明慧法会|同修のことは私のこと
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文/遼寧省の大法弟子

 【明慧日本2019年5月8日】

 慈悲で偉大なる師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 師父の慈悲深いご加護の下、困難で紆余曲折の日々の中で20年の修煉過程を歩んできました。師父は「すべての大法弟子を私は見捨てず、皆私の身内」[1] と説かれましたので、師父の身内はつまり私の身内でもあります。今日はただ私の修煉の中でいかに同修を身内とみなして、遇してきたのかについてのわずかな体験を師父にご報告するとともに、同修の皆さんと交流したいと思います。

 一、同修のことは私のこと

 1999年江沢民が全面的に法輪功を迫害し始めた後、一時の紅色恐怖は息もつけないほどであり、同修と会っても話をしようとは思いませんでした。私には恐れる心がありましたが「大法の中で真人間に生まれ変わり、心身が恩恵を受け、大法のすばらしさを多くの人に知らせ、中国共産党の嘘を暴露し、同修を呼び戻さなければならない」と思いました。

 私は同修の家に行き交流しました。路上で偶然に出会ったので同修の家に行き「偽火」(訳注:在米メディア新唐人電視台が作成した映画)などのDVDをかけました。すると続々と数人の同修が修煉に戻って来ました。私たち同修は資料を作って人を救わなければならないのですが、資金が足りませんでした。私は家の中の多くはない5000元の貯蓄を取り出し、他の同修も5000元を持って来てくれて、やっと資料拠点が出来上がりました。

 師父の見事な按排に感謝いたします。バスの中で真相を伝えている際に、面識のなかった同修にも何度も会い、私の家に来て学法し、私たちは全体を形成しました。

 ある時、バスで1人のお年寄りと話しました。お年寄りに私の年齢を尋ねられ、「もうすぐ70歳です」と伝えました。お年寄りは「まったくそんな風には見えません」と言い、続けて「もともと私は体が特別悪く、体中が病気だらけでした。ひどい時は夫が背負って階段を上り下りしなければなりませんでしたが、今は20年の間薬を1粒も飲んでいませんよ」と言うと、お年寄りは驚いて「どうして良くなったのですか?」と聞きました。私は「法輪功を修煉して良くなりました」と伝えると、お年寄りが「本当ですか?」と聞くので、「本当です」と答えました。

 すると向かいにいた男性が話を聞いていてすぐに立ち上がり、私達の所にやって来て、微笑みながら小声で「すみません、ちょっとお願いしたいことがあるのですが」。私は「何でしょうか?」と聞き返しました。男性は「ちょっとある物をお借りしたいんですが」と言うので、私はピーンときて、この男性が同修だとすぐにわかりました。私は「降りてから話しましょうか」と言って、一旦バスを降りると、この男性も私に着いてバスを降りました。私たちは簡単に交流し、地方から来たのだと男性は言い、師父の経文を読むことが出来ないで困っているのだと言いました。私は男性に師父の経文を送る約束をしました。男性は感動し、師父に感謝しました。その後、男性と男性の妻にここ数年の大法の資料を送りました。

 2015年冬、ある日バスに乗り、降りるバス停が近づき、私は席を離れました。バスの扉の近くまで行き、降りる準備をしましたが、しかしなぜかわかりませんが、突然、考え直してバスを降りませんでした。すぐに振り向いて元の席に戻ろうと思いました。車内に人は多くなく、私の向かいに座っていたのは私とほぼ同じ年の女性でした。私がもともと座っていた椅子に丁度座ろうとしていました。私は手すりにつかまって、その女性のそばに立ちました。

 女性は「座ってください、どうぞ座ってください!」と言いました。私は「どうぞ座ってください、大丈夫ですから、私はすぐおりますから」と言うと、女性は申し訳なさそうに「椎間板ヘルニアで、腰が痛いんです」と言われ、「同じですね、私も以前はそうでしたよ」。女性は驚いて大きく目を見開き「どうやってよくなったのですか?」と尋ねられ、私は女性に「法輪功を修煉して良くなったんです」と伝えました。そして、法輪功の真相を伝えました。女性は小声で「私も煉功したことがあります」。私が「どうして煉功をやめたのですか?」と尋ねると、女性は「煉功させてもらえなかったのです」。この時、私は興奮して「師父はあなたを見放されておらず、やはりあなたを見守ってくださっていますよ」と伝えました。女性は「本当にそうですか?」。「本当ですよ」。私はさらに法輪功の真相を伝え続けました。バス停に着き、降りなければならないのに降りず、私は「あなたにお会いできました。きっとこれは師父の計らいです」。女性は感動し私の手をしっかりと引っ張り、私の手を放しませんでした。私はこの女性についてバスを降りました。まるで氷と雪の世界の中で、私達はたくさん法輪功のことを話しました。

 なんと、女性は法輪功を3年修煉し、迫害されるのを恐れて書類を交わし、佛教を信じました。女性が煉功場の同修の名前を言われると、私はみんな知っていました。よかったことは、本当に久しぶりに再会したような感覚でした。女性が私を家に呼びたがったので、私は女性の家に行きました。家に入るなり、女性は矢も盾もたまらない様子で、何年も煉功していないので煉功動作を忘れてしまい、最初から煉功を教えてほしいと言われました。その後、私は何回も市場へ行き100元余りを使って、女性のために音質の良いMP3プレーヤーを買いました。私はしょっちゅう師父の経文と「明慧週刊」を女性に送りました。女性は嬉しそうに薬を飲まなくなったことや、腰もよくなったと私に伝えました。女性の父親は90歳代で、命のある間に、修煉を始めました。女性の父親は師父の講義録を聞くのが特に好きで、極めて細かい作業もでき、解(ほど)けてしまった大法書籍を縫い合わせていました。

 10年前ある同修が不当に連行されて、弁護士を頼む必要があり、そこで、私の退職金は多くはなかったのですが、最初に3万元を送りました。この時、同修のことは自分のことだと思いました。同修は解放されて家に戻った後に、このことを知って感動し、数年後にお金を私に返済しました。同修は「自分が作った損失を、自分に代わって同修に返させるわけにはいきません」と言ってくれ、それを聞いて私も感動しました。

 ある同修は何年も「消業」の関におり、私の家にやって来たので、親切に宿と食事を提供しました。ある時、その同修の名前は果さん(女性)といい果さんの娘が電話で「母は高血圧を患っていて、薬を飲んでいません。あなたの家に何日か住んでいますが大丈夫ですか?」と聞かれ、私はすぐに「大丈夫です」と答えました。私は果さんの娘の法輪功を選んだ正しい選択に喜びました。果さんの娘は自分の母親を病院に送らず、私の家に送って来ました。私たちは一緒に学法して一緒に内に向けて探し、一緒に法輪功の真相を伝えました。師父のご加護の下で、果さんの体は1週間後に正常に戻りました。

 二、同修を助けることも、また自分を修めることである

 新年や祭日のたびに私はコメや小麦粉、果物や服を買い、お金を持って不当に連行された私の知っている同修の家族を見舞いました。大法弟子が一つの全体であることが家族にもわかりました。それぞれがこのような邪悪な環境の中で生活していますが、私達はみな心の中で他人のことを考えている人であり、他人のことを先に考えます。身内の人に暖かさを感じてもらいたいからです。

 昨年(2017年)旧正月を祝う前に、家から数十キロも離れた同修の家に行きました。同修は中国共産党に何年もの間、不当な懲役刑を科されて未だに刑務所にいます。母親は十数年前にこの世を去り、妻は生活のために忙しくしていました。家には82歳の年老いた父親がいるだけでした。

 同修の父親はもともと体面を気にする教授でしたが、私が会った時、同修の父親は意識がもうろうとしており、着物の形に作った掛け布団は十数年前のままのもので、上前はすでに破れてボロボロになっているのに、まだ着ていました。家の中は物でめちゃくちゃで、以前は清潔できれいに片付いている家でしたが、その様子はすでに跡形もなく消え去っていました。

 聞いてみてわかったのですが、同修の父親は健康食品を買ってペテンにひっかかり、家の中には果物を買うお金もありませんでした。私は同修の父親に「今後は必ず『法輪大法はすばらしい、真・善・忍はすばらしい』といつも念じ、常に念じれば一生平和で幸せに暮らせます」と諭しました。同修の父親は食事がまだだったので、食事を何か作ってあげようと思いました。しかし冷蔵庫を開けると、異臭が鼻を突きました。見てみると、数年間そのままのようでした。私は簡単な食事を作り、それから冷蔵庫をきれいにし始めました。汚い水がどんどん洗い出されるのを見て、同修の父親は恐縮に感じ、何度も「ありがとう!」と言いました。私は涙を流しながら「来るのが遅すぎました、本当にすみません」と詫びました。

 2時間近くかけて、かたづけ終わりました。私はすぐに市場へ行って同修の父親のために服を買おうと思いました。しかしその後、人心が湧き出てきました。「同修の奥さんがいるはずで、私が買ってしまい奥さんが意見してしまったら、どうすればいいのか?」と考えました。私は同修の奥さんを探し、来意を告げました。「私は修煉者で、家の中をきれいに片付けたい、でなければ、正月なので他の人がどう思うでしょうか。私達は大法に悪い影響を与えるわけにはいかないのです」と言って、長い時間交流しました。私は同修の奥さんに正月前に帰って、家を片付けてくれるように約束しました。同修の奥さんは喜んで同意し、さらに「すみませんが私は時間がないので、服を買ってきていただくと助かります」と頼まれました。

 服を買うことは簡単なことのように見えますが、服を買うまでに多くの人心とよくない物質が、さらけ出されました。服を買い終わるととても満足し、藍格子の綿入れの部屋着で品質も良く、値段は200元近くしました。服を送ろうとした時「私が服を送り、それを同修の父親の親族が知り、どういうことなのかと思われたらどうすればいいのか?」と思いました。同修の父親の家と数十年の付き合いがあり、まるで娘のような存在の同修の家に私は行きました。その同修は恐ろしい顔つきで、厳しい調子で「私は行きませんよ、自分で行ってくださいね」。そして同修は「部屋着は私が買ったものではないからです」と断りました。私は「あなたが買ったことにすればいいではないですか」と言うと、同修は「そんなことはできません」と、受け入れてもらえませんでした。

 帰宅の路上でいやな気持ちになり、「あなたが同修の父親の家に行ってくれないのはさておいて、やってほしいこともやってくれないなんて」と思いました。師父は「問題があったときに内に向けて探すことは、大法弟子と常人との根本的な違いなのです」[2] と説かれました。家に帰った後、私は心を静めて内に向けて探しました。私が行なったのは何だろうか、修煉だろうか? 最初の念こそ清浄でしたが、その後、多くのよごれた人心が湧き出てきました。人はもちろん嘘をつくことは出来ません。同修が拒絶したのは、私を修煉させるためでした。私は数十年の間、常人社会の染め物がめの中にいて、常人の習慣に基づく思惟方式を形成していました。良いことをしようとする時でさえ、他人が良くない方面から考えることを恐れていました。今回私は「表面上は恐れる心で、実際は自分はまだ色欲の心を修めて取り除いていない」ということを見つけました。さらに私は仕事に対する執着や闘争心、嫉妬心や他人より上でありたい心など多くの人心を見つけました。良くない物質が解体されて心が軽くなりました。清らかな心を抱きながら、自分で服を同修の父親の家に届けようと決心しました。思考が法の基準に符合した時、師父の按排で娘と一緒に行くことになりました。娘の方から私に「お母さん、あたしも行くよ、昨年もお母さんと一緒におじさんに200元を届けに行かなかったっけ?」と言ってきました。

 新しい服を着た時、同修の父親は感動して服を触り続け、涙を流して喜びました。「ありがとう!」と心から何度も言いました。私は「当然のことをしたまでですよ。師父が私にこのようにさせたのです」

 姉が病気になり、正月2日目には南方の親せきの家に行かねばならず、家の中でやるべきことは確かに多かったのです。私は「我が家の中の仕事はしなくても、どんなに忙しくても同修の家はきちんと片付けよう、決して大法に悪印象を与えてはならない」と思いました。数日後、同修の妻(同修)と一緒に同修の父親の家をきれいに片付けました。まだやり足りない感じがしましたが、同修の妻は「おばさん、今日のあと片づけにまだ満足しておらず、もっと片づけたくなりました。これからは私一人で片づけますから、もう来なくて大丈夫よ」と嬉しそうに言いました。

 私は再び市場へ行ってきれいなマットを買いました。同修の父親のきれいに片付いた部屋を見て、心がとても広くなりました。

 長年の修煉で私は「大法弟子は誰もが協調人で、何をやるべきで、何をしないでおくべきかを誰かが教えてくれなくても、法そのものを師としてさえいれば、法に則って悟るのだ」と体験して会得しました。修煉のことや、法を実証し人を救うことでありさえすれば、私は後へは引かずにどんどん行ないます。

 私は何度も同修のパソコンを背負って、数十キロの離れた同修のためにバスに乗り、同修にOSのインストールを頼み、雨が降ろうが風が吹こうが、大雪が降りしきろうが、すぐに同修に必要なものを送り、いくつかのことについて協調を行ないました。その過程で、私はまるで喜んでいる春の燕のように喜び、苦しいとは思わず、ただ、ただ師父への感謝の気持ちが沸き上がり、全身にいくら使っても使いきれない力がみなぎりました。同修が感謝した時はいつも、私は「感謝はいりませんよ。これは当然のことですから」と心の底から言いました。私が行なうことは、私自身に行なうことであり、自分の修煉の道を歩む中で、他の人のために行なうことと何も違いがありません。

 子供達が私の70歳の誕生日を祝った時、私は「大事な訂正があります」と言いました。みんなは「何の訂正ですか?」と急いで尋ねました。私は「今日は私の70歳の誕生日ではなく、17歳の誕生日です」と言いました。みんなが手をたたいて笑い、私は続けて「今、私は17歳の時より体がよくなりました。15歳の時に傷寒病で体が弱くなり・・・」と言うと、子供はみな「お母さんは私達より強いし、歩むのも私より早い」と言ってくれました。

 そうです、大法は私を真人間に生まれ変わらせてくださいました。師父の慈悲深い済度で、大法が私の生命を再生してくださったことや、私の家族に温もりを与えてくださったことを思い起こすたびに、私は感動を抑えきれませんでした。ご恩を感じて熱いい涙がこらえきれずに流れました。今後は師父が延長してくださった生命をさらに大切にし、師父が延長してくださった法を実証し、人を救う貴重な時間をさらに大切にし、修煉の道でさらに精進しなければなりません!!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法六』「アジア太平洋地区学習者会議での説法」
 [2] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「大法山東輔導站へ」

 (明慧ネット第15回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/11/12/376533.html)
 
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