文/中国の大法弟子 蓮
【明慧日本2017年7月6日】私の娘が2016年2月22日の夜、不注意で家のドアをロックしてしまったため、私と娘は2人とも家に入れなくなってしまいました。私は娘に「あなたは何をやっているの? 何でドアをロックしたの? 外は寒いし、それに11時過ぎなのにどうすればいいの?」と文句を言いました。娘は「すでにこうなってしまったので、怒っても仕方がないでしょう? 解決方法を考えるべきでしょう」と言いました。
娘が鍵屋を探そうとした時、私はドアの前で怒りながら「鍵屋に頼んだらお金を払わないといけないでしょう」と言いました。私はお金への執着心が出てきて、結局娘が戻ってくると、娘は「鍵屋はもう閉店した」と言いました。
途方にくれているとき、近所の女の子が「おばさん、こっちにはしごがあるから使ってみませんか?」と私に言いました。少しの望みが現れ、私と娘は師父の慈悲のお守りだと思い、師父に感謝しました。
その子がはしごを持ってきて、はしごの先端部まで登っても窓との間にまだ1メートルほどの差がありました。もっと上に登ることは不可能でした。70年代の建物なので壁のセメントが一塊一塊と下に落下し、足の置き場がありません。私ははしごを支えながら娘に文句を言い、自分が修煉者だということを考えていませんでした。
その後、私がはしごを反対側の窓に持っていき、娘が登りました。その壁には電線を取り付けるための大きな釘が打ってありました。私は師父にお願いして、娘が釘を踏んで窓から部屋に入りました。心から師父に感謝いたします。もし大法を学んでいなければ娘はこのような勇気はなかったでしょう。娘は笑いながら「私の心性は向上しました」と言いました。
私は反省しました。何かが起こった時、他人に対して理解や抱擁するのではなく、他人の不足を見ているだけでした。党文化の中で数十年生活してきて、党文化の毒が自分の身体にとても深く染み込んでいます。怒りやすく、人と張り合う心態が暴露されました。私は年長者なのだから私が何でも決めるべき、これは旧勢力の特徴ではないでしょうか。家族や自分、子供も含めて、多くの悪い影響を与えました。もし、法輪大法を学んでいなければ、自分自身の多くの不足を認めることができなかったでしょう。無条件に内に向けて探せば、師父は「皆さんは、常人として百年千年来、骨の髄までしみ込むように形成された人間の理を変えなければ、人間としての表面の殻を取り除くことはできず、圓満成就できません。」[1]と説かれました。実のところ娘は私の修煉の道の鏡であり、私の多くの不足を照らしています。私は人心を放下し、娘に謝りました。
夫は、私が迫害を受けた3年半の間に、落ちこんでギャンブルにのめり込んでいました。創業のための11万元を全て使い果たしました。その上、数十万元の借金をしました。私は家に帰った後、彼に「一緒にアルバイトしましょう。改めて始めましょう」と言いました。夫は、「借金が多すぎるので、いくらアルバイトをしても死ぬまでに返済できない」と答えました。その後、やぶれかぶれになり、アルバイトもしませんでした。
私は仕方がなく、生活のために娘と出稼ぎをして返済をしています。疲れた時、恨みの心が出てきて、時々夫が電話をかけてきても娘に出るように言います。新年に家に帰っても、私と娘は学法や煉功・発正念をするだけです。夫が風邪を引いても私は無関心です。夫に家族の暖かさと大法の素晴らしさを感じさせたことがありません。
新年が終わって出発する時、夫は娘に「あなた達はもう帰ってこなくてもいい。このような家族は見たことがない」と言いました。私はこの話しを聞いて心のバランスが取れなくなり、何も言わずに家を出ました。
1カ月過ぎると夫は娘に電話をしてきて、「深センの同郷の人のところに出稼ぎに行く」と言いました。私は娘に「あなたのお父さんは、仕事にもちこたえられず、ご飯を食べるのでさえ困るでしょう」と言うと、娘は「お母さんの話は酷い」と答えました。娘の話を聞いて、私はすぐ自分の心の中で彼を恨んでいることに気付きました。しかも大変恨んでいました。よく考えてみると、大法弟子が迫害を受けている時、家族や親戚、友人も大きな圧力や苦痛に耐えています。彼らは迷いの中で希望が見えず目標もなく、本当の被害者です。大法弟子がいくら辛くても、心の中に法があり、師父の守りがあります。魔難の中で私たちは心性を向上させればその難を乗り越えられます。そして、それは以前他人から借りた業を返しているということなのです。
ここまで考えると、夫への恨みが消えて、真相を理解させて救うことだけが頭の中に残りました。私はアルバイトをやめて、自分の家に戻るように決めました。夫に出稼ぎに行くのを止めて、心を落ち着かせて地元でしっかり働くように勧めようと考えました。実は以前から夫に真相を伝えていましたが、見えない壁が隔てていると感じ、ずっと夫の心に届いていませんでした。内に向けて深く探せば、普段の修煉の中で自我を放下せず、彼の立場に立っていませんでした。真相を伝えても、後天的に形成した観念、私心、恨む心、闘争心、夫を見下すという心も持っていました。ですから、真相を伝えてもよい効果が得られませでした。家でトラブルがあった時、自分は常人と同じように心性をしっかり守っていませんでした。これを心性を向上する機会とみなさず、難が積もれば積もるほど、旧勢力が按排した道を歩んで、迫害を受けることになりました。大法に損失をもたらし、周りの親戚や友人にも大法を理解させず、救われなくなるところでした。
師父の洪大な慈悲によって弟子に改めて修煉する機会を与えました。真・善・忍の基準に基づいて自分の思想や行為を正します。師父は「平素から慈悲の心を保っていれば、問題が突然現われても、たいてい一息おいて考える余裕があります。心の中でいつも人とあれこれ争うことばかり考えているのであれば、問題が起きると、必ず相手と真っ向からやり合うに違いありません。」[2]と説かれました。大法の法理で自分の観念を取り除いて、家庭のバランスを取るようにします。
私はここに出稼ぎに来た時、地元から一人の同修を連れてきました。実はこの同修はまだ知り合ったばかりでした。他の地元の同修の家で出会って、彼女が仕事を探しているということを聞き、ここが仕事を探しやすかったので連れてきました。夜、地元の同修から電話が掛かってきて、「彼女の状態があまりよくない。いつも自己中心的で、他の意見を全然聞かずに修煉の環境にも入っていません。行動も理性的ではなく、マイナスの影響をもたらすかもしれません」と言われました。
その晩、私は彼女に今の状況を聞くと、彼女は何も言いませんでした。私の心はとても矛盾していました。帰らせるか、ここに残すかと悩んでいました。ここに残せば、ここの環境は地元よりも複雑で、彼女が理性的でなければマイナスの影響をもたらします。帰らせれても同修にとってとても大変で、地元の同修も彼女を排斥し、彼女に良い環境はありません。そのため彼女と交流しました。しかし彼女は自己中心的なため、多くの事はうまく交流できませんでした。最後に彼女を帰らせることに決めましたが、心の中でこれはどういう因縁関係があるのかが分からず、どう対処すればいいのか本当に分かりませんでした。
次の日、娘に彼女を駅まで送らせました。その途中で私とレストランの洗い場の仕事をしている同修に出会い、その洗い場は人を急募していました。とても自然に感じ、彼女が残って仕事をすることに私は同意しました。皆は師父の弟子であり、この同修は長年独りぼっちで人と関わることを避けていました。師父はこの同修を私のところに按排し、自然に一つの集団となり、一緒に学法や煉功をして、共に精進することになりました。師父は「本当に一人の人間を済度しようとすることは非常に難しく、人を駄目にするのは実に簡単です。心がちょっと歪んだだけで、すぐ駄目になります。」[2]と説かれました。
そして、私たちは一緒に部屋を借りました。部屋を借りた翌日の朝、私たちは煉功が終わって学法しようとしていたところ、娘が台湾で貰った大法のお守りを彼女がかけているのを見ました。娘は彼女に「なぜ私のお守りをかけているの?」聞くと、彼女は「昨日、引っ越した時に拾ったの。私が大法の物を拾ったら私の物になります。なぜあなたに返さなければいけないの?」と言いました。娘も心性を守らずに強制的に彼女から奪い、2人は争っていました。私も彼女の行為を理解できずに、「他人の物を勝手に取ってはいけません。皆さん声を小さくしてください。近所の人に迷惑をかけないで、学法しましょう」と言いました。
学法が終わって娘はその同修に謝りながら、「おばあさん、あなたが好きなら持って行っていいよ!」と言いました。その同修も笑顔になりました。
最後に師父の法で同修と互いに励ましあいたいと思います。「もしも、みな一人一人が心から法を認識することができれば、それこそが威力無辺の法の体現であり─強大なる佛法のこの世での再現なのです!」[1]
以上は私の少しの体験です。法に合わないところがあれば、皆さんの慈悲なるご指摘をお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「警告の言葉」
[2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』