文/内モンゴルの大法弟子
【明慧日本2018年4月9日】
慈悲で偉大なる師父、こんにちは。
同修の皆さん、こんにちは。
私は新入門した青年弟子で、新入門した後、身心ともどもに大きな変化が起き、心の中は師父と大法に対する感謝の気持ちでいっぱいです。
迷い
私は2014年に幸運にも法を得ました。学法する前、私は常人社会の染め物がめにひどく汚染されていました。家庭条件が良く、父親が甘やかしたので、私はお金をパッパと使ってしまうようになり、言うことが口汚くなり、タバコを吸ったりする陋習(ろうしゅう・悪い習慣)もありました。家庭を持った後も夫と1日中ケンカをし、生活費をねだりに夫に実家に行かせ、舅や姑のお金を使いながら陰で舅や姑を罵り、毎日悪友たちと一緒に飲み食いし、5年で100万元以上ものお金を湯水のように使いました。
夫は私のプレッシャーの下で苦しみながら生活し、ケンカした後はさらに灰皿をもって自分の頭を傷つけ、私の心もいつも虚(うつ・気力や生気を失い、ぼんやりしているさま)ろで、このような生活にどのような意義があるのかわかりませんでした。そして、私が最も受け入れがたいことは、夫と結婚してから5年たってもまだ妊娠しないことでした。舅や姑は私と夫を北京の病院に診察に行かせましたが、検査結果は正常でした。それなのに子供はできず、時には他人の家の子供が遊びに来ると我慢できずに泣きたくなり、自分の一生に子供はいないのだ、と感じました。夜にはいやな夢を見て、さらに自分が死んだ後の悲惨な光景をいつも夢に見て、驚いて目を覚ましました。その後は周りにいる人や物に頼りましたが、まるで助けを求めてワラをつかんでいるかのようで、虚しいものでした。そして、私はよどみない浮世の中に迷い込んでしまいました。
法輪大法は私に二度目の命を下さる
私の魂は人生を歩めば歩むほど遠くなってしまうように感じ、すでに後に戻れなくなってしまい、自分が行ったすべてにおいて、人生の幸せを消耗してしまったことを知りました。しかし、大法の門に入り修煉する機縁を持つことができるとは夢にも思わず、師父と大法は私に二度目の命を下さったのです。
私は母親を通して、法輪大法に触れました。
法を勉強した後、私の心身は大きく変化が生じ、二度と悪友と一緒に過ごさなくなり、家族に対する態度もおとなしくなりましたが、夫はそれを見ても信じず「装っているのだ、何日ももたない」と私に言いました。しかし、私は夫と論争せず、引き続き法の基準で自分に要求しました。法を勉強した後、私は心から舅や姑に申し訳ないと感じたので行動で補いました。私は早起きして舅姑に食事を作り、定期的に舅や姑の家に行って部屋を片づけるようになりました。はじめて舅や姑の家に行き清掃をした時、姑はショックを受けながらも私を抱きしめ「あなたに本当に感動しましたよ!」と言われ、夫が出かけてテレビゲーム機で遊んでいる間、私は家で『轉法輪』の本を読み、煉功し、以前のように夫と言い争わなくなりました。
法輪大法に入門した後はめったに出かけなくなったので、毎日の出費も大幅に減少しました。ある時、夫が「実家に行って、車を買い替えるためにお金をもらいに行きたい」と言うので、「買い替えなくてもいいわ、お父さん、お母さんのお金は大風が吹くようにドンドン出てくるわけではないから、雨、風が防げればそれで充分よ」。それを聞いた夫は心の底から認めてくれ「おまえは確かに変わったなあ」と言いました。
以前、私はおばに対しても考えもせず何でも口に出していたので、あるパーティーの時、私は自分の過ちを認め、おばに「おばさん、私は大法を学んではじめて以前の私がわがままであなたの気持ちを考慮したこともなく、言いたいことを何でも言っていたことに気づきました。幸いにもおばさんは度量が広く、私と同じようにしなかったので、今日、この機会を借りておばさんに謝罪します、申しわけありませんでした!」と謝りました。その時、私の話を聞き終わるとおばは数秒間停滞したまま、ゆっくりと目が潤んできて、おばは私が心から謝ったことに感動して、それから以後、私たちは実の姉妹のようになりました。
もっと不思議だったのは、私が法を学んでから8カ月後、突然妊娠したことがわかり、この知らせを知って家族全員が大きな喜びに包まれました。この転変と素晴らしさは師父と大法が授けてくださったものだ、ということを私は知りました。私は毎日外で太陽を見て、心の中で感謝すると同時に、すべてが修煉した後の喜びでいっぱいでした! 「私はとても幸運で、幸せで~す!」と全世界の人に伝えたいとさえ思いました。そして、私の変化を見た夫は、大法を学ぶことをいっそう支持し、その後、嬉しいことに、夫も一緒に修煉の道を歩むことになりました。
師父のご恩とご加護のおかげで、窮地を突破する
妊娠後、私は一定期間怠けてしまい、なぜなら悪阻(おそ・つわり)のためにいつも吐いていて、全身がだるく道も歩けなかったからです。子供を産んだ後は毎日子どもの世話をしていたので、さらに轉法輪の本を読む時間がなくなり、たとえ時間が割(さ)けたとしてもどうしても本を手に取れませんでした。当時は非常に苦悩し、心の中で怖くなり、頼るものもなかったので、修煉における初心の感覚を探し出したいと思いました。また、さらに恥ずかしさのために、師父の写真と相対することができなくなりました。そこである時、私は夫に「こんなにも精進していない私に、師父はまだ関わってくださるでしょうか?」と聞きました。すると、まだ修煉していなかった夫が「師父の慈悲を見くびってはいけません」。その夫の言葉を聞いて私は驚き、まだ入門していない常人がこのように悟れるのに、私にはそのような正念もありませんでした。そこで香を捧げた時に何もしゃべらず心の中で「師父、弟子は必ず精進します、必ず精進します!」と詫びました。
ある日、新聞に女性を招聘(しょうへい・人を丁重な態度で招くこと)する知らせを掲載すると、たくさんの人が電話してきましたが、最終的にすべて断りました。そして最後にある女性が訪ねて来て招請に応じました。その女性は良い人に思えたので、そのまま雇用することにしました。次の日、女性が出勤して来て、部屋を片付け終わった後、自発的に私に「私たちは同じ法門を学んでいるのかもしれませんね」。というのも、女性が部屋を掃除した時に仏間を拭いていると師父の写真が目に入ったからです。私は驚いて「何を学んでいるのですか?」と尋ねました。すると女性は「法輪功です」。その三文字を聞いて私は驚き、そして、これは慈悲で偉大なる師父が、私の窮地を突破するために同修を按排してくださったのだ、とすぐに気づきました。師父に感謝いたします! 弟子は意気地がないのに、師父はまだ私を見捨てず、ずっと私を見守っていてくださいました。
このようにして、私たちは毎日食事が終わると学法を始めました。また時間を割いて師父の各地での説法を読み、子供が昼寝している時間を利用して煉功しました。ついに修煉の上でネックになっていた点を突破し、毎日家で子どもの世話をしていても、『轉法輪』の本を読むための多くの時間を割くことができるようになりました。その後、同修は私にグループ学法に参加するように提案し、さらに「これは師父が残してくださった学法の形式です」と言いました。そこで、私は同修の提案を受け入れ、グループ学法に入りました。こうしてすぐに、単独で家で学法する環境とは大きく様子が異なっていると感じました。グループの中での学法は真剣に行っているので1時間の座禅も足の痛みを感じません。みんな法の勉強の中で全体が向上しており、この時私は初めて集団学法の重要性に気づきました。私は何よりも集団学法を大切にし、ご恩を大切にします、ありがとうございます、師父! ありがとうございます、師父!
内に向けて探し、情の難関を抜け出す
私は精進してからすぐに心性の試練に遭いました。修煉を始めたばかりの夫に業を滅する状態が現れ、全身に赤い腫物ができ、言葉で表現できない辛さにさいなまれました。その後、息子にも同じ状態が現れ、毎日夜半にかゆくて目が覚め、泣き止みませんでした。そこで、息子に薬を塗りましたが効き目がなく、丸2カ月の間ほとんど一晩中ぐっすり寝たことがなく、精神状態が悪くなり、心身ともに疲れ果てて正念を失いました。自分自身全体が情の中にどっぷり漬かり、子供の体のできものを見ては心を痛め、ただただ早く治ってほしいと思いわずらい、集団学法も途切れがちになりました。
ある日の夜中また子供に泣かれて目が覚め、子供を抱いて師父の写真の前に行き、子供が良くなるように跪いて師父にお願いしましたが、子供は痒くて泣き止みませんでした。「これは私が越えなければならない関なのに、師父がどうして取り除いてくださるだろうか?」とわかりました。しかし「師父はどうして私を気にしてくださらないのだろうか?」という別の恐ろしい考えが頭の中に現れました。そして、私は知らぬ間に、天のように高く地のように厚く、師父に不満を漏らしていました。次の日、私が同修に最近の修煉状態について話すとみんなが意見をああだこうだと言いました。同修のAさんは「問題はあなたにあり、子供に対する情が重すぎます」。また同修のBさんは「旦那さんが真相がわからないのは、あなたがしっかり行わないからです」。さらに同修のCさんは「あなたの最近のお母さんに対する行動はよくありません」。そして同修のDさんは「師父を恨んではいけませんよ! 師父は私たちのために多くのことをなさっておられるのですから、あなたのような考え方は罪を作りますよ!」
突然あらゆる批難が私に襲い掛かってきて心がつらくなり、メンツを重んじる心や自尊心、人にあれこれと言われたくない心や、不満を訴える心が取り除かれていないために耐えられず、誰の意見も受け入れられず、早々にその場を立ち去りました。そして、帰り道で夫に愚痴をこぼして「彼らの言っていることは、みんな間違っている」と言いました。当時の私の状況や辛さを誰も全くわかっていない、と思いました。
夜、私たちは一緒に学法し「私は按排してあげたので、あなたを守り、加持し、各次元で功の昇華を演化してあげますが、心を修めるとき、やはり自分自身にかかっています。この心が難や関に遭ったとき、我慢できるかどうか、乗り越えられるかどうかは、完全に自分自身にかかっています。もちろん、どうしても乗り越えられないとき、あなたに悟らせるようにしますが、最も厄介なのはあなたの考えが極端に走り、悟らず、いくら悟らせようとしても悟らないことで、それならとても難しくなります。皆さんに教えますが、関を乗り越えられないとき、耳障りなことを聞いたとき、それは本当に私の法身が耳障りな話であなたを刺激し、あなたに教えているのです。関を乗り越えることはとても難しいのですが、乗り越えてから振り返ると、その関は実は何事でもなかったのですが、当時はなぜかどうしても執着してしまいました。本当に乗り越えてきたら、心性も高まり、業を滅することもできます。必ずこのようになります」[1]という師父が説かれた法を夫が読んでくれました。
この法を聞いた時ハンマーで強くたたかれたかのように感じ、その瞬間、同修が私に話してくれた話がすべて正しかったのだと悟りました。私の息子に対する情は確かに重いものでした、この数日間、確かに母親に対してすぐに怒っていました。夫はずっと共産党にだまされて真相がわかっていませんでした。師父が同修の口を借りて私を向上させようとなさったのに、私が一向に悟らないのをご覧になり、法を用いて私を悟らせようとなさいました。しかし人心がまだ取り除かれていないために、師父を非難する思想業を生み出してしまったなんて、本当にあり得ないことでした! その瞬間、後悔で心がとがめ、師父の写真を見ながらガクンと床に跪き「師父、私は間違っていました、間違っていました、間違っていました・・・」と声を上げずに泣きました。
その晩、かゆくてまた子供が目を覚ましましたが、私は落ち着いて対応し、正念を発して子供を利用して私を妨害している黒い手と卑しい鬼を取り除きました。そして翌日の夜、子供は目を覚ますことなく、数日しないうちによくなりました。
今回のことを経験して私は一皮むけたように感じ、今回の関はどうしてこんなにも引きずらなければ乗り越えられなかったのかを思い返しました。それは子供に問題が現れた時に、すぐに正念を発しなかったからであり、自分の修煉に現れた漏れを内に向けて探さなかったからです。また、人の方法を用いて治療しようとしたからでした。正念が不足していたために旧勢力が強めた思想業をすぐに排除することができず、なんと、思想業が自分の考えであると思い込みました。もし同修たちのハンマーによる打撃を受けても、なおも悟らなかったなら、師父に不敬を働くという大きな間違いを犯していました。今回の試練もどれだけ遅れたかわからず、その結果は想像もできない恐ろしいものでした。
これは重大な教訓と損失であり、修煉者は必ずいつでも、内に向けて探さなければならないことがわかりました。
もう一つの試練は母親に関係していました。修煉前、私と母親の感情はずっと悪いままで、私が子供の時に母親がちゃんと世話してくれなかったことをずっと恨みました。記憶に残っているのは、あらゆる面で母親が私を罵り、私をぶったことだけです。そのため小さい頃から、母親とは親子の関係を断とうと思っており、私と母親は悪縁で結ばれていると思っていました。修煉して法理がわかり、内に向けて探した後「私がわがままで欲しいものがとても多く、いつも母親の欠点を人の長所と比べ、それによって母親の努力を無視し、自分の悲しみを大きくしていた」ということがわかりました。母親の優位性を見るといつも自分のわがままで狡猾な一面が憤慨していたのですが、これらの不正な状態は私自身に存在した問題ではなかったのでしょうか? 私はずっと自分の中で生活しており「学校の先生と戦い、両親と戦う」という党文化の変態心理があり、五千年の伝統文化の中で言われているのは皆「百善のうち孝を第一とする」であるのに、私は親孝行でさえまともにできないのに「合格した修煉者になる」などと何を以って語ることができるのでしょうか! 私は「母親への恨み事はもう何も言わず、放下しなければならない」と自省しました。
ある日の夜、夢の中で私は母親ときびだんごを食べており、母親はきびだんごを二つ食べたのに、他の人には「私は食べていません」と言いました。そこで私は「食べていたのに、どうして食べていないと言ったの?」と尋ねました。そこで、私が母親と言い合いを始めると母親は「あなたは自分が間違っていると言えないのですか?」と言われ、突然、私は自分が「母親への恨みを放下しなければならない」と言ったのを思い出し、母親に頭を下げて過ちを認めました。
翌日、このことを同修と交流すると同修は「夢の中の『きびだんご』はあなたにまだ『闘争心』があることを示しており、母親への恨みがまだきれいに放下されていないのだ」と言いました。そして同修は「師父が私たちのために、どれほど多くのことをなさっているのかを考えれば、いったい何がまだ放下できないというのですか?」。そうです、私はいつまで執着し続けなければならないのでしょうか? 今ある心を放下する以上、根元から掘り下げ、執着を見つけ出さなければなりません。そして、私は心の中で師父に「私は必ず越えなければならず、執着は絶対にいりません」と申し上げました。
夜になって夢を見て、あごの下に大きなできものができており、軽く触ると黒くて汚い物質が出てきました。それから黒ずみのような物質が出てきたので、多くの情に含まれている負の要因が取り除かれたのだ、とわかりました。私が難関を越えるのを手伝ってくださり、師父に感謝申し上げます、同修の皆さん、ありがとうございました。
衆生は杯を挙げて、大法を讃えた
法を学んで私は次第に真相を伝えることの重要性がわかってきたので、子供を連れてタクシーに乗る時、いつも運転手に真相を伝え、買い物に行けば店員に真相を伝えました。ある時、家に帰ったとたん夫が、私には威徳があると言ったので、不思議に感じて「どうしてそのようなことを言うの」と尋ねると、夫がタクシーに乗った時に運転手に真相を伝え「運転手さん『三退』すれば平安が保たれる、と聞いたことがありますか?」と言ったそうです。すると、運転手が夫と子供の方を振り向いて「ああ、あなたの奥さんから聞きましたよ。奥さんは以前気性が荒く、何かというとすぐに怒り出していたが、大法を学んでからすべて変わったんでしょう? あなた達は結婚してから5年たっても子供ができなかったのに、大法を学んでから奥さんは妊娠したんでしょう?」。そこで夫は何度もうなずいたそうです。
運転手は夫が抱いていた子供を覚えていたので、このように言ったのです。そして運転手は「大法を学ぶことは本当に素晴らしい、もうすでに三退しました」と言ったそうです。私は夫のこの話を聞いて感動し、真相が伝え広まっていることを知りました。
またある時、母親が家に来て「さっきタクシーの運転手さんに真相を伝えたら、運転手さんはもう三退したそうで、なんでも、子供を抱いた女性が運転手さんに真相を伝えたそうよ。その女性はとてもきれいで、話がとてもうまかったそうよ」。そして母親は「運転手さんのこの話を聞いて、すぐにあなただとわかりましたよ」。これを聞き私は嬉しくなりました。衆生はみな本当に真相がわかり、同時に、これは師父が同修の口を借りて、弟子を励まし加持してくださっているのだ、と気づき、真相を伝えることの自信が一層強くなりました。
私が修煉を始め、修煉を続けていくにしたがって、親せきや友人たちは私の変化を目にして、大法を認めるようになりました。
ある時、叔父が地方にアルバイトに行った時に検査で胃がんが見つかり、戻ってから地元で再検査しようとしました。当時、叔父の家族は非常に心配し、毎日涙に暮れていました。そこで私が叔父の家族に「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!」と心から念じるように伝えると、すぐに病状が好転しました。そこで家族はみな私の言ったとおりに行い、家族全員が「法輪大法は素晴らしい!」と心から念じました。その後、再検査すると、医者は「炎症なので、点滴をして炎症が収まれば大丈夫です」。このことで叔父の一家は大法の素晴らしささを目にしました。そして、母親が叔父にMP3を渡し、師父の説法を聞かせました。叔父は毎日熱心に聞いていたので、みんなで食事をした時、私は再び真相を伝え続け、叔父一家は認識を深めました。食事の席で、叔父が「このテーブルで最も変化が大きかったのが私で、以前と比べるとまるで別人のようだ」と褒め、評価してくれました。そこで私は皆に「私自身に起こった変化はすべて法輪大法によるもので、何ごとも人の心を変えることはできませんが、本当に佛法を修煉すれば、私のように人までも良い人に変えることができます」と伝えました。
すると、兄嫁の父親が立ち上がり「さあ、みんなで一緒に杯を挙げよう、法輪大法は素晴らしい! 乾杯!」。兄嫁の父親が立ち上がった後、みんなが盃を挙げて大法を称賛している家族を見た瞬間、嬉しさのあまり感動で、熱い涙がこぼれ落ちました。
これらの衆生が真相を理解できるように、加持してくださった師父に感謝申し上げます。
恥ずかしいことに、筆をおいた今日という日まで、自分には修煉して取り除いていない多くの人心がまだまだあるということです。しかし、学法と修煉を通じて必ずそれらを修煉して取り除き、必ずさらにしっかり行うことができる、と私は信じています。法を正す勢いの中で、私たちはただ精進さえすれば他のものは一切いらず、自分をしっかり修めて初めて、師が法を正すことをお手伝いすることができ、さらに多くの人を救って初めて史前の大願を成し遂げることができるのです。
青年弟子の悟りが浅いので、同修の皆さんのご指摘をお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『各地での説法一』「米国での第一回説法」
(明慧ネット第14回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)