしは共産党の党員で、若い頃に軍隊で地主や富裕な農民を打撃するよう指示されたが、そんなことはできなかった」というので、私は彼に「やはり徳を積んだからあなたはこんなに元気で長生きしている。これからも常に『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』を念ずれば、厄介なことに遭っても吉祥なことに転化するよ」と教えました。お年寄りは大法の真相を真剣に聞き、最後に自分の名前で「三退」しました。

 真相を知った衆生の感激した気持ちは表に表れ、私を励ましてくれました。理容院から家に帰って、横になって少し休みました。すると、一面の青空に薄い白い雲の美しい景色が夢のなかに見えました。その日私は学法や煉功している時にも、歩く時にも、何かをする時も思わず涙が流れました。師父は私に新たな命をくださり、その涙は幸せな涙でした。

 3月20日の朝起きて、突然全身が震え、言葉で表現し難い喜びが心の中から生まれたように感じました。翌日の21日、深夜の1時頃に大法の音楽の「普度」と「済世」がはっきり聞こえ、最初は妻が音楽を流したと思い妻に聞いたところ、流していないとわかりましたが、日が明るくなるまでずっと聞こえました。

 今回の出来事を通して、私の心性は全面的に高まり、身体は軽く感じ、歩く時にも舞い上がりそうで、神仙を見たことのない私が、まるで神仙の世界にいるかのように感じ、目にはいつも幸せな涙が溢れてきました。私は本当に師父の「佛の洪恩」[1]の深い意味が理解できて、修煉の素晴らしさが見え、修煉によって返本帰真ができ、本当の故郷へ帰ることができると信じました。

 生涯にわたって忙しく、コツコツ頑張ってきましたが、結局何のためでしょうか? 最終的には何一つ生まれた時に持って来ることも、死ぬ時に持って行くものもありません。

 大法の救い済度を待っているのではありませんか?  私は必ず師父のお教えの通りにして、心を込めて衆生を済度し、自分の使命を遂げて、歴史上の約束を果たします。

 以上は私の体験ですが、不足しているところがあれば、皆さんのご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『二〇〇三年元宵節での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/5/2/385800.html)
 
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