文╱中国大陸の大法弟子
【明慧日本2017年8月27日】私は幼稚園の教師です。38歳の時に幼稚園の教師になってから、すでに7年間働きました。
若い頃は、銀行で仕事をしていました。当時、中国共産党が法輪功を迫害し、職場では私が修煉していることを知られ、毎回敏感日になると、私は必ず妨害されました。仕事と大法のどちらかを選択するならば、私は当然大法修煉を選択するので、その後、職場ではリストラが行われ、私は自ら辞職を申し出て、10年間働いた銀行を離れました。
家でしばらく専業主婦をしました。その間、アルバイトをして、会社の経理や保険外交員を試みましたが、いずれも3カ月以上続きませんでした。同修の夫から、「他にやれる仕事はないのか」と聞かれ、私も「自分はいったい何をしたいのか、何に向いているか?」と真剣に考えました。あっと言う間に2010年になり、私は38歳になりました。しばらく考えた結果、やはり子供と一緒にいたい、なぜなら、娘をもうけてから、自分がやっと大人に成長し、特に心理的、精神的に大人になったような感じがしたからです。その後、母親の友人の紹介で、私は今の幼稚園に来て、英語の教師になりました。 よく「業界が違えば事情は全くわからない」と言いますが、幸いなことに、私には育児の経験があって、それに、大法から智慧と能力をいただき、次第に今の仕事に適応するようになりました。
当時、年少クラスを担当しました。幼稚園では年少クラスは最も疲れるクラスで、子供がまだ小さいため、親から離れると泣いたり、暴れたりして、身の周りも自分で処理出来ず、話も十分理解してくれないし、また、一部の子供はまったくしつけが出来ていません。最初にこの仕事をした時、私は子供達にとにかく優しく接しましたが、その後、優しさだけではだめだと分かりました。一回、昼寝をした時、1人の子供が水を飲みたいと言って、冷たいやら、熱いやら、コップ半分やら、一口やら、私は4、5回繰り返して水を入れてあげました。じっと考えて見れば、このような無茶な優しさも正しくないと思い、その後、子供の教育に於いては方法を変えるように努力しました。
ある日、入園したばかりの女の子は鼻をかんだテッシュを地面にポイと捨てました。私はこの子に拾わせようとしましたが、彼女は大泣きして、母親を探し始めました。あまりにも泣き過ぎたため、私はこの子を外に連れ出して「お母さんを探しに行こう」と言って慰めようとしました。しかし、泣かないことを条件として、「泣くなら、行かないよ、泣かなければ連れて行ってあげるからね」と言いました。子供は分かってくれたようで、泣くのを止めました。しかし、外に連れて行こうとすると、女の子はまた泣き出し、私は彼女を連れ戻し、泣かなければ、外に連れて行って、こうして数回繰り返しました。その結果、女の子はこのルールを理解してくれました。次第に、彼女は静かになって来ました。私は彼女を連れて外でしばらく遊んでから、教室に戻ってきて、そして、先程ポイと捨てられたテッシュの前に来て、彼女に「鼻をかんだテッシュはゴミ箱に捨てなければならないよ。さあ、一緒に拾って捨てよう」と優しく言いました。子供はとても素直に紙を拾って、ゴミ箱に入れました。
毎回授業をする時、私は教え方を工夫して、授業が終わると、どこを改善すべきかを考えるようにしました。一回、子供たちに指遊びの歌を教えた時、教材の中では小指を使って歌を歌うと書かれていましたが、しかし、子供は小さすぎて、五本の指は協調出来ないため、私は人差し指に変えて教えました。いつも子供達が一番遊びたい方法を工夫して教えました。一学期が終わって、私の教え方は親たちからとても評価され、園長先生も会議で「年少の英語授業は一番良かった」と褒めてくれました。
大法修煉者として、家ではいい妻に、外では良い職員にならなければなりません。すべての側面において完璧にこなさなければならないからです。
師父は私達に、「言い換えれば、どの領域にいても、あなたの技能が向上できれば、それは自分の境地を高めたあとの現れです。見た目では、あなたは良い人を目指しており、心を修めています。人間の角度から言えば、あなたは良い人になり、法を勉強し、内に向けて修煉しているから、行ないがますます良くなり、そのため、神はあなたに備えるべき智慧とひらめきを与え、勉強の中で多くのことを分からせ、さらに良いものを創造させ、もっとレベルの高い技術を身につけさせ、飛躍があるようにします。皆さん考えてみてください。人類社会の中で、いかなる正当な職業においてもこうすることができるのではありませんか? 仕事中のすべてをしっかり行なうと同時に、自らを修めていれば、あなたは向上することができるのではありませんか?」[1]と説かれました。
私は最初の臨時教師からクラス担任教師になり、給料も1000元から2000元になって、その後、2年間の夏休みと冬休みを利用して、国際モンテッソーリ協会の教師資格を取り、その後、三つの幼稚園の教育総監督に任命され、給料も5000元まで上がりました。
この数年間、多くの子供に接触して、子供は本当に親を写す鏡だと強く感じました。両親が上品で礼儀正しければ、子供もとても礼儀正しくなり、両親が下品な言葉を連発するならば、子供も汚い言葉を吐くようになり、親が暴力的であれば、子供も人を殴ったりするのです。修煉者として、子供の問題を見ると、まず自分を反省して、自分達がうまく行っていないから子供がこうなったのではないかと思わなければなりません。
大法修煉者として、師父は私達に家ではいい妻、いい母親になるように求められています。子供の教育においては、最初の頃、私も何も分からず、ただ真善忍に基づいて、子供に対して嘘を言わない、約束したことをしっかり守るという教育法を取りました。どうしても約束が守れなかった場合、私は子供にその理由を説明して、許してもらうようにしました。優しい娘はいつも私達を理解してくれて、許してくれました。
娘は小さい時、バスに乗ると、よく席を譲ってくれる人がいて、娘も礼儀正しくお礼を言ました。このような場合、私は娘に「あなたに席を譲ってくれたのは、あなたはまだ小さいからですよ。あなたは大きくなると、小さい子供やおじいちゃんやおばあちゃんにも同じように席を譲るのですよ」と教えました。それを聞いた娘は物事をわきまえて頷きました。娘は大きくなると、自然に必要な人達に席を譲るようにしています。今、多くの子供はバスや地下鉄に乗ると「座りたい、座りたい」と騒ぎ、また家では、親や祖父母に甘やかされていて、そうした子供は社会人になった場合、本当に心配です。
師父は「子供をしつける時にも、ひどく怒り、かんかんになる人がいますが、しつけはそこまでしなくてもいいはずで、本気で怒ったりせず、理性的に教育して、はじめて本当に良い子供を育てることができます」 [2]と説かれています。
私達は子供を教育する時、常にこのように行わなければなりません。子供をしつけるのは子供の将来のためにやっているからです。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『ロサンゼルス市法会での説法』
[2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』