文/中国の大法弟子
【明慧日本2017年11月1日】私はもともと横暴で、我がまま、自己主張の強い人でした。2006年に幸運にも法輪大法の修煉を始めてから、私はとても大きく変わりました。
不当な扱いに冷静に対処する
私は幼稚園のクラスの担任教師です。一度、こんなことがありました。園児が帰る時、文ちゃんのママが私の目の前に来て、かんかんになって怒り、「うちの子の顔を見て下さい。こんなに傷だらけになって」と言いました。園長がすぐやって来て「お子さんは朝来た時、すでに顔に傷を負っていましたよ」と説明しました。毎朝、園長は正門で園児の登園を迎えているからです。しかし、文ちゃんのママはますます腹を立てて「お宅の幼稚園は本当に無責任ですね。幼稚園でこんなに傷だらけになったのに……」と言いました。
その時、私は師父の法「問題が現れたならば、責任を追及するのではなく、自分がどのように行なったかを見るべきです」(『精進要旨』「糾正」)を思い出し、そこで、心を落ち着かせ、文ちゃんのママに「申し訳ありません。私は確かに十分に責任を果たしていませんでした。怒らないで下さい。これからきっとしっかりやりますので」と謝りました。こうして、トラブルはやっとおさまりました。
園長はとても感激して「こんなに対応できるのはあなただけですよ」と褒めてくれました。私は笑いながら「大法弟子でしたら、誰でもこのように対処するでしょう」と言いました。翌日、文ちゃんのママはとても恥ずかしそうに私に謝り「家に帰ってから分かったのですが、お婆ちゃんが文ちゃんの面倒をみていた時、文ちゃんは顔をお友達に引っ掻かれて傷付けられたそうです。幼稚園の先生と関係がないことが分かりました」と言いました。私は「かまいませんよ。気にしないでください」と文ちゃんのママを慰め、そして、大法の真相を伝えました。
利益を前にして 心動ぜず
「劉先生、お給料はいくら上がりましたか?」と同僚の李さんに聞かれました。
「あなたの給料は上がりましたか? 私の給料は前のままですが」と、私は答えました。
「そんなことはあり得ないでしょう。あなたは一番仕事がよくできていますから」
私は胸がどきっとしました。「園長はどうして給料を上げてくれないのだろうか? 大法を修煉してから、私はコツコツと働き、親たちからも一番評価されている。給料を上げない理由はどこにもないはずだ」と思いました。「しかし、真の向上は放棄することであって、得ることではありません」[1]を思い出して、「まあ、どうでもいいだろう。上げてくれなかったのは、きっと園長にはそれなりの考えがあったに違いない。私はこの利益に対する心を放下しなければならないのだ」と思いました。
学期末、私は園長から1千元のボーナスをいただきました。私は師父の法「修煉者は自然に任せることを重んじるべきです。自分のものなら、無くなることはないし、自分のものでなければ無理に争っても得られません」[2]を思い出しました。
大法を修煉して、私が最も感銘を受けたのは「大法の修煉は素晴らしく、師父がいらっしゃって本当に幸せだ!」ということです。真・善・忍により浄化され、悩みや悲しみも解消し、師父の慈悲なるご加護の下、私は平穏に三つのことを行っています。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『各地での説法二』「二〇〇二年米国フィラデルフィア法会での説法」
[2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』